第九十三部 帰還者の名簿は、宝石より高く売れる話 ① 三日後に決まった仮住まいと、小屋の割り振り
森議会が帰還者のための仮住まいを設けると決めたのは、それから三日後だった。
場所は外縁集落から南へ半刻ほど下ったところにあり、以前は樹脂を採る者たちが使っていた区画で、太い木々の間に十数棟の小屋が残されていた。樹液の採取場所が北へ移ってからは道具置場と薪小屋として使われていたが、屋根と壁はまだ直せる。
水路も近く、炊事場へ使える石組みもある。森の奥へ自由に入れない人間の家族を受け入れるにも、外縁集落に近い方が管理しやすかった。
ただし、住める場所と、住みたい場所は同じではない。
最初に小屋を見たトーマは、壁を押しながら言った。
「倒れないか」
「強く押せば倒れるかもしれません」
レイラが正直に答える。
「押さなければ?」
「冬の風で倒れる可能性があります」
「住めないのでは」
「だから直します」
エナが壁板の隙間から顔を覗かせた。
「空が見える」
「明るくてよいですね」
「雨も入る」
「屋根も直します」
「床、虫いる」
「虫は」
レイラは答えに詰まり、近くにいたエルナを見る。
「森ですので、ある程度は諦めてください」
「エルナ、もう少し希望のある言い方は」
「大きな虫から先に外へ出します」
「少しだけ改善しました」
エナが床板の下へ棒を差し込むと、大きな黒い虫が一匹、反対側から走り出した。
トーマとレイラが同時に一歩下がり、エナだけが追い掛ける。
「捕まえなくてよいです!」
「外へ出す」
「手ではなく、棒を使ってください」
「王女様、虫が怖いの?」
「怖くありません」
虫がレイラの方角へ走り、今度は二歩下がる。
「少し苦手なだけです」
エルナがレイラを見る。
「森では、考えている顔も見られるのでしたね」
先に自分から言うと、エルナの口元がほんの僅かに緩んだ。
◇
小屋の修繕には、森人だけでなく帰還者たちも加わった。
歩ける者は木材と石を運び、怪我の残る者は縄を編み、布を縫い、食事の準備を手伝う。子どもたちには小枝を集める役目が与えられたが、半分ほどは剣や動物の形へ使われ、薪にならなかった。
セドは子どもたちをまとめる役を任されていた。
「俺も子ども扱いされてない?」
「では、監督役です」
レイラが答える。
「何を監督するの」
「集めた枝のうち、何本が遊び道具へ変わるかを」
「止めなくていい?」
「全部止めれば、逃げます」
「よく分かってるね」
「以前、宮殿にも子どもはいました」
「王女も?」
「私も子どもだった時期はあります」
「想像できない」
「なぜですか」
「生まれた時から、こういう話し方をしてそう」
「赤子は話せません」
「そういうところ」
何がそういうところなのか、レイラにはよく分からなかった。
少し離れた場所では、リューリックが三人で運ぶ予定だった太い梁を、一人で肩へ載せている。
「リューリック」
「はい」
「重くありませんか」
「問題ございません」
「本当に?」
「はい」
「私も持ちます」
「おやめください」
返事が速かった。
「まだ何もしていません」
「殿下は三日前、魔法をお使いになった直後でございます」
「もう回復しました」
「昨日、階段を上って息を切らしておいででした」
「二日酔いが残っていただけです」
「それを回復していないと申します」
近くで縄を結んでいたネリスが鼻を鳴らした。
「今日は頭を使いな。身体は役に立たないよ」
「そこまで言わなくても」
「役に立たないものを、役に立つように見せると怪我をする」
「私は梁くらい」
「持てない」
「まだ試していません」
「試さなくていい」
レイラが梁の端へ手を添えようとすると、リューリックが半歩動き、触れさせなかった。
「リューリック」
「はい」
「避けましたね」
「安全を確保いたしました」
「私から?」
「梁からでございます」
「同じことです」
「異なります」
「殿下」
離れた卓からテオが呼んだ。
「頭を使う仕事が、かなり残っているよ」
卓上には、小屋、寝台、食料、薬草、衣服、家族、行方不明者、帰還者の名について記した紙が積まれている。
レイラは梁を諦め、そちらへ向かった。
背後でリューリックが僅かに安堵した息を吐いたが、聞こえなかったことにした。
◇
仮住まいを作る上で、最初に問題となったのは、誰をどの小屋へ入れるかだった。
「森人は北側、人間の家族は南側、混血者はその間へ置く」
外縁の受入れを担当する男が言った。
「なぜですか」
「管理しやすい」
「何を管理するのですか」
「人間と森人の移動だ」
「混血の方は?」
「両方へ関わる可能性がある」
「だから真ん中?」
「そうだ」
レイラは並べられた小屋の図を見る。
紙の上では整っている。森人、混血者、人間の三つに分ければ、見張る側には分かりやすい。
「家族は、同じ小屋へ入れますか」
「種族が同じなら」
「異なる場合は?」
「先ほど説明した」
レイラは紙から顔を上げた。
「それでは、昨日決めたことと同じです」
「昨日?」
「血だけで、家族を分けないと決めました」
「トーマとエナは特例だ」
「なぜ、特例なのですか」
受入れ担当が僅かに眉を寄せる。
「一件ごとに同じ議論をするのか」
「必要なら」
「仮住まいを作るだけで、日が暮れる」
「暮れても、一緒に帰ってきた方を、ここで分けるよりはよいと思います」
レイラの声が自然に低くなった。
相手の顔が硬くなる。
「命令か」
「いいえ。なぜ分けなければならないのか、理由を伺っています」
「警備だ」
外縁警護の責任者であるガルムが、図の反対側から口を挟んだ。
「カランの間諜が、人間の家族を装って入った例がある。小屋ごとに分ければ、何か起きた時に対応しやすい」
「一緒に置いた場合は?」
「森人の家族を人質に取る可能性がある」
「分けた場合、人間側だけを脅し、森人側へ情報を運ばせることもできる」
テオが言う。
「どちらでも危険だと言いたいのか」
「危険の種類が変わると言っている」
「では、どうする」
「家族を単位にする」
テオは紙へ新しい線を引く。
「同じ家族を同じ小屋へ置き、森人か人間かではなく、誰が誰と来たかで分ける」
「間諜が混じれば」
「一人へするより、日常を知る相手と一緒の方が変化へ気付きやすい」
「信用できる家族ならな」
「信用できるかを、これから確認するのでしょう」
レイラが言った。
ガルムはすぐには頷かなかった。警備の立場から見れば、余計な危険を増やす判断でもある。
「小屋ごとに責任者を決める」
ルーウェンが言った。
「誰かを監視役にするのか」
「違う。火の管理、水、夜間の人数確認、その程度だ」
「異常があれば」
「近くの見張りへ伝える」
ガルムは図を見た。
「小屋同士の間隔を広げ、外周へ見張りを二人置く。森道へ入る時は同行を付ける」
「家族は分けない?」
レイラが確認する。
「分けない」
「本当に?」
ガルムの眉が僅かに動く。
「お前まで、その問いを使うのか」
「森で覚えました」
「決めた。二度は言わない」
レイラは頷いた。
「ありがとうございます」
「感謝される判断かは、まだ分からん」
「分かろうとします」
「その言葉は、もう聞き飽きた」
だが、ガルムの声には以前ほどの硬さがなかった。




