第九十九部 四人の囚人を、一つの陰謀へ仕立てる話 ② 灰衣の女へ渡された診療票と、机を覆う四つの名簿
四人が別々の房へ戻されたあと、国家保安局の監視役は診療票を灰衣の女へ渡した。
サロメは一枚ずつ目を通し、アンナ・リードの署名で手を止める。
「外部の医師を入れたのですか」
「監察院が要求しました」
「不便ですね」
「別の医師に書き直させますか」
「いいえ」
サロメは四枚の診療票を重ねた。
「移送に条件がある方が、本物らしく見えます」
「では予定どおり三日後に」
「二日後へ早めます」
監視役が顔を上げる。
「昨日、五日から三日へ変更したばかりです」
「医療倉庫の荷札が調べられています」
「青いインクですか」
「まだ断定できません。ただ、空箱まで追う者がいる」
「旧検疫所を放棄しますか」
「移送前夜まで使います」
「襲撃された場合は」
「襲撃させてください」
サロメの声には、何の緊張もなかった。
「空の房と、偽の移送命令を見つけさせる。亡国王子が現れれば、なおよい」
「捕らえるのですか」
「いいえ」
「では」
「逃がします」
監視役は意味を理解できず、眉を寄せた。
「一度成功したと思わせた方が、人は次に大きく賭けます」
サロメは机の上へ、四人の役割を書いた紙を並べる。
監察官。
軍需計数官。
ザクセル印刷工。
カラドリン鋳印鑑定人。
「この四人は、一つの陰謀としてよくできています」
「実際には互いを知りません」
「今日、知り合いました」
「わざと会わせたのですか」
「人間関係には、事実より順番が重要です」
サロメはカミラの診療票を撫でた。
「彼女は三人へ、証言を揃えるなと教えた。賢いですね」
「聞かせてよかったのですか」
「ええ。互いに信頼し始めれば、誰か一人の命で残り三人を動かせます」
監視役の顔が僅かに強張る。
「誰を使います」
「最も家族の多い者から調べてください」
サロメは穏やかに告げた。
◇
青いインクの地下印刷所では、四つの名簿が机を覆っていた。
軍保安局が過去三か月に拘束した者。
党倫理委員会の非公開審査対象。
国家保安局が家族へ死亡通知を出していない失踪者。
対ザクセル特別課が回収した印刷工と運送人の一覧。
ヴィクトルは一つの名前へ丸を付けた。
「ミハイル・ドレン」
「知っているのか」
レオンが尋ねる。
「ザクセルの印刷工です。二年前、労働者向けの読み書き教本を一緒に刷りました」
「革命派?」
「改革派です」
「違いは」
「ミハイルは、選挙制度と労働法を変えようとした。イタリカ式の革命には反対していた」
「なのに革命文書を刷ったことになっている」
「だから選ばれたのでしょう」
ヴィクトルは別の名簿を開く。
「イーゴル・セヴェリン。東部軍需局の計数官。大型弩三十八台が、廃棄品として処理されたあと、新品の部品番号で再登録されていると内部報告を出しています」
ガレスの顔が変わった。
「その名前は知っている」
「どこで」
「国境軍にいた頃、給金と薬が届かない理由を調べた男だ」
「会ったのか」
「一度だけ」
ガレスは遠い記憶を探る。
「俺たちの隊では、死んだ兵士へ三か月分の給金が支払われたことになっていた。生きている兵士には何も届かなかった」
「イーゴルが見つけた?」
「ああ。上へ報告したが、翌月には別の部署へ飛ばされた」
「奥方の件と関係する可能性は?」
ヴィクトルの問いに、ガレスはすぐには答えなかった。
妻が病に倒れた時、軍から受け取るはずだった給金は来なかった。
薬を買えず、診療所へ運ぶ馬車も雇えなかった。
誰かが盗んだ金の中に、自分の給金も含まれていた可能性がある。
「分からん」
ガレスは短く答えた。
「ただ、あの男は帳簿を見て、怒っていた」
「珍しいか」
「軍需の役人は、帳簿を見て自分の取り分を考える。あいつは、兵士の顔を思い出していた」
ニーナは三つ目の名簿を覗き込む。
「オルヴァン・ケルド」
「カラドリンの鋳印鑑定人です」
ヴィクトルが答える。
「国境襲撃に使われた大型弩を鑑定し、新品を廃棄品へ見せかけたものだと報告した直後に失踪しています」
「四人とも同じ事件につながる」
レオンが言った。
「ええ。ただし、同じ側ではありません」
イタリカ監察官。
イタリカ軍需官。
ザクセル改革派。
カラドリン鑑定人。
政治思想も、守りたい国も異なる。
「敵は、四人を共謀者にするつもりか」
「それが最も簡単です」
ヴィクトルは別の紙を置いた。
「カミラが国外の協力者を集め、武器を調達し、ザクセルで反乱を起こした。イーゴルが軍の武器を横流しし、ミハイルが宣伝物を刷り、オルヴァンがカラドリン製武器を供給した」
「綺麗すぎるな」
ガレスが言う。
「民衆は、綺麗な話を信じます」
「汚い現実より分かりやすいから?」
ニーナが尋ねた。
「そうです」
ヴィクトルは四人の名前を一本の線で囲った。
「この物語が成立すれば、イタリカはザクセルへ軍を送る理由を得る。ザクセル旧体制は改革派を一斉逮捕できる。カラドリンは一部商会の犯罪として国全体の責任を逃れられる」
「帝国と王国は?」
「帝国は、レオン殿下を東方革命と結びつけて旧領を締め付ける。王国は、帝国に追われる亡国王子を保護する名目を得る」
レオンの名が、四人の上へ置かれる。
本人が関与していない陰謀の中心。
「便利だな、俺は」
「金貨千枚ですから」
ガレスが言う。
「値段の話ではない」
「値段が付く人間は、使い道も多い」
ニーナは地図へ目を落とした。
「四人の身体の状態から、馬車は一台では無理だと思う」
「なぜ分かる」
「カミラさんは左手首と薬。イーゴルは肋骨。ミハイルは喉と熱。オルヴァンは目と呼吸。普通に運ぶなら最低二台、できれば三台」
「普通に運ぶ気があると思うか」
ガレスが尋ねる。
「ない」
「なら一台へ詰める」
「途中で死ぬ」
「死んでも、逃走中に死亡したと書ける」
ニーナの顔が険しくなる。
「絶対にさせない」
言ったあと、自分でも強く言いすぎたと思ったのか、少しだけ息を整えた。
レオンが彼女を見る。
「カミラだけではないぞ」
「分かってる」
「会ったこともない三人だ」
「患者になるかもしれない」
「まだ患者ではない」
「怪我をしてる時点で患者だよ」
ニーナは四人の名前へ指を置いた。
「誰の味方かは、治したあとに聞く」
レオンの口元が、僅かに緩む。
「何」
「いや」
「何か言いたいなら言って」
「カミラも似たことを言う」
ニーナの指が止まった。
「また?」
「今度は怒るな」
「怒ってない」
「声が低い」
「元から」
「そうか」
「そう」
ガレスがヴィクトルへ小声で尋ねる。
「この二人を同じ部屋に置く必要はあるか」
「作戦上、仕方ありません」
「危険では」
「国家よりは安全でしょう」
ニーナが二人を睨んだ。
「聞こえてる」
「第四条」
ガレスが言う。
「便利に使わないで」
短い笑いが生まれた。
その笑いが消える前に、印刷所の奥から連絡員が駆け込んできた。
「旧検疫所が動きました」
ヴィクトルが立ち上がる。
「何が」
「軍用馬車が二台。空の担架が四つ。さらに、川側の排水門へ兵が増えています」
「移送は三日後では」
「荷札が差し替えられています。日付は明後日です」
ニーナが息を呑む。
「また早まった」
「こちらの動きを読まれている」
ガレスが地図を見る。
「今夜か明日、施設を空にする準備だ」
「潜る」
レオンが言った。
「偵察です」
ヴィクトルが念を押す。
「分かっている」
「施設内へ入っても、四人を連れ出さない」
「状況次第だ」
「それは分かっていない者の答えです」
「目の前にいれば置いていけない」
「だから、レオンは外周だけ」
ニーナが即座に決める。
「なぜだ」
「中に入ったら絶対に連れ出そうとするから」
「お前は入るのか」
「医療倉庫の荷札を知ってる。薬箱を持っていれば、中へ近づけるかもしれない」
「危険だ」
「患者がいる」
「俺も行く」
「外周」
「拒否する」
「多数決」
「まだ採っていない」
ガレスが手を上げた。
「レオンは外周」
ヴィクトルも上げる。
「三対一」
「民主主義は嫌いだ」
「三回目です」
ヴィクトルは冷静に答えた。




