第九十五部 生きる場所を選ぶ者と、生きて戻る方法を探す者の話 ③ 言葉だけでは守れない場所と、残りたい者だけが残る話
「言葉だけでは、この場所は守れない」
ガルムが言った。
「食料庫は半分焼け、見張りも足りず、内部から鍵の型を渡した者まで出た。南の道を維持するなら、人と物が必要だ」
「必要な人数は」
「外周へ常時八人、交代を含めれば二十四人。森道の警護に、さらに十二人」
「食料は?」
「現在の人数なら十二日」
「使えない小屋は?」
「三棟」
「木材はありますか」
「あるが、運ぶ者が足りない」
レイラは一つずつ確認した。
王女の名前だけでは、見張りも食料も増えない。ここへ残るなら、理想だけでなく人数、道具、日数、失ったものの量と向き合わなければならなかった。
「木材は私が運ぶ」
ルーウェンが言った。
「一人で?」
「一人とは言っていない」
外縁集落の若者たちへ目を向ける。
「手を貸せ」
老人の一人が鼻を鳴らした。
「九十七年も帰らなかった奴が命じるな」
「九十七年と四か月だ」
「そこを正すな」
「間違える方が悪い」
「では、九十七年と四か月分働け」
「無茶を言う」
「まず十二日分だ」
若者が一人立ち、続いて三人が立ち上がった。
ルーウェンは彼らを見たあと、森議会へ向き直る。
「私は、長く外にいた。森が閉じていると外から言うだけで、ここへ戻り、変える責任を負おうとはしなかった」
エルナが僅かに目を動かす。
「今回は逃げない」
「いつまで残る」
サリエルが尋ねた。
「できない約束はしない。ただ、帰る者の道が決まる前に消えることはしない」
「九十七年は待たせるなよ」
老人が言う。
「二度と言うな」
ルーウェンの返事に、外縁の者たちから小さな笑いが起こった。
「森道は私が見ます」
エルナが続く。
「南側だけでなく、西側の古道も確認します。昨日逃げた者が、同じ道を使うとは限りません」
「人数は」
ガルムが尋ねる。
「五人。ルーウェンを含めれば四人でも足ります」
「勝手に数へ入れるな」
「加わらないのですか」
「加わる」
「では、問題ありません」
「最初から決めていただろう」
「はい」
エルナは平然としていた。
「治療小屋は私が見るよ」
ネリスが言う。
「薬を勝手に持ち出す者がいたら、怪我人でも杖で殴る」
「治療するのでは?」
レイラが尋ねる。
「治してから殴る」
「順番は守るのですね」
「私は医者だからね」
テオは、偽の名簿を卓上へ置いた。
「記録は作り直す。ただし、同じ情報を一冊へ集めない」
本人が持つ札、家族関係、治療情報、移動経路、森議会へ預ける写しを分け、必要な者だけが必要な部分を見る形にする。
「盗まれた名簿は、取り戻せるのか」
ハルトが尋ねた。
「原本だけを取り戻しても、もう足りない」
テオが答える。
「複写されている可能性が高い」
「なら、終わりではないか」
「逆だよ。これから売る相手が動く」
カロ・ディーノが名簿を持つなら、買い手へ渡すための道と、代金を受け取るための帳簿が必要になる。
「紙を売る者は、必ず紙を残す。どれほど綺麗な嘘へ書き換えても、商売を続ける限り、金の流れまで完全には消せない」
「追えるのですか」
レイラが尋ねる。
「追う」
テオは、今度は迷わず言った。
「カロ・ディーノは、僕が追う」
「テオが?」
「僕は剣では戦えない。だが、あの男が死者の名をどこで買い、誰へ売り、どの商会を通して金を洗うのかは読める」
テオは偽の名簿へ指を置く。
「人を荷物へ変え、犯罪を正しい書式へ直す者が、商人の顔をしていることを放ってはおけない。僕自身の仕事として追わせてほしい」
「お願いします」
「頼まれたよ」
いつもの軽い返事だったが、その目に笑いはなかった。
◇
「ここへ残りたい者だけが、残るべきです」
レイラは帰還者たちへ向き直った。
「何?」
トーマが尋ねる。
「森議会が道を閉じないと決めても、皆さんへ残ることを強制してはなりません。昨夜の襲撃を見て、別の場所へ移りたい方もいると思います」
「逃げる者を責めないのか」
年長者が問う。
「責めません」
「一緒に守ると言ったではないか」
「一緒にいると決めた方と守ります。離れると決めた方には、安全に出られる道を作ります」
残ることだけが勇気ではない。
子どもや病人を守るため、危険な場所から離れる選択もある。
老夫婦が手を挙げた。
「私たちは、南の修道所へ移りたい」
老女が言う。
「森へ帰りたかったのでは」
「帰りたかった。だが、夫は歩けず、私は弓を持てない。ここで誰かに守られ続けるより、外の修道所で待ちたい」
「分かりました」
レイラはガルムを見る。
「森の外まで、警護をお願いできますか」
「明朝、二人出す」
ほかにも一人が、家族を探すため外へ出たいと申し出た。
残る者、出る者、まだ決められない者が、一人ずつ自分の意思を口へしていく。
最後にハルトが前へ出た。
「俺は残る」
妻と息子、妹の名を奪われた男だった。
「怖くないのですか」
「怖い」
ハルトは正直に答えた。
「だが、一人で追えば、また捕まる。ここで名簿の買い手を追う方が、家族へ近づけるかもしれない」
「必ず見つかるとは申し上げられません」
「言わなくていい」
ハルトは帰還者たちの側へ戻った。
サリエルが全員を見渡す。
「南の道は閉じない」
反対していた年長者が顔を上げる。
「保護区画も残し、人間の家族と混血者を、血だけで分けない」
「危険は増える」
「増えた危険を数えろ」
サリエルはガルムを見る。
「人、食料、見張り、避難路をすべて記録しろ。分からぬものを安全と言うな。だが、危険だからという一語だけで、帰る者を捨てるな」
「鍵の型を渡した夜番は」
ドルンが尋ねた。
「治療後に話を聞く。弟を捕らえられていたことは罪を消さないが、誰に脅され、ほかにも同じ者がいるかを確かめる前に処分は決めない」
「甘い」
「そうかもしれぬ」
「また裏切れば?」
「その時は、私が決める」
森議会の長として、責任をほかへ渡さない声だった。
サリエルは最後にレイラを見る。
「お前は残れ」
レイラの呼吸が僅かに止まる。
「客人としてではない」
以前のレイラは、三十日だけ森へ滞在する客人だった。
「古い血を持つ者としてでもない」
「では」
「自分で選んだ者として残れ」
サリエルは言った。
「ただし、森へ命じるな。できないことを約束するな。そして、一人で背負うな」
最後の一つが、レイラには最も難しい。
「努力します」
「実行しろ」
リューリックが、ほんの僅かに顔を伏せた。
「笑いましたか」
「いいえ」
「本当に?」
「その問いを、殿下までお使いになりますか」
レイラはサリエルへ向き直った。
「実行します」




