第九十一部 王女は、酒を飲むと三百年前の姫に似る話 ⑦ 宿舎へ運ばれたあとの、深くなった夜
宿舎へ運ばれたあとも。
レイラは眠らなかった。
正確には。
何度も眠り掛け。
そのたびに別のことを思い出し、目を開けた。
「ネリス」
「何だい」
「耳は、生えますか」
「生えないよ」
「本当に?」
「本当だ」
目を閉じる。
少しして。
「エルナ」
「はい」
「耳」
「貸しません」
「まだ言ってません」
「言う前に答えました」
また目を閉じる。
「ドルンさん」
戸の外にいたドルンは、返事をしない。
「ドルンさん」
「何だ」
「忘れません」
「明日言え」
「いまも言いました」
「寝ろ」
「優しいです」
「違う」
「怖い顔」
「寝ろ」
しばらく静かになる。
今度こそ眠ったと思えば。
「テオ」
「僕は、ここにいないよ」
実際には別室だった。
「帳簿、逆です」
「見えていないだろう」
「耳、赤いです」
「夢でも同じことを言うのか」
ネリスが額を押さえる。
「この王女様は、いつ眠るんだい」
「リューリック」
戸の外から、すぐ返事が来た。
「はい」
「いますか」
「おります」
「見ていますか」
「戸がございますので、姿は見えません」
「入って」
「お休みになれません」
「置いていかない?」
「置いてまいりません」
「本当に?」
「はい」
「好き?」
返事が止まる。
「リューリック?」
「その問いは、明日お答えいたします」
「また、明日」
「はい」
「明日は、ずるいです」
「承知しております」
「でも」
レイラは毛布へ顔を埋めた。
「いてください」
「ここにおります」
ようやく。
呼吸が静かになった。
半刻後。
レイラは再び目を覚まし。
水差しを酒ではないかと疑い。
葉が浮いていないことを三度確認し。
エルナに飲ませてもらい。
北エルフの姫も二日酔いになったのかと、ネリスへ尋ねた。
その夜。
酔いが完全に醒めることはなかった。
◇
宿舎の外。
サリエルと書記は、古い宴席記録をもう一度確認していた。
三百年前の北エルフの姫。
リュカリオン王家へ嫁いだ女。
金色の糸。
樹蜜酒。
人へ絡む順番。
口にした言葉。
細かな振る舞いまで、あまりにも似ている。
「正式記録へ残す」
サリエルが言った。
「血統も?」
「それが最も重要だ」
「宴席の行動も?」
書記が尋ねる。
宿舎の中から、レイラの声が聞こえる。
「リューリック、どこですか」
「戸の外におります」
「なぜ外ですか」
「中へ入れば、殿下がお休みになりませんので」
「入って」
「お休みください」
「私を見て」
「戸越しに見ております」
「見えません」
「私は見えております」
サリエルは。
深く息を吐いた。
「残せ」
「どこまで?」
「すべてだ」
「王女が怒るのでは」
「三百年後、また同じ者が現れた時に必要となる」
書記は頷き、新しい板へ筆を置いた。
北エルフの姫の血。
リュカリオン王家。
淡い金色の糸。
そして。
樹蜜酒を飲ませてはならない。
最後の一行だけは。
森議会の正式な警告として、大きな文字で記された。
◇
夜が深くなった頃。
南境から伝令が到着した。
「昨日到着した混血の少女と、人間の養父について、受入れ審査の回答が出ました」
サリエルが振り返る。
「どうなった」
「少女は、森の血を確認した後、帰還者として受け入れる。人間の養父は、南境外へ退去させると」
宿舎の中では。
北エルフの血を持つと認められた王女が。
ようやく眠りへ落ち掛けている。
「リューリック」
「はい」
「置いていかないで」
「ここにおります」
「本当に?」
「はい」
「では、眠ります」
レイラは。
自分の血が、森へ入る扉になったことを。
まだ、まともには理解していない。
同じ時。
エナの血は。
父親と引き離す理由に使われようとしていた。
「決定を止めろ」
サリエルが言った。
「明朝、森議会で扱う」
「理由は」
サリエルは、宿舎の戸へ目を向けた。
「血について、もう一度話す必要ができた」




