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第八十七部 妹は、知らない十年間へ触れる話 Another Side:レオン/ニーナ/ガレス 仲間ではなくても、規則は五人分ある話

 朝。


 レオンが目を覚ました時。


 ニーナが、四人の男を自分の前へ並べていた。


 正確には。


 ガレスは壁へ背を預けて座り。


 オルドは片膝を立て。


 ラウルは腹這いに近い姿勢で毛布へ横たわり。


 レオンだけが寝台代わりの藁の上にいた。


 全員、ニーナの前にいるという点だけは同じだった。


「何をしている」


 レオンが尋ねる。


 四人の視線が、一斉に向いた。


「患者一号も起きた」


 ガレスが言う。


「待っていた」


 オルドが続ける。


「嫌な予感しかしない」


 ラウルが呻いた。


 ニーナは、膝の上へ紙を載せている。


 古い祈祷書の余白を切り取ったもの。


 手には炭筆。


「規則を決める」


 ニーナが言った。


「誰の」


「私たちの」


「私たち?」


 オルドが眉を寄せる。


「俺たちは捕虜だ」


「逃げる?」


 ニーナが尋ねた。


 オルドは答えない。


 右手には傷。


 ラウルは背中を縫ったばかり。


 食料も土地勘も十分ではない。


「逃げないなら、しばらく一緒」


「一緒にいるだけで仲間ではない」


 ガレスが言う。


「誰も仲間って言ってない」


「なら規則は不要だ」


「必要」


「なぜ」


 ニーナは四人を順番に見た。


「全員、勝手なことをするから」


 反論がなかった。


「第一」


 紙へ書く。


「痛いところを隠さない」


「反対」


 レオンが即座に言った。


「却下」


「まだ議論が」


「しない」


「規則を決めるなら、全員の合意が必要では」


「痛みを隠して傷を開いた人に、発言権はない」


「厳しいな」


「ガレス」


「何だ」


「昨日より脇腹は?」


「少し痛い」


「少し?」


「かなり」


「よろしい」


 ガレスは褒められても嬉しくなさそうだった。


「オルド」


「右手。脈を打つように痛む」


「ラウル」


「背中。息を吸うとかなり痛い。熱もある」


「レオン」


「心が」


「次」


「扱いが悪い」


 ニーナは紙へ大きく書いた。


 一、痛みを隠さない。


「第二」


「まだあるのか」


 オルドが言う。


「勝手に一人で行かない」


 レオンが視線を逸らす。


 ガレスがレオンを見る。


 ラウルも見る。


 オルドまで見る。


「なぜ全員、俺を見る」


「一番やりそうだから」


 ニーナが答える。


「ガレスも」


「俺は必要なら単独で動く」


「駄目」


「斥候は一人の方が」


「戻ってこなかったら困る」


「二人で行けば、二人とも見つかる」


「なら、行く前に相談」


「戦場では」


「いま戦場?」


「似たようなものだ」


「だから、相談」


 ガレスは口を閉じた。


「オルドとラウルも」


「俺たちは捕虜だぞ」


 ラウルが言う。


「勝手に逃げるのも、一人で行くに入る」


「捕虜へ逃げるなと命令するのは普通だろう」


「命令じゃない。規則」


「同じでは」


「違う」


「何が」


「私も守る」


 ラウルの表情が少し変わった。


 捕虜だけを縛る規則ではない。


 全員へ同じものを求めている。


「第二」


 ニーナは書いた。


 二、勝手に一人で行かない。


「第三。患者を置いていかない」


「それは、お前だけの規則だ」


 ガレスが言った。


「昨日は全員でラウルを助けた」


「あれは、お前が抜くと言ったからだ」


「手伝ったでしょう」


「仕方なくだ」


「じゃあ、また仕方なく手伝って」


「規則にする必要はない」


「ある」


 ニーナは譲らない。


「敵でも?」


 オルドが尋ねる。


「怪我してたら」


「お前を殺そうとした相手でも」


「いま、ここに二人いるでしょう」


 オルドとラウルが黙る。


「助けたあとに裏切られたら」


「その時は怒る」


「それだけか」


「必要なら縛る」


「医療者の言葉ではないな」


「私は正式な医者じゃない」


「便利な時だけ使うな」


 レオンが笑った。


「いい規則だと思う」


 全員がレオンを見る。


「何だ」


「お前が賛成するとは思わなかった」


 ガレスが言う。


「俺は弱者に優しい」


「自分も含めてか」


「かなり」


「では、まず寝ていろ」


「それは別問題だ」


 ニーナは紙へ書いた。


 三、患者を置いていかない。


「第四」


「三つで十分では」


 レオンが言う。


「レオンは、余計なことを言わない」


「待て」


 炭筆が動く。


「それは規則ではなく、俺への迫害だ」


「賛成」


 ガレスが手を上げた。


「俺も」


 オルドが左手を上げる。


「痛くて手を上げられないが、賛成」


 ラウルが言う。


「三対一」


「ニーナも入れれば四対一」


「俺しか反対していない」


「可決」


「民主主義の悪用だ」


「テオが聞いたら喜ぶかもしれないね」


「なぜ商人の名が出る」


「何となく」


 ニーナは第四条を書いた。


 四、レオンは余計なことを言わない。


「余計かどうかを決めるのは誰だ」


「私」


「独裁だ」


「第五を作る?」


「何だ」


「反論しすぎたら、傷を全部見直す」


「第四まででよい」


 即答した。


 ガレスが鼻で笑う。


「弱いな」


「ニーナの診察を受けてから言え」


「受けている」


「では、なぜ平気なんだ」


「慣れた」


「嘘だ」


「第一条違反では?」


 オルドが指摘する。


 ニーナがガレスを見る。


「慣れてない?」


「……少し怖い」


「よろしい」


「これが正解なのか」


 ラウルが毛布へ顔を伏せて笑った。


 傷へ響いたらしく、すぐ呻く。


「痛い」


「よく言えました」


「本当に、これを毎回やるのか」


「言わないよりいいでしょう」


 ニーナは紙を持ち上げた。


「これで決まり」


「署名でもするのか」


 オルドが尋ねる。


「名前を書く」


「俺たちは捕虜だ」


「知ってる」


「行き先も違う」


「いまは一緒」


「仲間ではない」


「それも知ってる」


 ニーナは紙の下へ、自分の名前を書いた。


 ニーナ。


 次にレオンへ炭筆を渡す。


「書いて」


「本名?」


「どちらでも」


 レオンは少し考えた。


 ロド・カナリ。


 そう書こうとして。


 止めた。


 紙へ記したのは。


 レオン。


 ニーナは何も言わなかった。


 次にガレス。


 ガレスは、自分の名だけを書く。


 姓は書かない。


 ラウルは腹這いのまま炭筆を受け取り、乱れた文字で名を残した。


 最後にオルド。


「俺まで?」


「嫌なら、書かなくていい」


 ニーナは強制しなかった。


 オルドは紙を見た。


 ニーナ。


 レオン。


 ガレス。


 ラウル。


 自分を助けた女。


 売るはずだった男。


 契約を破った賞金首狩り。


 元部下。


 どれも味方ではない。


 だが。


 同じ火を囲み。


 同じ道へ出る。


 オルドは左手で炭筆を持った。


 不器用な文字で。


 オルド。


 そう記した。


「これでよいか」


「うん」


 ニーナは紙を折り、自分の薬箱へ入れた。


「なぜお前が持つ」


「一番なくさないから」


「信用がないな」


「武器はなくしても困るけど、薬箱はなくしたら全員困る」


 反論できなかった。



 ◇


 朝食は、硬い黒パンと、昨夜の湯へ薬草を少し入れただけの薄い飲み物だった。


 レオンが黒パンを割ろうとすると、固すぎて手から滑った。


 床へ落ちる。


 全員の視線が集まった。


「いまのは」


「余計なことを言わない」


 ニーナが先に言う。


「まだ何も言っていない」


「顔が言ってた」


「俺の顔まで規則の対象か」


「第四条」


「便利すぎる」


 ガレスがパンを拾い、布で拭いてレオンへ戻す。


「食え」


「優しいな」


「食料を無駄にするな」


「そういうことにしておく」


「第四条」


 今度はオルドだった。


「お前まで使うな」


「便利だ」


 ラウルも笑う。


 ほんの短い時間。


 礼拝所には、追われる者の一行とは思えない空気が流れた。


 だが。


 ガレスが見つけた紙を広げると、空気は変わった。


 黒楡の渡しから押収した簡略地図。


 北東監察道。


 ヴァルガス。


 イタリカ国境。


 焼却対象として記された、青い斜線三本。


「オルド」


 レオンが尋ねた。


「この印を知っているか」


「詳しくは知らない」


「詳しくないことを話せ」


「紙屋の反政府組織だと聞いている」


「誰から」


「上の連絡役」


「名前は」


「知らない。顔も隠していた」


「声は」


「男。中年。イタリカ訛りがあった」


「命令は?」


「青線三本の紙を見つけたら焼く。持っている者は拘束。ヴァルガスの古い印刷所へ近づくな」


 レオンは革袋へ手を入れた。


 古い活字。


 真。


 まだ取り出さない。


「古い印刷所の場所は」


「知らない」


「本当に?」


「第一条は痛みだけだろう」


「嘘を隠す規則も必要だったな」


「増やすな」


「第四条」


 ガレスが言う。


「俺は必要な質問をしている」


「余計な部分が多い」


 ニーナが地図を覗き込んだ。


「その印刷所へ行けば、カミラって人のことが分かる?」


「可能性はある」


「どのくらい」


「分からない」


「なら、分からないって言えてよろしい」


「子ども扱いが続いている」


「成長したでしょう」


 レオンは地図を見た。


 ヴァルガス。


 ヴィクトル。


 青いインク。


 カミラ。


 東へ続く道。


「直接、監察道へは入らない」


 ガレスが言った。


「追手が待っている。南東の巡礼宿を二つ経由し、川沿いからヴァルガスへ入る」


「ラウルは移動できる?」


 ニーナが尋ねる。


「馬車なら」


 ラウルが答えた。


「熱は」


「かなり」


「よく言えました」


「褒められても嬉しくない」


「オルドは」


「右手以外は動く」


「ガレス」


「脇腹は痛いが、御者はできる」


「レオン」


「心が」


「置いていく?」


「脇腹と足が中くらい。肩は少し」


「最初からそう言って」


「努力している」


「実行」


 レオンは苦い顔をした。


 海の上で借りた言葉が、完全にニーナのものになりつつある。


「では」


 ニーナが全員を見る。


「ヴァルガスへ行く」


「お前が決めるのか」


 オルドが言った。


「反対?」


 オルドは少し考えた。


 自分を殺す予定だった組織。


 命令を出した者。


 青い紙を恐れる者。


「反対はしない」


「ガレス」


「道は俺が決める」


「相談して」


「分かった」


「ラウル」


「この背中で一人になるよりはましだ」


「レオン」


「カミラを探す」


 迷いのない声。


 ニーナの目が少しだけ揺れた。


 それでも、逸らさない。


「分かった」


 レオンは彼女を見る。


「よいのか」


「よくはない」


 以前と同じ答えだった。


「でも」


 ニーナは薬箱を閉じる。


「助けたい人がいるなら、助ける方法を探す」


「俺が一人で行くと言ったら」


「第二条違反」


「牢へ入るだけなら」


「患者を一人増やすだけ」


「政治犯の救出は、診療所とは違う」


「だから、分からない人だけで勝手に行かない」


 ニーナは立ち上がった。


 荒くれ者が四人。


 元王子。


 元国境兵。


 元襲撃者。


 元回収部隊。


 剣。


 弩。


 短剣。


 賞金。


 契約。


 その中央で。


 武器を持たない女が、全員の行き先を決めている。


 命令しているつもりはない。


 支配しているつもりも。


 ただ。


 傷を診て。


 名前を聞いて。


 生きるために必要なことを言う。


 それだけだった。


 それなのに。


 誰も逆らえなかった。


「ニーナ」


 レオンが呼ぶ。


「何」


「お前、診療所より大きな場所を任された方がよいかもしれない」


「第四条」


「褒めたのに」


「余計」


「正しい評価だと思う」


 ガレスが言う。


「お前まで」


「ただし」


 ガレスは馬車へ向かう。


「国を任せると、全員患者にされる」


「怪我してなければ患者じゃない」


「お前の周りでは、すぐ怪我をする」


 ラウルが言った。


「それはレオンのせい」


「なぜ俺だ」


「第四条」


 三人の声が重なった。


 レオンは黙った。


 規則制定後、初めて第四条が完全に機能した瞬間だった。



 ◇


 馬車が巡礼路へ戻る。


 御者台にはガレス。


 隣には、左手だけ使えるオルド。


 荷台にはラウル。


 ニーナはその傷を見守り。


 レオンは後方を警戒する。


 まだ仲間ではない。


 誰も忠誠を誓っていない。


 金貨千枚も消えていない。


 裏切る可能性も。


 逃げる可能性も。


 どこかに残っている。


 それでも。


 薬箱の中には、一枚の紙があった。


 ニーナ。


 レオン。


 ガレス。


 ラウル。


 オルド。


 同じ規則の下へ並んだ、五つの名前。


 フィアの名が病院で記録され。


 セラフィナの名が遠い島で黒線に消された頃。


 東へ向かう小さな馬車の中でも。


 番号ではなく。


 役割でもなく。


 五人の名前が、同じ紙へ残されていた。


 旅の仲間と呼ぶには、まだ早い。


 けれど。


 少なくとも。


 誰か一人が消えても、気付かない一行ではなくなっていた。



 ──第八十七部 了


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