第九十九部 四人の囚人を、一つの陰謀へ仕立てる話 ③ 廃屋には見えなかった夜の検疫所
夜の旧河岸検疫所は、廃屋には見えなかった。
表門には軍の荷札を付けた馬車が二台。
染物工房側の壁には見張りが四人。
河岸へ続く裏手には、葦原を切り開いた狭い船着場があり、小舟が一艘つながれている。
レオンとガレスは、対岸の壊れた水車小屋から施設を見ていた。
ニーナは薬箱を持ち、青いインクの連絡員とともに染物工房側へ回っている。
ヴィクトルは印刷所に残り、何かあれば記録を同時に外へ流す役目だった。
「見張りは十二」
ガレスが数える。
「表に六、河側に三、屋根に二。残り一人は巡回」
「中は」
「最低でも十」
「少ないな」
「わざとそう見せている可能性がある」
「罠か」
「空箱を追った者へ場所を見つけさせた」
ガレスは暗い建物を見る。
「俺なら、そうする」
「では、カミラはいない?」
「いる可能性もある。最もよい罠は、本物を餌にすることだ」
レオンの左手が剣の柄へ近づく。
「抜くな」
「まだ抜いていない」
「考えた」
「考えるだけなら自由だ」
「顔に出ている」
「お前もニーナのようなことを言うな」
「長く一緒にいると移る」
染物工房側で荷車が止まった。
灰色の上衣を着たニーナが、門番へ薬箱を見せている。
遠すぎて声は聞こえない。
門番が箱を開かせる。
ニーナが何か説明する。
兵士が苛立ったように手を振る。
もう一人が出てきた。
「長い」
レオンが言う。
「まだ一分も経っていない」
「十分に見える」
「動くな」
兵士がニーナの腕を掴んだ。
レオンの足が前へ出る。
ガレスが外套を掴む。
「待て」
「触った」
「腕を掴んだだけだ」
「十分だ」
「何の基準だ」
次の瞬間、ニーナが兵士の手首を捻った。
軍人を倒すほどではない。
だが、掴まれた腕を外し、逆に相手の指を押さえたまま何かを怒鳴っている。
門番が困った顔で中へ振り返る。
白衣の女が現れた。
アンナ・リードだった。
ニーナとアンナは、互いの顔を知らない。
それでも薬箱の中身と荷札を確認し始める。
「入れた」
ガレスが言う。
「ニーナが?」
「薬箱だけだ」
門は閉じられ、ニーナは外へ残された。
アンナが箱を持って中へ戻る直前、ニーナへ何かを告げる。
短い言葉。
二度繰り返した。
ニーナは表情を変えずに一礼し、その場を離れた。
「何を聞いた」
レオンが呟く。
「戻れば分かる」
「待つのか」
「ああ」
「やはり嫌いだ」
その時。
検疫所の屋根へ、黄色い旗が上がった。
疫病封鎖を示す旗。
門が内側から閉じられ、河岸の小舟を兵士が陸へ引き上げる。
見張りの数が一斉に増えた。
「何だ」
レオンが身を乗り出す。
「封鎖だ」
「病人が出た?」
「違う」
ガレスは施設の奥を見る。
煙突から、黒い煙が上がり始めている。
「紙を燃やしている」
レオンの顔から血の気が引く。
「四人は」
「まだ中にいるかもしれない」
「行く」
「待て!」
ガレスが止めるより早く、レオンは水車小屋から飛び出しかけた。
その前へ、戻ってきたニーナが立った。
「退いてくれ」
「駄目」
「中で燃やしている」
「記録だけ」
「どうして分かる」
「女医が教えてくれた」
「何と」
ニーナは息を整える。
「四人は、今夜ここから出る」
「どこへ」
「二台の馬車は囮。四人は別々の服へ着替えさせられて、疫病患者の遺体搬送車に乗せられる」
「いつ」
「黄色い旗が下りる前」
ガレスが施設の裏手を見る。
「封鎖中なら、誰も遺体車を止めない」
「出口は」
「正面じゃない」
ニーナは、荷札で覚えた記号を地面へ描いた。
丸の中へ縦線が二本。
右下に欠け。
「アンナさんが、これを二度指でなぞった。そのあと『水の下』と言った」
「排水路か」
ガレスが地図を開く。
旧検疫所の排水溝は、河岸の石壁を通り、下流の染料捨て場へ出ている。
「遺体搬送車ではない」
レオンが言う。
「舟か?」
「排水路の先で荷車へ移す」
ガレスは暗い下流を指した。
「見張りが少ない」
「向かう」
「今度は全員で」
ニーナが言った。
レオンが彼女を見る。
「外周ではなかったのか」
「状況が変わった」
「都合のよい民主主義だ」
「患者が四人いるから」
三人は河岸を下流へ走った。
検疫所の黒い煙が、夜空へ伸びていく。
敵は、レオンたちが表門へ飛び込むと考えている。
そのための旗。
そのための煙。
そのための空の馬車。
だが、四人の囚人はすでに、別の出口へ運ばれようとしていた。
移送まで、あと二日。
そのはずだった。
しかし敵は、日付さえも餌にしていた。




