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第七十九部 亡国の王女は、亡国の剣士へ立てと言う話 Another Side:テオ/リューリック 白枝と白羽の横に、剣と帳簿が並ぶ話

 旧塩倉の半分は臨時の治療所となり、残る半分には救出者の名前を確認するための卓が並べられている。


 名を言える者は、自分で言う。


 言えない者には、出身地、家族、仕事、覚えている歌、身体の傷から手掛かりを探す。


 レイラは一人ずつの前へ座り、何度聞き返されても名乗った。


「レイラです」


 王女とは言わない。


「どこから来たの?」


「シルヴァスからです」


「森人?」


「違います」


「では、なぜ耳が尖っている人と」


「一緒に旅をしています」


「あなたも、名前を変えられた?」


 問いへ。


 レイラは、少しだけ考えてから答えた。


「一度、自分で変えました」


「なぜ」


「逃げるために」


「戻したの?」


「はい」


 相手は、それ以上訊かなかった。


 自分で名前を捨てた者と。


 無理に奪われた者。


 同じではない。


 それでも。


 戻すことができた者として、話せるものはある。


 その様子を、リューリックは少し離れた場所から見ていた。


「座らないの?」


 テオが尋ねる。


「周囲を確認しております」


「刺客は死んだよ」


「一人とは限りません」


「傷が開く」


「浅い傷です」


「痛みは」


「あります」


「よくできました」


「その言い方はやめてください」


 テオは帳面を抱え、リューリックの隣へ立った。


「昔から、ああいう方だった?」


「レイラ殿下ですか」


「ああ」


 レイラは、名前を思い出せず泣き始めた女の隣へ座り、急かさずに話を聞いている。


「以前は」


 リューリックは言葉を選んだ。


「より王女らしい方でした」


「いまは違う?」


「いまも王女です」


「答えになっていないね」


「以前は、ご自身が決めたことを人へ伝える立場でした。いまは、決める前に人の話を聞こうとしておられます」


「成長?」


「喪失の結果でもあります」


 国があれば。


 王宮があれば。


 王女は、すべての者へ直接話を聞くことはできない。


 命令し。


 報告を受け。


 責任を負う。


 いまのレイラは、何も持っていない。


 だからこそ。


 一人ずつの前へ座れる。


「よいことばかりではないね」


 テオが言った。


「はい」


「でも、強くなった」


「はい」


 リューリックは、迷わず答えた。


「レオンが見たら、驚くだろうね」


 欠けた王冠の印。


 別路。


 どこにいるか分からない王子。


 リューリックの表情が僅かに硬くなる。


「レオンのことを、どう思っているのかな」


 テオが尋ねる。


「突然ですね」


「君は、レオンの名が出ると傷より痛そうな顔をする」


「そのような顔は」


「しているよ」


 リューリックは答えなかった。


 レオンを守る。


 それが、王国を失ったあとも残った役目だった。


 だが。


 守られることを嫌う王子。


 自分の命を誰より軽く扱う男。


 何度止めても。


 何度救っても。


 また危険へ進む。


「私には」


 リューリックが言う。


「殿下を止めることができませんでした」


「死ぬことを?」


「はい」


「死んではいない」


「いまのところは」


「なら、まだ失敗とは決まっていないね」


「商人らしい考え方です」


「取引は、決済まで終わらない」


「人命を取引へ例えないでください」


「君には効くかと思って」


「効いておりません」


「少しは?」


 リューリックは答えなかった。


 テオは、それ以上追わない。


「刺客を見よう」


 話題を変えた。



 ◇


 刺客の身体は、港の倉庫裏へ運ばれていた。


 白い布は掛けられていない。


 敵の死者と、身元の分からない救出者を同じ列へ置けば、記録が混ざるためだった。


 リューリックは、男の右手を持ち上げた。


 指の付け根。


 親指の腹。


 手首。


「短剣だけではありません」


「何が分かる?」


「弓も使います。指へ弦の跡がある」


「療養院の見張り?」


「可能性はあります。ただし、靴が違います」


 刺客の靴底には、白い砂が詰まっている。


 白石河港の土は、黒に近い川泥。


「どこの砂?」


「河港の下流側にある船着き場でしょう」


 テオが答えた。


「石材を降ろす岸は白砂を敷いている」


「戦いのあと、下流から戻った?」


「あるいは、僕の船へ紛れて入った」


 刺客は、白石河港の中に最初からいたとは限らない。


 救出者を運ぶ舟。


 治療物資を積んだ船。


 商会の人員。


 混乱の中で、出入りした者は多い。


「木札は」


 リューリックが男の首から外した。


ヨナス・エルド。

三十九歳。

左脚骨折。

カラン西部より移送。


「左脚は折れていない」


「名前は?」


 テオは別の帳面を開く。


「ヨナス・エルドはいる。今日、別の倉庫で名前を確認した」


「生きている?」


「ああ。年齢も三十九」


「では、この男は」


「名前だけを奪った」


 同じ名前が、同じ港へ二人。


 死者の名を使うだけではない。


 生きている者の名も複製する。


「本人を殺して、入れ替わるつもりだった可能性がございます」


「確認する」


 テオは商会員へ指示を出した。


 その直後。


 倉庫の屋根で、小さな音がした。


 瓦ではない。


 乾いた木板を踏んだ音。


 リューリックの顔が上がる。


「一人」


「見える?」


「いいえ。ですが、いま動きました」


「追う?」


「護衛を二人」


「君だけでは?」


「一人で追わないと約束しております」


「よく守ったね」


「当然です」


 テオが近くの護衛へ合図を送る。


 二人が剣を抜き、リューリックの後ろへ付いた。


「僕は」


「ここにいてください」


「まだ何も言っていない」


「来るつもりでしょう」


「帳簿の持ち主が逃げるかもしれない」


「剣士ではないのでしょう」


「それを言われると弱いね」


「妹君へ報告します」


「行ってらっしゃい」


 逃げるのが早かった。



 ◇


 屋根の上にいた者は、白石河港の北門へ向かっていた。


 黒い外套。


 小柄。


 足が速い。


 リューリックは地面から追う。


 倉庫の間。


 積まれた樽。


 崩れた塩袋。


 逃げる者は、屋根から別の屋根へ移り、追手が届かないと思っている。


「北門を閉めてください!」


 護衛が叫ぶ。


 だが、門番が動く前に、屋根の男が短弓を引いた。


 矢は門番へ向かう。


 リューリックは走りながら剣を抜き、矢の軌道へ刃を入れた。


 金属音。


 矢は完全には弾けず、門柱へ刺さる。


 男が二射目を番えた。


「武器を捨ててください!」


 リューリックが叫ぶ。


 返事の代わりに矢が来た。


 殺意は明確だった。


 リューリックは避ける。


 矢が肩のすぐ横を通る。


 倉庫の壁へ足を掛け、窓枠を蹴り、低い庇へ上がる。そのまま屋根の縁へ手を掛けた。


 男は弓を捨て、短剣を抜く。


 降伏する気はない。


 屋根へ上がったリューリックへ、正面から飛び込んだ。


 短剣を持つ腕を外へ流す。


 腹へ剣を突き込む。


 男が身体を曲げる。


 まだ短剣を離さない。


 リューリックは剣を引き抜き、首筋を斬った。


 一人目。


 背後で別の足音。


 逃げていたのは一人ではなかった。


 二人目が煙突の陰から現れ、長剣を振り下ろす。


 リューリックは刃を受け止めず、半歩だけ横へ外した。長剣が屋根板を割る。


 その腕が伸び切った瞬間、脇へ斬り込む。


 深い。


 男はよろめきながら、なおも剣を持ち上げた。


 リューリックは胸へ二撃目を入れる。


 ようやく倒れた。


 屋根の端。


 最初に逃げた小柄な者が、手を上げている。


 武器は持っていない。


 十五、六歳ほどの少年だった。


「私は武器を持っていない!」


「そのまま動かないでください」


「殺さない?」


「武器を取らず、逃げなければ」


 少年は震えながら両手を上げた。


 リューリックは剣を下ろさない。


 護衛二人が屋根へ上がり、少年を拘束する。


「名前は」


「セド」


「本名ですか」


「分からない」


「分からない?」


「そう呼ばれてるだけだ」


 少年の首にも、木札が下がっている。


 だが。


 患者名ではない。


 裏面へ、五つの印が描かれていた。


 白枝。


 白羽。


 剣。


 帳簿。


 欠けた王冠。


「誰から渡されました」


「先生」


「顔は」


「見てない」


「どこへ行った」


「知らない」


 リューリックは、少年の目を見る。


 嘘を吐いているようには見えない。


 怯えている。


 だが。


 怯えながらも、何かを隠している。


「何を運んでいたのですか」


「紙だけだ」


「誰へ」


 少年は、北門の外へ視線を向けた。


「次の人」


「どなたです」


「名前は知らない。でも、夜明けに来る」


「どこから」


「東」


 オーランド内陸側。


 白石河の下流。


「合図は」


 少年は答えなかった。


 リューリックは剣を鞘へ戻す。


「言わなくても、あなたを殺しません」


 少年が顔を上げる。


「本当に?」


「はい。ただし、誰かが死ぬと分かっていて黙るなら、その責任は残ります」


「俺は、運べって」


「断れなかった?」


 テオと同じ言葉が、自然に出た。


 少年は黙る。


「知らなかった。仕方がなかった」


 リューリックは続けた。


「それでも、運んだものが人を殺せば、なかったことにはなりません」


「俺は」


 少年の声が震える。


「名前がないんだ」


「だから?」


「仕事をしないと、名前をくれない」


 リューリックは、返事を止めた。


 名前を奪われた者。


 死者の名を付けられた者。


 そして。


 名前を餌に使われる子ども。


「先生は」


 少年が言った。


「仕事を三つ終えれば、本当の名前をくれるって」


「誰の名前ですか」


「俺の」


「あなたの本当の名前を、先生が知っている?」


「そう言った」


「信じているのですか」


「信じないと」


 少年は、唇を噛んだ。


「何もない」


 リューリックは、剣を持つ自分の手を見た。


 敵として弓を射った者は斬った。


 武器を捨てた少年は生かした。


 その境界は、間違っていない。


 だが。


 武器を持つまでに何を奪われたかは、剣だけでは分からない。


「セド」


 リューリックが呼ぶ。


「それは本名ではない」


「いま、あなたを呼ぶための名です」


 少年は、僅かに目を見開いた。


「本当の名前は、先生から買うものではありません」


「でも」


「分からないなら、探します」


「誰が」


「ここにいる方々が」


 リューリックは護衛を見る。


「塩倉へ連れていってください。レイラ殿下とテオ殿へ」


「承知しました」


 少年が連れていかれる。


 その時。


 木札の内側から、薄い紙が一枚落ちた。


 リューリックが拾う。


 短い伝言。


白石に四つ集結。

王印は帝都路へ。

第二幕を開始する。


 リューリックの指が止まった。


「帝都路」


 護衛が繰り返す。


 グランデル帝国の中心へ続く道。


 レオンが、いまどこにいるかは分からない。


 だが。


 敵は。


 欠けた王冠を、帝都へ向かう道の上に置いている。


「テオ殿へ」


 リューリックが言う。


「すぐに、この紙を」


「リューリック殿は」


「レイラ殿下へお伝えします」


 口にするだけで。


 胸の奥が冷える。


 最後に見たレオン。


 無茶をして。


 笑って。


 自分を置いて進んだ王子。


 生きている。


 そう信じたい。


 だが。


 敵は、すでに彼の道を知っている。


 白枝。


 白羽。


 剣。


 帳簿。


 四つは、白石へ集められた。


 欠けた王冠だけは。


 帝都へ向かう別の道で。


 誰かの手の中にある。



 ──Another Side 了


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