第七十九部 亡国の王女は、亡国の剣士へ立てと言う話 ② 旧塩倉に集まった証拠と、こちらで選ぶ道
港の中央にある旧塩倉へ、河川図、焦げた帳面、青い二重線の荷札、白枝の木札、偽造された患者移送札が集められた。
長い卓を囲む。
レイラ。
ルーウェン。
エルナ。
ドルン。
テオ。
肩と脇腹の傷を巻き直されたリューリック。
テオの商会員。
シルヴァスから持ち出された河川図の上へ、港側で押収した帳面が重ねられる。
「白石河港で救出したのは、合計五十六人」
テオが説明した。
「三台の荷車、中庭、地下の炉。それぞれ別の名前を付けられ、死者や行方不明者として運ばれていた」
「森人は」
エルナが尋ねる。
「確認できた範囲では三人。二人はカラン西部で捕らえられ、一人は出身地を話せない状態だ」
「あとで会わせてください」
「ああ。本人たちの体調を見てからだね」
「先生と呼ばれる男は、ここを指揮していたのですか」
レイラが尋ねる。
「現場にいた。ただし、戦いが始まると北西の上流へ逃げた」
テオは帳面の頁を開く。
白枝、森へ帰還。
白羽、シルヴァスへ到達。
古河道、開門の可能性あり。
白石河上流にて合流準備。
先生は北西へ移動。
「私たちの動きが」
レイラは文字を見る。
「河門を開く前から知られていた?」
「日付は、君たちが森を出る前だ」
テオが答える。
「シルヴァスの中に、まだ情報を流している者が?」
ドルンの声が低くなる。
「可能性はある」
ルーウェンは、白い枝の印へ指を置いた。
「だが、この印は違う」
「何が」
テオが尋ねる。
「枝の根元」
白枝の印は、簡素な一本の枝に見える。
よく見れば、根元に小さな切れ込みがあった。
「昔の印にも切れ込みはあった。ただし、左側だ」
「これは右側」
「ああ」
「意味は?」
レイラが尋ねる。
「返し枝」
ルーウェンは答えた。
「道が敵へ知られた時に使う。白い枝が安全の印ではなくなったことを、協力者へ知らせるためのものだ」
「では、この帳面を書いた者は」
「白枝の印を知っているだけではない。道が奪われた時の印まで知っている」
「古い協力者?」
「あるいは、その記録を持っている者だ」
ルーウェンは、帳面の印を見つめる。
「だが、返し枝を自分たちの印として使う理由が分からない」
「警告ではなく」
テオが言う。
「宣言かもしれないね」
「何を」
「白枝の道は、もう君たちのものではない。こちらが奪った、と」
塩倉の中が静かになる。
人を助けるために作られた道。
捕らえられた者を逃がすための印。
それがいま、人を運び、銀を溶かし、麻薬を流す者たちの印へ変えられている。
「戻します」
レイラが言った。
全員の視線が向く。
「何を」
ドルンが尋ねる。
「道を」
レイラは、返し枝の印を見る。
「元の持ち主へ、という意味ではありません。人を攫うためではなく、逃がすための道へ戻します」
「簡単ではない」
ルーウェンが言う。
「分かっています」
「敵は森の中にも、カランにも、オーランドにもいる」
「はい」
「人を助ける道は、敵に知られた時点で使えなくなることもある」
「それでも」
レイラは、木札を下げたまま名前を思い出せずにいる者たちを思った。
「人を名前ごと荷物へ変える道のままには、したくありません」
ルーウェンは、すぐには答えなかった。
やがて。
「なら、まず誰が道を奪ったかを知る」
「はい」
「先生を追う」
「はい」
「ただし」
ルーウェンの目が、レイラへ向く。
「一人で前へ出るな」
「先ほどは出ていません」
「刺されかけた」
「水を求めていた方だと思いました」
「それを言っている」
「反省しています」
「本当に?」
「少し」
「少しか」
「全部分かったと言えば、嘘になります」
以前と同じ答え。
リューリックが、ほんの僅かに口元を緩める。
「何か?」
レイラが尋ねる。
「いえ」
「笑いましたか」
「僅かに」
「記録しますか」
テオが言う。
「その話し方、誰かに似ているね」
「灰十字医療団の記録係です」
リューリックの返事が、少しだけ早かった。
テオは何も言わず、口元だけで笑った。
その時。
倒した刺客の身体を調べていた商会員が、塩倉へ入ってきた。
「会長」
「何かあった?」
「衣服の内側から、これが」
差し出されたのは、細く折られた紙だった。
テオが開く。
紙には文章ではなく、五つの印が描かれている。
白い枝。
白い羽根。
剣。
開いた帳面。
そして。
最後の一つは、欠けた王冠だった。
四つの印には、黒い線が引かれている。
確認済み。
集結済み。
そう示すように。
欠けた王冠だけには、まだ線がない。
「剣は」
レイラが、リューリックを見る。
「おそらく」
テオが答える。
「帳面は、あなた?」
「僕だろうね。あまり嬉しくない評価だけど」
「白枝と白羽は」
ルーウェンとレイラ。
残る印。
欠けた王冠。
リューリックの表情から、僅かに血の気が引いた。
「ご存じですか」
レイラが尋ねる。
「この形は」
リューリックは紙を受け取った。
王冠の片側が欠け、その下へ小さな獅子の線がある。
「リュカリオン王家の正式な印ではありません」
「では」
「レオン殿下が、身分を隠して旅をする際、緊急の連絡へ使っておられた簡略印です」
レイラの胸が冷たくなる。
「兄上を」
声が小さくなる。
「この者たちも、追っている?」
「可能性があります」
リューリックは、紙の裏を確認した。
短い文字が一行だけあった。
四つ、白石へ。
残る王印は、別路にて。
「別路」
レイラが繰り返す。
「どこですか」
「書かれておりません」
「兄上は、生きていた」
「はい」
「そして、この者たちは兄上も探している」
「おそらく」
再会できた。
リューリックが生きていた。
レオンも、少なくとも途中までは生きていた。
胸へ差した光が。
同じ場所から、今度は不安へ変わる。
「先生は」
レイラは紙を握る手へ力を入れた。
「私たちが、ここへ集まることを知っていたのですね」
「知っていたのではない」
テオが答えた。
「集めたんだと思う」
白枝へ、白羽を連れて来いと送る。
港で帳簿を追うテオへ、青い線を残す。
灰十字医療団を襲い、リューリックを西へ動かす。
別々の事件。
別々の道。
だが。
その終点は、同じ白石河港だった。
「私たちは」
レイラは、卓上へ並ぶ印を見る。
「敵を追って、ここへ来たのではないのですか」
「両方だろうね」
テオが言う。
「こちらが追った。同時に、向こうもこちらを運んだ」
「荷物のように」
「ああ」
死者の名で運ばれていた者たち。
自分たちもまた。
気付かないまま。
同じ場所へ運ばれていた。
ルーウェンは、欠けた王冠の印を見る。
「次は、こちらが道を選ぶ」
低い声だった。
リューリックが頷く。
「はい」
「先生を追う」
「その前に」
レイラが言った。
全員が、こちらを見る。
「助けた方々の名前を、取り戻します」
テオの目が、僅かに細くなる。
「なぜ先に?」
「敵が私たちを駒や荷物として数えるなら、同じ数え方をしたくありません」
五十六人。
その言い方だけでは足りない。
誰が。
どこから来て。
誰に名前を奪われ。
何を覚えているのか。
「名前を知り、その方々から話を聞きます。その中に、先生へつながるものもあるはずです」
「急がなければ、逃げられる」
ドルンが言う。
「分かっています」
「また、両方を取るつもりか」
「はい」
「難しいぞ」
「だから、皆さんへ頼みます」
レイラは、一人ずつ見た。
白枝。
剣。
帳簿。
森の弓手。
火傷を持つ男。
自分一人では、何もできない。
だからこそ。
誰かを命じて動かす王女ではなく。
力を借り、道を選ぶ王女になる。
「助けた方々を守る者と、先生を追う者に分かれましょう」
ルーウェンが尋ねる。
「お前は、どちらへ行く」
レイラは、すぐには答えなかった。
逃げた先生。
名前を失った人々。
欠けた王冠。
どれも、放ってはおけない。
「まず」
レイラは答えた。
「名前を聞きます」
リューリックが、静かに頷いた。
「私も残ります」
「リューリック?」
「先生を追うには、証言が必要です。それに」
剣を壁へ立て掛ける。
「殿下を一人にはできません」
「私が守られるだけのように聞こえます」
「違いますか」
「違います」
「では、証明してください」
「どうやって」
「まず、刺されそうな方へ近づかないことから」
テオが小さく笑った。
「よい再会だね」
白い羽根。
白い枝。
剣。
帳簿。
四つは、同じ卓へ集まった。
だが。
集めた者の思惑どおりに動くかどうかは、まだ決まっていない。
少なくとも。
次に進む道は。
こちらで選ぶ。
──第七十九部 了




