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第八十九部 王女は、兄とは反対の道を選ぶ話 ② 夜明けの出発と、もう足りないという実感

 夜明けとともに。


 一行は宿を出た。


 森境から来た使者は、治療を受けた右腕を布で吊り、別の馬へ乗っている。


 名を、ファルンといった。


 レイラたちが前にシルヴァスへ入った時にも、森境の詰所にいた男だった。


 直接、長く言葉を交わしたわけではない。


 だが。


 向こうも、レイラとルーウェンを覚えていた。


「前回、通った南枝道は使えません」


 ファルンが言った。


「いつからですか」


 レイラが尋ねる。


「十日前です。橋が落とされました」


「事故か」


 ルーウェンが聞く。


「最初は、そう報告されました」


「いまは違う?」


「橋脚へ斧を入れた跡が見つかりました」


 レイラとルーウェンが顔を見合わせる。


 前回。


 森へ入った時には使えた道。


 今回は。


 意図的に閉じられている。


「誰が」


「分かりません」


「帰還者を止めるためですか」


「その可能性があります」


「それ以外は」


「森の外へ出る者を止めるため」


 ファルンは答えた。


 帰る者を入れない。


 出ようとする者も出さない。


 道は。


 両側から閉じることができる。


「白枝道を使います」


 ファルンが続けた。


「前にも一部を通りましたね」


「覚えています」


 レイラが答える。


 白い幹の木が続く。


 道の分岐へ布が結ばれ。


 森境の者が帰還者を確認していた。


 初めて見る場所ではない。


 だからこそ。


 いま何が変わっているかを見なければならない。


「前回より見張りが少ない」


 ルーウェンが言った。


「南枝道へ人を回しています」


「橋が落ちた道へ?」


「修復のためだと」


「誰の命令で」


「森境会です」


「長老会ではないのか」


「現在、帰還路の管理は森境会へ移っています」


 前回も。


 二つの組織の間に。


 僅かなずれは見えていた。


 長老会。


 森境会。


 古い規則を守る者。


 外から戻る者へ対応する者。


 だが。


 今回は。


 そのずれが、はっきり道の形へ現れている。


「前に入った時より」


 レイラが言った。


「森の中が、割れているように感じます」


「前回は、隠せていた」


 ファルンが答えた。


「いまは?」


「帰還者が増えました」


「なぜ」


「カランの国境周辺で、連れ去られていた者が逃げ出しています。カラベルから戻る者もいる。人間の土地で生まれた子も」


「混血の者も?」


「はい」


 ファルンの声が僅かに硬くなる。


「その受入れを巡り、森の中で意見が割れています」


「前にも聞きました」


 レイラは言った。


「ですが、あの時より深刻なのですね」


「人が増えれば、曖昧なままにはできません」


 前回。


 レイラ一人の血。


 ルーウェン一人の帰還。


 古い誓約。


 それだけなら。


 特例として扱うこともできた。


 だが。


 数十人。


 数百人。


 混血の子。


 人間の夫。


 人間の養父母。


 森の外で生まれ、エルフの言葉さえ話せない者。


 彼らすべてへ。


 同じ答えを出さなければならなくなっている。


「前回は」


 ルーウェンが低く言った。


「私たちは、客として通された」


 レイラを見る。


「今度は、客ではいられない」


「はい」


 レイラも分かっていた。


 自分たちだけが通り。


 守られ。


 滞在を許されるだけでは。


 もう足りない。



 ◇


 昼前。


 白枝道の襲撃現場へ着いた。


 最初に見えたのは、倒れた荷車だった。


 車輪が一つ外れ。


 荷台は横へ傾いている。


 積まれていた布袋は裂かれ。


 衣服。


 乾燥肉。


 薬草。


 子ども用の小さな靴。


 それらが泥の上へ散らばっていた。


 金目の物だけを狙った襲撃ではない。


 銀の留め具は残っている。


 食料も。


 持ち運べる薬も。


「名簿だけを探した」


 テオが言った。


 泥へ膝をつく。


 荷車の下。


 座席の裏。


 板の隙間。


 紙を隠せそうな場所は、すべて刃物で削られていた。


「急いでいたようには見えません」


 リューリックが周囲を確認する。


「追手を警戒しながらも、荷車を丁寧に調べています」


「人数は」


「少なくとも八名」


 泥に残った靴跡。


 馬の蹄。


 引きずられた跡。


「こちらは」


 リューリックが地面を指す。


「連れ去られた方々です。手首を縛られ、北へ歩かされております」


「森の中へ?」


 レイラが尋ねる。


「最初は」


 リューリックは追跡跡を見た。


「その後、二手に分かれております」


「どちらへ」


「一方は北西。もう一方は南西です」


 ファルンが顔を強張らせる。


「南西は、森から離れます」


「再び外へ運ぶための道だね」


 テオが立ち上がる。


「北西へ連れていく者と、南西へ売り戻す者。襲撃者同士でも、目的が一つではない可能性がある」


 ルーウェンは、道端の木へ近づいた。


 白い樹皮。


 低い枝。


 その枝へ、細い布が結ばれている。


「白枝の印だ」


「前にも見ました」


 レイラが言う。


 帰還者へ。


 安全な道を示す白布。


「だが、前回とは違う」


 ルーウェンは布を裏返した。


 結び目の内側へ、小さな木片が挟まれている。


 先端を黒く焼いてある。


「これは」


 ファルンの顔が変わる。


「古い病道の印だ」


 ルーウェンが言った。


「昔は、白布の内側へ炭を挟むことで、道の先に病があると知らせた」


「現在、その合図は使っていません」


「だから使った」


 ルーウェンの目が細くなる。


「前回この道を通った時、印は白布だけだった」


 レイラも覚えている。


 白い布。


 木片などなかった。


「いまの案内役なら、ただの白布だと思う」


 ルーウェンが続ける。


「古い合図を知る帰還者なら、安全な道の中へ警告が混じっていると思い、別の道を探す」


「その先へ、襲撃者がいる」


 レイラが言った。


「ああ」


「百年前の知識を使った罠ではない」


 テオが補う。


「現在の白枝道を知り、さらに古い印も知る者が作った罠だ」


 古い者だけでは作れない。


 新しい者だけでも。


 森の過去と。


 現在の帰還路。


 その両方を知る者。


「内部の人間ですね」


 レイラが言う。


「可能性は高い」


 テオが答えた。


「少なくとも、外の奴隷商人だけでは難しい」


 レイラは、散らばる小さな靴を拾った。


 泥を布で拭う。


 その靴を履いていた子は。


 どこにいるのか。


 北西へ連れていかれたのか。


 南西へ売り戻されたのか。


 すでに。


 歩けなくなっているのか。


 分からない。


「レイラ殿下」


 リューリックが声を掛ける。


「大丈夫です」


 答えたあと。


 セラの顔が浮かんだ。


 大丈夫かどうかは、これから決めます。


 レイラは言い直した。


「……大丈夫ではありません」


 リューリックが僅かに目を見開く。


「ですが、進めます」


「承知いたしました」


「正直でよろしい?」


 レイラが尋ねる。


「はい」


 リューリックの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。



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