↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

450/566

第八十八部 青いインクは、遠い国の傷を同じ紙へ載せる話 ① 外套の内側の記録板と、思わず笑った理由

 リヴェン野戦第三病院を出たあとも、レイラの外套の内側には、一枚の記録板があった。


 フィア。


 その名が書かれた板。


 硬い木の角が、歩くたびに胸元へ触れる。


 重くはない。


 片手で持てる。


 荷物として数えるほどのものでもない。


 それでも、捨てることも、鞄の奥へ入れることもできなかった。


 病院を出た一行は、西へ続く旧交易路へ戻った。


 いくつもの国境と宿駅を越え、その先にあるシルヴァス神聖王国を目指す道。


 地図の上では一本につながっている。


 だが。


 道が描かれていることと、実際に通れることは別だった。


 リヴェン伯国は、大陸の東西を結ぶ道の上にありながら、大きな都市を持たない。


 畑。


 牧草地。


 小さな集落。


 兵が泊まったまま放棄された宿駅。


 国境が静かな時には商人が通り、争いが始まれば難民と負傷者が流れ込む。


 道そのものが、この国の財産であり。


 同時に、不幸でもあった。


 レイラたちは、夕刻前に古い巡礼宿へ入った。


 石造りの一階。


 木造の二階。


 宿の裏には馬小屋と、小さな礼拝堂。


 看板には、片翼の鳥が描かれている。


 宿の主人は、レイラたちの荷物より先に、リューリックの剣とテオの靴を見た。


 剣を持つ者がいる。


 金を払える者もいる。


 子どもがいる。


 疲れた女が二人いる。


 それだけ確かめると、何も尋ねず二部屋を用意した。


「女性二人は奥の小部屋。男四人は大部屋だ」


 セドが顔を上げた。


「俺も男に入ってる?」


「女の部屋へ入りたいのか」


「そうは言ってない」


「なら男だ」


「決め方が雑だ」


「宿の部屋割りは、だいたい雑だ」


 主人は次にリューリックを見る。


「剣は廊下へ出すな」


「手元へ置かせていただきます」


「寝台へ持ち込むな」


「その予定はございません」


「前に同じことを言った騎士が、剣を抱いて眠った」


「私はいたしません」


「自分では分からん」


「目覚めれば分かります」


「隣の奴が先に分かる」


 テオが小さく笑った。


「それは困るね」


「商人は夜中に帳簿を広げるな」


 主人が今度はテオへ言った。


「まだ何もしていない」


「顔が、広げると言っている」


「最近、僕は顔だけで多くのことを決められている気がする」


「分かりやすい顔だからだ」


 ルーウェンが答える。


「あなたまで言うのかい」


「百年生きると、人の顔くらいは分かる」


「百年ぶりに帰る森の顔は?」


 テオが尋ねた。


 ルーウェンの笑みが、一瞬だけ止まった。


「それは」


 短い沈黙。


「見てから決める」


 冗談の形をしていたが、声には僅かな硬さがあった。


 百年。


 古い道。


 古い誓い。


 ルーウェン自身も、帰った先に何が待つか分かっていない。


「食事は半刻後だ」


 主人が言った。


「倒れる前に身体を洗え。倒れてからだと床代を取る」


「治療費ではないのですね」


 レイラが尋ねる。


「うちは宿だ」


「正しい区分です」


「そこの娘は、病院へ長くいすぎた顔だな」


 主人はそう言い残し、厨房へ戻っていった。


 エルナがレイラを見る。


「否定しないの?」


「少しだけ、残っているようです」


「少し?」


 レイラは、胸元の記録板へ触れた。


「かなりかもしれません」


「正直でよろしい」


 エルナの言い方が、セラに似ていた。


 レイラは思わず笑った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。