第九十部 一度通った森は、同じ顔で迎えない話 ② 砦に近い待機所と、逃げ道を付けない話
南側の待機所は、外縁集落よりも砦に近かった。
太い木々の根元へ低い石壁が組まれ、内部には治療小屋、炊事場、見張り台がある。
兵の数も多い。
槍。
弓。
短剣。
包帯を巻いた者まで武器を持っている。
カランとの戦いが。
ここでは、遠い話ではなかった。
避難者たちは、最初に治療小屋へ案内された。
ネリスはいない。
南境を担当する薬草師と手当て役が、傷と熱を確認していく。
トーマとエナが別の列へ分けられそうになると。
エナが父親の服を強く握った。
「父さん」
「ここにいる」
トーマが答える。
記録係が二人を見る。
「森の血を持つ者と、人間の同行者は、別に確認する」
「確認だけですか」
レイラが尋ねた。
「そうだ」
「終われば、同じ場所へ戻れますか」
「結果による」
「この子は、父親と呼んでいます」
「血縁ではないと聞いた」
レイラは。
以前の自分なら、何と言っただろうと考えた。
王女として。
家族とは何かを語ったかもしれない。
だが。
自分が決めることではない。
「エナ」
少女の前へしゃがむ。
「別々に話を聞かれても、大丈夫ですか」
エナは首を横へ振った。
答えは明確だった。
レイラは記録係へ顔を戻す。
「本人が、離れたくないと言っています」
「規則だ」
「なら」
一度だけ言葉を選ぶ。
「規則を決めた方へ、二人一緒に確認できないか尋ねてください」
「王女の命令か」
「いいえ」
レイラは答えた。
「レイラとして、お願いします」
記録係は、すぐには返事をしなかった。
以前。
森議会で、何度も使った言葉だった。
命じない。
だからといって。
何も言わずに引き下がるわけでもない。
「同室で待機させる」
最後に、記録係が言った。
「確認は別々に行う。ただし、扉は開けたままにする」
「ありがとうございます」
「正式な受入れが決まったわけではない」
「分かっています」
「本当に?」
「はい」
今度は、逃げ道を付けなかった。
◇
待機所へ着いてから半刻ほど過ぎた頃。
北側の外縁集落から、数人の森人が到着した。
先頭にいたのはガルムだった。
外縁警護を預かる男。
レイラとルーウェン、エルナとともに、フィアたちを救うため焼けた水車小屋へ向かった人物である。
ガルムは再会の挨拶より先に、避難者の人数を確かめた。
「歩ける者は」
「九人です」
エルナが答える。
「荷車へ二人。子どもが三人。途中で別れた者は」
「いません」
「追跡は」
「カランの巡回を二度避けました。抜け道の入口まで来た痕跡はありません」
「見られた可能性は」
「あります」
ガルムは頷いた。
「南境の見張りを増やす」
必要なことだけを確認する。
以前と変わらなかった。
次に。
レイラへ顔を向ける。
「戻ったか、王女」
「はい」
「今度も、随分と面倒なものを連れてきたな」
「人を、面倒なものと呼ばないでください」
「問題の話だ」
「人と一緒に来ています」
「なら、人と問題を連れてきた」
「否定はできません」
ガルムの口元が、ほんの僅かに動いた。
「サリエルが呼んでいる」
「もう、伝わったのですか」
「白い羽根を持つ王女が南から戻り、ルーウェンとエルナまで一緒だ。伝わらない方がおかしい」
「テオ殿とリューリック殿、セドもおります」
「人間が三人増えたことも伝わっている」
「私は?」
セドが尋ねた。
「少年が一人、と」
「名前は?」
「まだ聞いていなかった」
「セド」
「覚えた」
「本当に?」
「森の子どもよりは、忘れにくい」
セドは、それが褒められたのか判断できない顔をした。
◇
サリエルが南境へ着いたのは、日が傾く少し前だった。
白い髪を長く編んだ森議会の長。
その隣には。
太い杖を持ったネリス。
左腕へ古い火傷痕を残すドルン。
そして、古い誓約と記録を預かる書記がいる。
レイラが立ち上がると。
サリエルは短く言った。
「戻ったか」
「はい」
「兄を追ったのではなかったのか」
「追いたいと思っています」
「それでも戻った」
「はい」
「なぜだ」
レイラは、待機所の小屋を見た。
帰還を望む者たち。
まだ森の住民とも。
正式な客人とも認められていない人々。
「兄様を追っている間にも、帰ろうとする方が奪われています」
「だから、お前が止めると?」
「私一人で止められるとは思っていません」
「では、何をしに来た」
「話を聞いていただくためです」
サリエルの薄緑色の目が、わずかに細くなる。
「前よりは、答えが早くなったな」
「少しは、分かるようになりました」
「本当に?」
「以前よりは」
完全とは言わない。
サリエルも、それ以上は問い詰めなかった。
隣で。
ネリスがルーウェンを上から下まで見た。
「今度は、九十七年も掛からなかったね」
「褒めているのか」
「誰が」
「では、何だ」
「また勝手に出ていって、今度は人間と怪我人を山ほど連れて戻ったことを確認している」
「怪我人は、置いてこられない」
「そこだけは、昔から変わらないね」
ネリスは杖の先で、ルーウェンの脛を軽く叩いた。
「痛い」
「前より軽いよ」
「比較できるほど蹴られた覚えはない」
「覚えていないだけだ」
セドがエルナへ小声で尋ねる。
「前より仲がよくなってる?」
「聞かない方がよいですよ」
「なぜ」
「どちらも否定しますから」
「聞こえているぞ」
ネリスが言った。
セドは、素直に一歩下がった。




