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第八十九部 王女は、兄とは反対の道を選ぶ話 ③ 襲撃現場からの道と、初めて思えたこと

 襲撃現場から北西へ進むと。


 前回も立ち寄った森境の仮小屋が見えた。


 丸太を組んだ壁。


 白い葉を描いた旗。


 以前と同じ形。


 だが。


 見張りは前回より少ない。


 代わりに。


 入口の横へ、木の札が三枚増えていた。


 帰還者。


 同行者。


 審査待ち。


 レイラは、その言葉を見た。


「前にはありませんでした」


「帰還者が増えたためです」


 ファルンが答える。


「人を、三つへ分けるのですか」


「正式には、滞在場所を分けるためです」


「正式には?」


 ファルンは答えなかった。


 見張りの一人が、レイラたちへ近づく。


 前回も門前にいたエルフの男だった。


 名は覚えていない。


 向こうも、レイラの名までは呼ばない。


 だが。


 ルーウェンを見た瞬間。


 目へ明確な認識が浮かんだ。


「また戻ったのか」


「一度戻れば、二度目は少し簡単になると思っていた」


 ルーウェンが答える。


「簡単になったように見えるか」


「前より札が増えた」


「必要になった」


「誰にとって」


 男は答えず。


 次に、レイラを見る。


「白い羽根の娘」


「覚えていたのですね」


「忘れるには、目立つ一行だった」


 その後ろで。


 テオが小さく言う。


「誰かと似ているね」


 リューリックは聞こえなかったふりをした。


「前回と同じ印はあるか」


 門衛が尋ねる。


 レイラは革袋へ手を入れた。


 白い羽根。


 前回。


 森の道を開いたもの。


 取り出し。


 掌へ載せる。


 門衛は確認し、頷いた。


「お前たちは通せる」


「私たちは?」


 レイラが尋ねる。


「前回の記録がある」


 門衛は小屋の中を示した。


「問題は、そちらだ」


 中には。


 老いたエルフの女。


 人間の男。


 そして。


 人間とエルフ、両方の特徴を持つ幼い少女がいた。


 少女の耳は。


 エルフほど長くない。


 人間ほど丸くもない。


 泥に汚れた外套を、人間の男が自分の分まで掛けている。


 男の腕には深い切り傷。


 それでも。


 少女の肩から手を離していない。


「生存者です」


 ファルンが言った。


「白枝道から逃げた三人」


「家族ですか」


 レイラが尋ねた。


 男は警戒する。


「違うと言えば、引き離すのか」


「いいえ」


「同じだと言えば」


「同じ場所へいていただきます」


 男は答えを迷った。


 少女が先に言った。


「父さん」


 小さな声。


 人間の男の袖を掴む。


「父さんだよ」


 男の顔が歪んだ。


「血はつながっていない」


 レイラを見る。


「森の外で拾った。母親はエルフだった。死んだ。俺が育てた」


 門衛が言う。


「少女には帰還資格がある」


「父親には?」


 レイラが尋ねる。


「同行者として審査が必要だ」


「審査の間は」


「別室だ」


「別室?」


「少女は帰還者区画。男は同行者区画」


 少女の指が。


 男の袖を強く握った。


「離れたくないと言っています」


「規則だ」


「前回も、その規則がありましたか」


 門衛が少しだけ黙る。


「以前からあった」


「札はありませんでした」


「帰還者が少なかったからだ」


「少なければ、一緒にいられた?」


「個別に判断した」


「増えたから、分ける?」


「混乱を防ぐためだ」


「誰の混乱を」


 門衛の顔が硬くなる。


「外から来た者には、森の事情は分からない」


「一度、入りました」


 レイラは答えた。


「それでも、すべて分かったとは思っていません」


 一歩。


 男と少女の前へ立つ。


「だから、もう一度来ました」


 人間の男が立ち上がろうとした。


 腕の傷が開き。


 膝が崩れる。


 少女が身体を支えようとする。


「父さん!」


 レイラは駆け寄りかけ。


 止まった。


「触れてもよろしいですか」


 男が顔を上げる。


 それから。


 小さく頷いた。


 レイラとリューリックで男を支え、床へ座らせる。


 エルナが傷を確認する。


「誰が縫いました」


「自分で」


「最悪です」


 エルナの返事は早かった。


「縫えている」


「糸を通せば、縫ったことになると思わないでください」


「どこかで聞いたような言葉だね」


 テオが言う。


「傷を診る人は、似てくるのでしょうか」


 レイラが答えた。


 門衛は、なおも戸口に立っている。


「規則は変えられない」


「いま、変えてほしいとは言っていません」


 レイラは答えた。


「この方たちを、私たちと一緒に審査の場所まで連れていきます」


「人間の男を、森の奥へ?」


「前回、私たちも通りました」


「お前たちには、羽根と記録があった」


「この方には、娘がいます」


「血はつながっていない」


「本人が父と呼んでいます」


「それは森の血を証明しない」


「家族であることを証明しています」


 門衛は言葉を失わない。


 だが。


 返す言葉を選ぶ時間が長くなった。


「決めるのは、あなたではない」


 ようやく言う。


「はい」


 レイラは認めた。


「だから、決める者の前まで連れていきます」


「拒否されたら」


「その時、改めて話します」


「誰として」


 問いが来た。


 外から来た娘。


 白い羽根を持つ者。


 前回通行を許された客。


 それだけでは。


 森の規則へ口を出す理由にならない。


 レイラは。


 自分の名を言いかけた。


 だが。


 まだ止めた。


「いまは」


 白い羽根を握る。


「この子の記録を預かった者として」


 胸元には。


 フィアの名を書いた板がある。


「そして」


 混血の少女を見る。


「もう一度、同じものを見過ごしたくない者として」


 門衛はレイラを見た。


 長く。


「審査の場所までだ」


 やがて言う。


「正式な入域許可ではない」


「構いません」


「男は監視下へ置く」


「少女から見える場所にしてください」


「要求が多いな」


「前回より、増えました」


 レイラは答えた。


 門衛の口元が。


 ほんの少しだけ動いた。


 笑ったのか。


 呆れたのか。


 分からない。


「一度通った者は、次は静かになるものだと思っていた」


「前回、見落としたものがありますから」


 レイラは言った。


「二度目は、見ないふりをしません」



 ◇


 仮小屋の先。


 国境石を越える。


 レイラにとって。


 二度目だった。


 白い幹。


 深い緑。


 地面を覆う柔らかな苔。


 前回も見た森。


 それなのに。


 同じには見えなかった。


 前は。


 自分が受け入れられるかだけを考えていた。


 いまは。


 人間の父親へしがみ付く混血の少女がいる。


 老いた帰還者がいる。


 名簿を奪われた者がいる。


 森の中へ入れられた者と。


 外へ売り戻された者がいる。


 道は同じ。


 木々も。


 風も。


 けれど。


 見るものが変われば。


 国は別の顔を見せる。


 ルーウェンは、前回と同じ場所で立ち止まった。


 白い幹の根元。


 小さな水の流れ。


「前にも、ここで止まりましたね」


 レイラが言う。


「ああ」


「懐かしいですか」


「前回は、懐かしいと思う余裕がなかった」


「今回は?」


 ルーウェンは。


 後ろを振り返った。


 人間の父親。


 混血の少女。


 森境の兵。


 外から来たレイラたち。


「今回は」


 低く答える。


「森へ腹が立っている」


「それでも戻るのですね」


「腹を立てるためには、戻る必要がある」


 レイラは少しだけ笑った。


「それは、兄様に似ています」


「やめてくれ」


「嫌なのですか」


「あの男と似ていると言われると、怪我が増えそうだ」


「迷信です」


「お前の兄に関しては、経験則だ」


 リューリックが後ろから言う。


「否定はいたしかねます」


 ほんの僅かに。


 空気が緩んだ。


 前方には。


 森の奥へ続く道がある。


 前回も通った道。


 ただし。


 今回は。


 客として通るためではない。


 森の中にある決まりを。


 森の外から戻る者のために問う道だった。


 レイラは。


 兄のいるかもしれない東へ背を向けた。


 完全に捨てたわけではない。


 忘れたわけでも。


 ただ。


 今日。


 自分で西を選んだ。


 兄は東で。


 何かを追っている。


 妹は西で。


 誰かが帰る道を守ろうとしている。


 互いに。


 相手が何を選んだかを知らない。


 それでも。


 兄と反対へ歩くことが。


 兄を裏切ることではないと。


 レイラは、初めて思えた。



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