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第九十一部 王女は、酒を飲むと三百年前の姫に似る話 ⑥ レイラの指先から伸びる金色の糸

 レイラの指先から。


 淡い金色の光が零れた。


「あ」


 本人は驚くより先に。


 光へ手を伸ばした。


「きれい」


 糸は、指を避けるように伸びていく。


「待って」


「殿下、触れないでください」


「私から出てます」


「だからこそでございます」


 最初の一本は、白い羽根へ。


 二本目は、円堂の中央に置かれた古い誓約書。


 三本目は、リュカリオン王家の封印板。


 四本目は、ルーウェンが持つ、葉を三枚重ねた白金色の徽章へ伸びた。


「私も、糸になりました?」


「なっておりません」


「リューリックも結びますか」


「結ばなくて結構でございます」


「なぜ?」


「いまは、静かになさってください」


「嫌です」


 金色の糸は。


 新しいつながりを作ってはいなかった。


 元からある線を探している。


 長い年月の中で離され。


 別々の記録へ置かれ。


 関係を忘れられたもの。


 その間へ残っていた縁を。


 目に見える形へ戻していく。


 白い羽根。


 古い誓約書。


 王家の封印。


 森の徽章。


 四つを結んだ時。


 誓約書へ描かれた、色褪せた蔓状の模様が。


 金色の糸と重なった。


 書記が、古い宴席記録を開く。


 三百年前。


 北エルフの姫。


 樹蜜酒を飲む。


 長く故郷を離れた男へ抱き付く。


 警護の女の両頬へ口づける。


 薬草師へ抱き付き、口づけを約束の印だと言い張る。


 自分を嫌う男へ泣きながら謝り、怖い顔だが優しいと告げる。


 王家の書記の帳面を逆さにし、耳が赤いと指摘する。


 人間の家令へ、自分を姫としてではなく、一人の女として見ろと迫る。


 最後に。


 白い羽根。


 婚姻誓約書。


 王家の封印。


 森の徽章。


 その四つを、淡い金色の糸で結んだ。


 読み終えたあと。


 誰も、すぐには声を出さなかった。


 レイラだけが。


 リューリックへ抱き付いたまま、糸を目で追っている。


「糸が、逃げます」


「逃げておりません」


「捕まえて」


「必要ございません」


「編めば、エルナの髪へ似合います」


「私は結構です」


 ガルムが額を押さえた。


「力だけなら、まだ疑えた」


 ネリスが、深く息を吐く。


「酒癖まで同じとはね」


「偶然では」


 エルナが言い掛けた。


 自分の両頬。


 ネリス。


 ドルン。


 逆さの帳簿。


 リューリックへ絡み付く王女。


 そして。


 記録と同じ形を取る金色の糸。


「……ここまで重なれば、難しいですね」


 ドルンも、心底嫌そうな顔で記録を見る。


「誰かが、この女へ記録を教えた可能性は」


「教えられて」


 ネリスがレイラを指す。


「ここまで自分を壊して演じると思うかい」


 レイラは、リューリックの胸元へ頬を押し付けながら何かを呟いている。


「何と言っている」


 サリエルが尋ねる。


 リューリックは。


 非常に答えにくそうな顔をした。


「私の胸元が、レオン殿下より硬いかどうかを尋ねておられます」


「……演技ではないな」


 ドルンが認めた。


 テオも頷く。


「政治的には、あまりにも損が大きい」


 サリエルは古い記録を閉じた。


 深く。


 心底呆れたように息を吐く。


「間違いない」


 その声には。


 失われた血統を見つけた感動より。


 これから何を背負わされるのかを悟った者の疲労があった。


「この娘には、あの姫の血が流れている」


 ネリスが鼻で笑う。


「もっと立派な方法で分かればよかったんだけどね」


「立派です」


 レイラが反応する。


「何がだい」


「私は、王女です」


「いまは、ただの酔っ払いだよ」


「両方です」


「そこだけは正しいね」



 ◇


 金色の糸が強くなるほど。


 レイラの指先から体温が失われていった。


 頬は酒で熱い。


 手は魔法の代償で冷たい。


 膝へ力も入らない。


 だが。


 酔いは、まったく醒めなかった。


 身体の力だけが抜け。


 酔った頭だけが、そのまま残っている。


「寒いです」


 リューリックが自分の外套を掛けた。


「こちらを」


「リューリック」


「はい」


「温かいです」


「何よりでございます」


「抱えて」


「歩けませんか」


「床が、逃げます」


 実際、立てる状態ではない。


 リューリックはレイラを抱き上げた。


「高い」


「暴れないでください」


「落としますか」


「落としません」


「約束?」


「お約束いたします」


「では、もっと高く」


「いたしません」


「けち」


「承知いたしました」


 レイラは、リューリックの首へ腕を回す。


「降ろして」


「どちらでございますか」


「降ろしてほしいです」


 リューリックが身体を屈める。


「やっぱり嫌」


「殿下」


「寒いです」


「では、このまま運びます」


「でも、皆が見ています」


「すでに十分見られております」


「忘れてください」


「難しいかと」


 レイラは周囲を見る。


 エルナ。


 ネリス。


 ドルン。


 テオ。


 ルーウェン。


 全員が見ている。


「皆、目を閉じてください」


 誰も閉じなかった。


「命令です」


 サリエルが言う。


「この場では、王家の名も、酔っ払いの名も同じ重さだ」


「ひどい」


「覚えているなら、明日抗議しろ」


「明日……」


 明日は、いつだろう。


 今夜の次。


 朝。


 朝のあと。


 考えているうちに、分からなくなる。


「明日は、いつですか」


「酔いが醒めたあとだよ」


 ネリスが答えた。


「では、来ないかもしれません」


「必ず来る」


「怖いです」


「二日酔いが?」


「覚えていたら」


 断片が頭へ浮かぶ。


 エルナの頬。


 ネリスの頬。


 ドルンの袖。


 テオの耳。


 リューリック。


「……全部、忘れてください」


「嫌です」


 エルナが答えた。


「なぜ?」


「先ほど、私は覚えていると申し上げました」


「意地悪です」


「はい」


 エルナの口元が。


 少しだけ上がった。



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