第八十三部 守りたい相手は、ひとりではない話 ② 掛け金が持ち上がる石小屋と、今度は止まらないという声
同じ頃。
古い石小屋では、扉の外から掛け金がゆっくり持ち上げられていた。
レオンは、右手に短剣を持っている。
足首を縛っていた縄は切られた。
腰へつながれた鎖だけが残り、その先は床へ垂れている。
完全に自由ではない。
走れば鎖が鳴る。
足を大きく開けば、身体を取られる。
それでも。
戦えない状態ではなかった。
ガレスは、入口の右側へ身を寄せている。
顔色は悪い。
熱もある。
脇腹の傷は、ニーナが二度縫い直した。
それでも短剣を握る手は、震えていなかった。
ニーナは暖炉の脇。
薬箱を抱え。
レオンとガレスの背後にいる。
扉の外から声がする。
「王印を確認した」
「治療者は、生かす必要があるか」
「指示はない」
「では、王印だけでいい」
レオンの胸の奥から。
すべての軽さが消えた。
賞金首。
王印。
金貨千枚。
自分へ向けられる言葉なら、まだ耐えられる。
だが。
ニーナを、不要な荷物のように扱う声だけは。
聞き流せなかった。
「俺の後ろへ」
レオンが言う。
ニーナは動かなかった。
「聞こえたか」
「聞こえた」
「なら」
「後ろへ行ったら、裏から入ってきた人に捕まる」
小屋の裏でも。
枯れ葉を踏む音がした。
少なくとも。
前に二人。
裏に一人。
さらに。
屋根の穴から射線を取る者がいるかもしれない。
「頭を低くして」
ニーナが言う。
「誰に」
「二人とも」
「なぜ」
「湯を使う」
暖炉には。
傷を洗うために沸かした湯が残っている。
ニーナは布を二枚入れ。
木の蓋を半分だけずらした。
「熱湯を掛けるつもりか」
ガレスが小声で尋ねる。
「顔じゃない」
「では」
「手」
ニーナは答えた。
「扉を開ける手に掛ける」
レオンが、少しだけ口元を緩める。
「怖いな」
「黙って」
「はい」
扉が。
少しだけ開いた。
外から伸びた手が、内側の掛け金へ触れる。
ニーナが鍋を傾けた。
湯が。
扉の隙間へ流れる。
「うあっ!」
男の悲鳴。
手が引かれる。
同時に。
ガレスが扉を蹴り開いた。
外にいた男の身体が、扉へ押されて後ろへ倒れる。
レオンが前へ出た。
鎖が床を鳴らす。
二人目が剣を抜く。
レオンは短剣で受けず、相手の手首へ鎖を巻き付けた。
引く。
男の身体が前へ崩れる。
膝を入れ。
短剣の柄を顎へ叩き込む。
男が倒れる。
「右!」
ガレスの声。
レオンが身体を捻る。
小屋の外から。
短い矢が飛び込む。
肩のすぐ脇を通り。
壁へ刺さった。
弩。
林の中。
もう一人いる。
「中へ戻れ!」
ガレスが叫ぶ。
「お前は」
「入口を押さえる!」
別の男が。
小屋の裏口を蹴破った。
ニーナの近く。
レオンからは遠い。
男の灰色の外套。
青い二重線の印。
短剣。
ニーナは後ろへ下がる。
だが。
壁まで。
二歩しかない。
「治療者か」
男が言った。
「悪いが、見られすぎた」
ニーナの喉が動く。
怖い。
身体は。
正直に反応している。
それでも。
薬箱を離さなかった。
「患者を殺すつもり?」
「お前も、すぐ患者になる」
「それは困る」
ニーナは薬箱の蓋を開けた。
男が踏み込む。
ニーナは、中から布袋を掴んだ。
投げる。
白い粉が。
男の顔へ広がる。
「ぐっ!」
刺激の強い乾燥薬草。
鼻詰まりや意識の鈍い患者へ使うものだった。
目と鼻へ入れば。
まともに開けていられない。
「何を!」
男が腕を振る。
刃が。
ニーナの袖を切った。
布が裂ける。
皮膚へ、細い赤い線。
「ニーナ!」
レオンの声が変わった。
倒れた男を蹴り退け。
鎖を引きずりながら、小屋の中へ戻る。
遅い。
鎖が。
足へ絡む。
それでも。
止まらない。
目を押さえた男が。
ニーナの肩を掴んだ。
その瞬間。
ガレスの短剣が飛んだ。
男の手の甲へ刺さる。
「離せ!」
ガレスが叫ぶ。
男の握力が緩む。
ニーナが身体を捻り、腕から逃れた。
レオンが男へ到達する。
顔。
腹。
喉。
どこへ入れれば、二度と立たないか。
身体が。
先に選ぼうとする。
「レオン!」
ニーナの声が飛んだ。
「殺さないで!」
短剣の切っ先が。
男の喉元で止まった。
あと。
指一本。
動かせば終わる。
男は、薬草の粉で涙を流しながら、レオンを見上げている。
「こいつは」
レオンの声が低い。
「お前を殺そうとした」
「分かってる」
「なら」
「聞くことがある」
ニーナは、切られた袖を押さえる。
「それに」
レオンを見る。
「私は生きてる」
レオンの視線が。
ニーナの腕へ落ちる。
血。
浅い。
傷は浅い。
それでも。
血が出ている。
「少しじゃない」
レオンが言った。
「少しだよ」
「お前が言うな」
「私は医療者」
「いまは患者だ」
「そういうところだけ覚えるの早いね」
ニーナの声が。
少し震えている。
強がっている。
怖かった。
いまも。
怖い。
それでも。
レオンを止めるために。
いつもの声を出している。
レオンは短剣を男の喉から外した。
代わりに。
男の手首を鎖で縛る。
「動けば」
低く言う。
「今度は止まらない」
男は答えなかった。
◇
小屋の外では、ガレスが二人目の男と斬り合っていた。
ガレスは強い。
だが。
本来の動きではない。
左へ踏み込むたび、脇腹が遅れる。
剣を受けるたび、膝が沈む。
相手にも、それが分かっている。
傷のある側へ。
執拗に回る。
ガレスの剣が弾かれた。
男の刃が、脇腹へ向かう。
レオンは。
小屋の入口から飛び出した。
足元で鎖が鳴る。
剣を避け。
肩から相手へぶつかる。
傷が痛む。
視界が、一瞬白くなる。
それでも。
男をガレスから引き離した。
「遅い」
ガレスが言う。
「ニーナが襲われた」
「それは、遅れるな」
「同感だ」
敵の男が、立ち上がる。
レオンとガレスを見る。
賞金首。
賞金首狩り。
本来なら。
互いに敵であるはずの二人。
「何だ、お前たち」
男が吐き捨てる。
ガレスが剣を構えた。
「患者一号と二号だ」
「お前が言うのか」
レオンが顔を向ける。
「今は、それでいい」
「気が合ってきたな」
「腹が立つ」
男が踏み込む。
ガレスが正面で受ける。
レオンが横へ回る。
鎖を。
相手の足首へ巻く。
引く。
男の体勢が崩れた。
ガレスの剣が。
手首を打つ。
剣が落ちる。
次に。
柄をこめかみへ入れた。
男が倒れた。
「殺さなかったな」
レオンが言う。
「娘に怒られる」
「学習が早い」
「お前よりは」
林の奥から。
弩の音。
ガレスがレオンの肩を掴んだ。
二人で地面へ伏せる。
矢が。
背後の木へ刺さる。
「一人逃げる!」
ガレスが立とうとする。
ニーナが小屋の入口から叫んだ。
「追わないで!」
「だが」
「二人とも怪我してる!」
「逃げれば、仲間を呼ぶ」
レオンが言う。
「もう呼ばれてる!」
ニーナは。
道標の紙を握っていた。
「私たちがここにいることは、最初から知られてる。追って傷を増やすより、ここを離れる方が先!」
ガレスとレオンが。
同時に彼女を見る。
「正しい」
ガレスが言った。
「正しいな」
レオンも答える。
「なら動いて!」
「はい」
二人の返事が重なった。
ニーナが。
ほんの一瞬だけ呆れた顔をした。
それでも。
口元は少しだけ緩んでいた。




