第九十二部 血が扉を開いても、残る理由までは決めない話 ④ 議会のあとに残った円堂と、木へ背を預けたルーウェン
議会が終わったあと、レイラは円堂へ残った。
古い誓約書、白い羽根、リュカリオン王家の封印板、北エルフの姫の記録。昨日、すべてが金色の糸で結ばれた。
「これで、お前がシルヴァスと無関係ではないことは明らかになった」
書記が言う。
「北エルフの血を持ち、古い誓約の力を継いでいる。森へ残る理由としては十分だ」
「いいえ」
レイラは答えた。
「血は、私がここへ入る扉を開いたのかもしれません。ですが、残る理由まで血に決めてもらうつもりはありません」
「なら、なぜ残る」
円堂の入口からドルンが尋ねた。まだ帰っていなかった。
「兄を追う道は東へある。お前は兄へ会いたい。それでも、ここにいると?」
「はい」
レイラは外縁集落の方角を見た。
トーマとエナ、帰還を待つ者、まだ名前を取り戻せない者、森へ入れない家族、森の外で連れ去られたままの者たち。
「昨日まで、私は自分がどこへ帰るべきか分かりませんでした」
「いまは?」
「いまも完全には分かりません」
「また、それか」
「はい。ただ、帰る場所を持たない方を、また森の外へ出さないために、ここへ残りたいと思っています」
「血があるからではなく?」
「はい」
「エルフの姫の子孫だからでも?」
「はい」
「古い誓約の継承者だからでもない?」
「その責任は背負います。ですが、選ぶ理由は別です」
「何だ」
「私が、そうしたいからです」
短い言葉だった。
王女としてでも、兄の妹としてでも、古い血を継ぐ者としてでもない。
「レイラとして、ここへ帰ろうとした方を守りたいと思います」
ドルンは長い間、何も言わなかった。
「母は、森の血があったから王国の者を助けたわけではない。困っている者がいたから外へ出た」
「ネリスから、そう伺いました」
「同じだと言うつもりか」
「言いません。私は、ミレアさんではありません」
勝手に同じ立派な人物へ並ぼうとはしない。
「ただ、その方がなぜ外へ出たのかを忘れずに、私も自分で選びます」
ドルンは左腕の火傷痕へ一度だけ目を落とした。
「明日も、同じことを言えるか」
「はい」
「酒を飲まずに?」
レイラの顔が赤くなる。
「飲みません」
「本当に?」
「少なくとも、樹蜜酒は二度と飲みません」
「種類を限定するな」
「……酒は飲みません」
「記録しておけ」
ドルンが書記へ言う。
「なぜですか」
「三百年後に必要になる」
「必要ありません!」
頭が少し痛んだ。
それでも、レイラは笑った。
◇
円堂を出ると、ルーウェンが木へ背を預けて待っていた。
「聞いていたのですか」
「ああ」
「どこから」
「酒を飲まないと言った辺りから」
「大事なところは終わっています」
「そうらしいな」
レイラは隣へ立った。
「私は、シルヴァスの人間になったのでしょうか」
「知らない」
「北エルフの血があると」
「血だけで決まるなら、昨日までのお前は何だった」
レイラは答えられない。
「森人になりたいのか」
「分かりません」
「なら急ぐな」
「サリエルと同じことを言いますね」
「森に長くいると似る」
「九十七年と四か月、離れていましたが」
「それを言うな」
「皆、覚えています」
「お前まで百年言うつもりか」
「森の子どもは、百年でも覚えているそうです」
「お前は子どもではない」
「昨日は酔っ払いと言われました」
「それは正しい」
レイラはルーウェンを見る。
「私は昨日、あなたへ」
「ばかと言った」
「そこまでは覚えています」
「二度言った」
「二度?」
「謝ったあと、もう一度」
レイラは両手で顔を覆った。
「忘れてください」
「嫌だ」
「なぜ、皆、同じことを言うのですか」
「面白かったからだ」
「ルーウェンまで」
「それと、帰ってきてよかったと言ったことも覚えている」
レイラは手を少しだけ下ろした。
「私は、何と」
「私にも言わせた」
「そうでしたか」
「ああ」
「嘘ではありません」
「知っている」
ルーウェンは森の奥を見る。
「だから、今度は残る」
「約束ですか」
「できない約束はしない」
「また、それです」
「少なくとも、何も言わずには消えない」
昨日と同じ答えを、今日は酒を飲んでいない頭で聞くことができた。
「それなら、いまは十分です」




