第九十二部 血が扉を開いても、残る理由までは決めない話 ② 円堂に集まった者と、レイラへ向けられた言葉
森議会の円堂には、すでに関係する者が集まっていた。
サリエル、ガルム、ネリス、ドルン、記録を預かる書記、外縁の受入れ担当者、ルーウェン、テオ、エルナ、そしてトーマとエナ。
リューリックは、レイラの半歩後ろへ立っている。
レイラは中央の椅子へ座る前に、トーマとエナを見た。少女は人間の養父の服を昨日と同じように掴み、トーマの顔には長い移動の疲れと、眠れなかった夜の跡が残っている。
「始める」
サリエルが言った。
「南境の受入れ担当から説明しろ」
年配の森人が立ち上がる。
「少女エナには、森人の血が確認されている」
「どのように」
テオが尋ねる。
「耳の形だけではない。母親の名が、二十三年前に外へ出た者の記録へ残っていた」
書記が一枚の紙を開いた。
「母親の名は、リサナ・エイル。南側の小集落出身で、外の交易町で人間と暮らし、その後、消息を失った」
エナは母親の名前へ反応したが、何も言わなかった。
「少女は血統上、シルヴァスへ戻る権利を持つ。だが、人間の男トーマとの血縁はなく、婚姻記録も正式な養育記録もない」
「正式な養育記録?」
トーマが声を上げる。
「七年前、こいつの母親が死ぬ前に頼んだんだ。エナを一人にしないでくれと」
「証人は」
「死んだ」
「紙は」
「そんなものを作る余裕がある場所ではなかった」
カランとの境に近い難民集落で、病と移動、襲撃が重なる中、誰かが子どもを託す時に正式な文書まで作れるとは限らない。
「男は森の民ではない」
受入れ担当が言う。
「南境は戦場に近く、人間を無条件に入れれば、カランの間諜が同じ話を使う」
「無条件に入れてくださいとは申しません」
レイラが答えた。
「だが、入れないと言えば少女と分けることになる」
「はい」
「だから昨夜の判断では、少女だけを受け入れ、男は南境外へ退去させることになった」
エナの指が、トーマの服をさらに強く掴む。
「嫌」
小さな声だったが、円堂の中へはっきり届いた。
「エナ」
トーマが少女を見る。
「嫌。父さんといる」
受入れ担当が言う。
「血縁ではない」
「父さん」
「本人が、そう呼んでいるだけだ」
「だけ?」
レイラの声が少し低くなった。
怒った時、レイラは大声を出さない。
「レイラ」
サリエルが呼ぶ。
「お前の話はあとだ」
「はい」
レイラは口を閉じた。
以前、森議会で許可を得る前に口を挟まないと決めた。今回も、自分の感情だけで場を動かさず、まずは話を聞かなければならない。
「トーマ」
サリエルが呼ぶ。
「お前は、なぜ少女を育てた」
「頼まれたからだ」
「それだけか」
「最初は」
トーマは答えた。
「俺には自分の子どもがおらず、妻も戦で死んでいた。リサナは同じ避難民の一人だった」
エナの母親は熱を出し、薬もなく、三日で弱ったという。
「最後に、こいつの手を俺へ渡した」
「それから七年?」
「ああ」
「森へ返す機会は」
「なかった」
「探したか」
「一度は」
トーマは俯いた。
「南の森へ近づいた。矢を向けられ、戻された」
ガルムの顔が僅かに動く。
「どこだ」
「古い石橋の近くだ。五年前」
「当時、カラン兵が森人へ人間の養父を名乗らせ、三度侵入しようとした。警告後も近づけば射る命令が出ていた」
「だから戻った」
「少女を置いていくことは」
「できなかった」
「なぜだ」
トーマは少しだけ考え、エナの頭へ片手を置いた。
「娘だからだ」
「血は」
「ない」
「紙も」
「ない」
「なら、何をもって父だと言う」
「七年だ」
トーマは答えた。
「熱を出した夜、初めて立った朝、字を覚えた冬、食べ物がなくて俺の分まで隠していた日、髪をうまく結べず毎朝怒られたこと。その全部を知っている」
エナの髪は、いまも左右で少し高さが違う。
「それでは、足りないか」
誰もすぐには答えなかった。
◇
「レイラ」
サリエルが呼ぶ。
「お前の言葉を聞く」
レイラはゆっくり立ち上がった。頭には鈍い痛みが残り、指先も冷たいが、今度は床は動かなかった。
「昨夜、私に北エルフの血が流れていると、森議会は認めました」
「そうだ」
「三百年前の婚姻記録、白い羽根、王家の紋、金色の糸、そして」
一度だけ言葉を止める。
「酒に酔った時の、あまり公表したくない振る舞いまで含めて」
円堂の端で、エルナが少し顔を逸らし、ネリスは笑いを隠そうともしていない。
レイラは何も見なかったことにした。
「私の血は、森へ入る理由として認められました」
「認められたのは血だけではない」
書記が言う。
「古い誓約の継承もだ」
「はい。ですが、私の中へエルフの血があることが、重要な根拠の一つになっています」
レイラはエナを見る。
「この子にも森人の血がある」
「だから、少女は受け入れる」
受入れ担当が言った。
「では、私の血を認めるのなら、この子の血を父親と引き離す理由にしないでください」
「血を理由にしているのではない」
「いいえ。エナの血が森へ入る理由となり、トーマさんに同じ血がないことが、外へ出す理由になっています」
「戦時だ」
ドルンが言う。
「カランは人間を使って森へ入る」
「分かっています」
「本当に?」
「分かろうとしています」
以前と同じ答えだったが、いまはその先がある。
「だから、人間であるトーマさんを、何も確認せず自由に入れてくださいとは申しません。ただ、本人たちへ話も聞かず、書類がないというだけで七年間をなかったことにしないでください」
「七年は証拠ではない」
「血も、それだけでは家族の証拠になりません」
円堂が静かになった。
「私には三百年前の北エルフの血が流れていましたが、昨日までそれを知りませんでした。その血が私を育てたわけでも、兄様と過ごした時間や、リューリックに守られた時間、失った国への責任を作ったわけでもありません」
自分の胸元へ手を置く。
「血は、私がどこから来たのかを教えました。ですが、誰と生きてきたのかまでは決めません」
エナは、トーマの服を掴んでいる。
「この子の血が森への扉を開くとしても、その扉を誰と通りたいかまで、血に決めさせないでください」




