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第八十一部 王印は、道ではなく人を迷わせる話 Another Side:レオン/ニーナ ③ 見せられた紙と、自分たちで選び始めた道

 日が傾き始める前。


 ガレスは、腰の革袋から折り畳まれた紙を出した。


 灰色の封蝋。


 細い橋の印。


 四人の仲間が死んだ夜、隊長格の男の懐から回収した契約書だった。


 これまでは、渡し場所だけ知っていればよいと思っていた。


 文字の多い紙は、死んだ隊長へ任せていた。


「読め」


 ガレスが、レオンへ紙を渡す。


「信用された?」


「違う」


「では」


「娘に読ませたくない」


「なぜ」


「嫌なことが書いてある気がする」


「勘がよいな」


 ニーナが、横から手を出す。


「私も読む」


「駄目だ」


「もう巻き込まれてる」


「そうだった」


 ガレスは、深く息を吐いた。


「好きにしろ」


 レオンが封を開く。


 一度、誰かが開いたあと、別の蝋で閉じ直してある。


「隊長が読んだ?」


「そうだ」


「内容は聞いた?」


「旧砦へ運べ。それだけだ」


 紙を広げる。


 文字は短い。


 しかし、行間へ多くの意図が隠れている。


王印確保後、イタリカ方面へ一日分の痕跡を残すこと。

以後、ヴェルシャイン王国側の国境路へ転進。

リンデン北方を経由し、指定された旧砦へ搬送すること。

灰橋倉を通過したとの記録を、宿駅三か所へ流すこと。

実荷は灰橋倉へ近づけない。

生存を優先。損傷は許容する。

回収完了後、搬送者の処理は現地責任者へ一任する。


 レオンは、最後の一文で止まった。


「何て書いてある」


 ガレスが訊く。


 レオンは、すぐには答えなかった。


「読め」


「回収完了後」


 レオンが言う。


「搬送者の処理は、現地責任者へ一任する」


「処理」


 ニーナの声が低くなる。


「ガレスのこと?」


「俺たち全員だった可能性がある」


 レオンが答えた。


「五人のうち、誰が残っても。口を塞ぐかどうかは、受け取り側が決める」


 ガレスは紙を奪う。


 文字を追う。


 読めない言葉もある。


 だが、最後の行だけは、ゆっくり読んだ。


「隊長は」


 呟く。


「これを読んでいた」


「おそらく」


「何も言わなかった」


「賞金を受け取ったあと、仲間を出し抜くつもりだったかもしれない」


「あるいは」


 ガレスは、紙を握る。


「俺たちが殺し合うのを待っていた」


「確認する相手は、もういない」


 レオンが言う。


「お前が煽ったからだ」


「否定はしない」


「殴っていいか」


「ニーナが止める」


「患者を殴らないで」


「ほら」


「腹が立つ」


 ガレスは、それでも拳を上げなかった。


「灰橋倉」


 ニーナが紙を見る。


「通らないのに、通ったことにする」


「俺を探す人間を、そちらへ向けるためだ」


 レオンは答えた。


「誰が探すの」


 すぐには答えられなかった。


 カミラ。


 レイラ。


 リューリック。


 ロナン。


 テオ。


 ほかにも。


 自分が消えたと知れば、動く者はいる。


 動いてほしいと思う。


 同時に、動けば罠へ入る。


「家族と」


 レオンが言った。


「仲間」


「カミラも?」


「おそらく」


「追われてるのに?」


「それでも動く女だ」


 ニーナは紙へ目を落とす。


 レオンが追った女。


 レオンを探すかもしれない女。


 自分より、レオンの事情を知っている女。


 胸の中へ、小さく嫌なものが入る。


 それでも、今はそこへ蓋をした。


「旧砦へ行ったら」


 ニーナがガレスへ尋ねる。


「殺されるかもしれない」


「そうだな」


「それでも行く?」


 ガレスは答えなかった。


 金貨千枚。


 娘のための家。


 もう人を追わずに済む暮らし。


 旧砦へ行かなければ、すべては手に入らない。


 だが、行けば自分が帰れない可能性が高い。


 帰れなければ、娘を迎えに行く者もいない。


「次の宿駅へは行かない」


 ガレスが言った。


「どこへ」


「古い炭焼き小屋がある」


「知っているのか」


「国境兵だった頃に使った」


「そこで休む?」


 ニーナが尋ねる。


「ああ」


「傷を診る」


「それもだ」


 ガレスは紙を折る。


「まず、生き残る」


 ニーナが、小さく頷く。


「よし」


「なぜ、お前が満足する」


「患者が自分から生きるって言ったから」


「患者ではない」


「ガレス」


「……患者一号でいい」


「諦めたな」


 レオンが言う。


「お前と話していると、諦めることが増える」


「健康にいい」


「たぶん悪い」



 ◇


 馬車は、正式な宿駅へ向かう道を外れた。


 日が落ち始め、林の影が長く伸びる。


 ガレスの案内する細い道へ入る。


 炭焼き小屋まで、あと半刻。


 その時。


 セドであれば、すぐに気付いたかもしれない。


 古い道標の裏へ、細い枝が一本、逆向きに挟まれている。


 その下には、刃物で刻まれた小さな橋の印。


 ガレスが手綱を引いた。


「どうしたの」


 ニーナが尋ねる。


 男は答えない。


 御者台から降り、道標へ近づく。


 枝。


 橋。


 その横へ、新しい傷が三本。


「何の印だ」


 レオンが荷台から訊く。


「国境兵の古い合図に似ている」


「意味は」


「先に人がいる」


「誰」


「分からない」


 ガレスは、道標の土を指で触る。


 まだ湿っている。


 刻まれてから、それほど時間は経っていない。


 さらに。


 道標の陰から、小さく折られた紙が見つかった。


 端には、青い線が二本。


 ガレスは紙を拾い、レオンへ渡した。


 文字は、たった一行だった。


搬送一。治療者一。王印一。次の橋で回収。


 ニーナの顔から、血の気が引いた。


「治療者」


 自分のことだ。


 リンデンを出る時、誰にもレオンの正体を話していない。


 同行することも。


 賞金首狩りへ強引に認めさせたことも。


 診療所の外では、ほとんど知られていない。


「いつから」


 ニーナが言う。


「見られてたの」


 ガレスは、来た道を振り返った。


 林。


 轍。


 夕暮れ。


 誰の姿も見えない。


「リンデンへ入る前からか」


 低い声で答える。


「あるいは」


 レオンは、青い線を見た。


「村の中に、見張りがいた」


 紙には、三人の人数が正確に書かれている。


 賞金首狩り。


 治療者。


 王印。


 ガレスが短剣を抜く。


「炭焼き小屋へは行かない」


「どこへ行くの」


 ニーナが尋ねる。


「決めていない」


「馬車は」


「止められない」


 再び、同じ言葉だった。


 ただし。


 リンデンを出た時とは、意味が違う。


 あの時は、ガレスが賞金を得るため。


 いまは、三人が生き残るため。


 ガレスは御者台へ戻る。


 レオンを見る。


「縄をどうする」


「外す?」


 ニーナが尋ねる。


「まだだ」


 ガレスは答えた。


「だが」


 少しだけ迷い。


 レオンの右手を柱へつないでいた縄を切る。


 両手が自由になる。


 足首と腰の鎖は残ったまま。


「武器は渡さない」


「十分だ」


「逃げるな」


「ニーナを置いては逃げない」


「俺は」


 ガレスが尋ねる。


「置いていくか」


 レオンは、少しだけ考えた。


「患者一号を置いていけば、ニーナが怒る」


「自分の意思ではないのか」


「少しはある」


「少しか」


「いまは」


 ガレスは、鼻で笑った。


「それでいい」


 ニーナが、二人を見る。


 まだ味方ではない。


 信頼も、十分にはない。


 それでも。


 同じ紙に、三人の存在が書かれた。


 敵から見れば、すでに一つの馬車だった。


「行くぞ」


 ガレスが手綱を鳴らす。


 馬車が進む。


 次の橋へは向かわない。


 炭焼き小屋へも入らない。


 地図へ載らない林道を、三人で進む。


 王印を迷わせるために作られた道の上で。


 迷わされていた三人が。


 初めて。


 自分たちで進路を選び始めた。



 ──第八十一部 了


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