↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

407/431

第七十八部 白い羽根と白い枝は、同じ河へ向かう話 Another Side:リューリック/テオ ① 病人の演技は、剣より難しい話

 患者役となったリューリックは、荷車の中で苦しそうに横たわっていた。


 少なくとも、本人はそのつもりだった。


「目が開いている」


 テオが小声で言う。


「周囲を確認しております」


「病人は、そんなに鋭い目で出口を見ないよ」


「危険に備える必要が」


「君は患者役だ」


「患者にも警戒心はあります」


「剣の柄を握りながら?」


 毛布の下で、リューリックの右手は剣へ触れている。


「すぐに動けるように」


「死にかけの患者が、すぐ剣を抜いたら怪しまれるね」


「では、どの程度で」


「何が」


「剣を抜けばよいのでしょう」


「必要になったら」


「基準が不明確です」


「君は本当に演技へ向いていない」


「先に申し上げました」


 三台の荷車は、第二宿駅を出て旧塩道へ入っていた。


 旧塩道は、カラン方面から白石河港へ運ばれた交易品を、オーランド内陸へ送るために使われていた街道である。


 道は白石河と並びながら南東へ下る。


 河は大陸最西端のシルヴァス方面から流れ出し、カラン西部を抜け、オーランド北西部へ入ってきたものだった。


 街道の片側には低い丘。


 もう片側には白石河。


 河岸には、使われなくなった小さな桟橋や古い塩倉が点在している。新しい交易路が整えられてから、正規の商人が使うことは減ったが、人目を避けて荷を動かすには都合がよい。


 テオは灰十字医療団の付き添いを装い、荷車の隅へ座っている。


 質素な外套。


 汚れた革鞄。


 普段の商会長らしい装いは隠していた。


「咳をして」


「必要でしょうか」


「検問が近い」


 幌の隙間から、道の先へ小さな詰所が見える。


 正規の関所ではない。


 木柵。


 見張り台。


 武装した男が四人。


 通行料を取るだけの私設検問所だった。


「どのように咳けば」


「普通に」


「普通とは」


「苦しそうに」


「先ほどから、基準が」


「いまは議論しない」


 荷車が止まる。


 外から声がした。


「移送札を」


 御者役の商会員が偽造された紙を渡す。


「患者は」


「七人」


「見せろ」


 幌へ手が掛かる。


 テオがリューリックの脇腹を指で押した。


「何を」


「咳」


 リューリックは、仕方なく咳をした。


「ごほっ」


 あまりにも小さい。


 テオが、今度は傷の近くを押す。


「痛っ」


 声が出た。


 続いて本物の咳。


 肩が動き、顔が僅かに歪む。


「それだね」


「いまのは演技では」


「自然だった」


 幌が開き、検問役の男が顔を覗かせた。


 テオは布で口元を覆う。


「近づかない方がいい」


「何の病だ」


「高熱と発疹。それから、血の混じる咳」


 男が一歩下がる。


 リューリックは毛布の下からテオを睨んだ。


 血の混じる咳はしていない。


「札には肺病とある」


「悪化した」


「名前は」


 テオが札を見る。


「ヤン・ローレル」


 死者名簿から使われていた名前だった。


 検問役が、リューリックへ尋ねる。


「名前を言え」


「ヤン・ローレルでございます」


 丁寧すぎた。


 男の眉が寄る。


「病人にしては、はっきりしているな」


 テオがすぐに割って入った。


「熱が上がると、時々そうなる」


「どうなる」


「妙に礼儀正しくなる」


「そんな病があるか」


「珍しい症状だね」


「医師なのか」


「付き添いだよ」


「なら黙れ」


「病人へ話させる方がいい?」


 荷車の奥から、別の患者役が激しく咳いた。商会員の一人で、こちらは上手だった。


 検問役の男は、嫌そうに幌を閉じた。


「通れ」


「通行料は」


 御者が尋ねる。


「銀貨三枚」


「通常は一枚だろう」


「感染症なら、消毒代が要る」


 テオが幌の内側から言う。


「二枚だね」


「何だと」


「消毒へ使う酒の相場なら知っている。一枚で足りる」


「患者ごと止めてもいいんだぞ」


「そうすれば、感染者を詰所へ一晩置くことになる」


 外が静かになる。


「二枚で」


 検問役が言った。


「商人ですか」


 リューリックが小声で尋ねる。


「付き添いだよ」


「値切っておられました」


「習慣だね」


「病人の前で」


「君は患者役だ」


 二枚の銀貨が渡され、荷車は再び南東へ動き出した。


「テオ殿」


「何だい」


「先ほど、傷を押しましたね」


「演技のためだ」


「痛みがあります」


「記録係の方へ、正直に書いて」


「テオ殿に押されたため、と」


「僕の名は省いてくれると助かる」


「正確な記録が必要です」


「君も厳しくなったね」



 ◇


 白石河港へ近づくにつれ、街道と河の距離は狭くなった。


 水面には、荷を積んだ小舟が何艘も見える。新しい交易路から外れている場所にしては船が多く、どの舟も荷へ布を掛け、船名を塗り潰したものまであった。


「見える?」


「はい」


「船首が沈んでいる舟が三艘。塩ではないね」


「なぜ」


「塩なら、船腹全体が沈む。前へ偏っているのは、重いものを船首側へ固めているからだ」


「銀貨?」


「銀の塊か、炉の道具かもしれない」


「人では」


「人だけでは、あそこまで沈まない」


 テオは幌の隙間から河岸を見続けている。


 船。


 荷。


 縄。


 桟橋。


 人の動き。


 リューリックは音を聞いていた。


 荷車。


 馬。


 遠くの金属音。


 そして、河の方から聞こえた、かすかな叫び声。


「聞こえましたか」


「ああ」


「人です」


「そうだね」


「止めますか」


「まだだ」


 リューリックの手が、毛布の下で剣を握る。


「テオ殿」


「白石河港へ入る直前だ」


「声がしました」


「分かっている」


「では」


「ここで動けば、桟橋へいる者が舟で逃げる」


「ですが」


「河港の出口を塞いでからだ」


 リューリックは目を閉じた。


 一人を助けるために、後ろの十人を見失うな。


 分かっている。


 それでも、声を聞きながら待つのは難しい。


「あと、どのくらいですか」


「半刻も掛からない」


「その間に」


「死なせない」


 テオの声が、いつもより低かった。


「どうやって」


「僕の船が、下流側で待っている」


 白石河は河港からさらに南東へ流れ、オーランド内陸の水路網へつながっている。その下流を、グラント商会の船で塞いでいた。


「いつの間に」


「第二宿駅へ来る前から手配していた」


「私へは」


「まだ言っていなかった」


「なぜ」


「君は知れば、先に走るだろう」


「信用されていないのですか」


「帳簿を預けるには向いていない」


「また、それを」


「でも、人を助ける時は信用している」


 リューリックは返事をしなかった。


 剣を握る手だけが、少し緩んだ。



 ◇


 白石河港は、港と呼ぶには寂れた場所だった。


 カラン方面から北西より流れてきた白石河が、オーランド領内へ向けて南東へ大きく曲がる場所。その内側へ、石造りの桟橋が三本突き出している。


 周囲には古い塩倉が並び、その半分は屋根が崩れていた。


 正面の大きな建物には、


 療養院。


 そう書かれた板が掲げられている。


 だが、窓には鉄格子が嵌まり、煙突から出る煙は黒い。薬を煎じる煙ではない。銀や鉛を溶かす炉の煙だった。


 三台の荷車が門へ入る。


 武装した男が左右から近づいた。


「予定より早いな」


 御者役の商会員が、捕らえた男から聞いた合図を使う。


「東の記録が動いた」


「荷は」


「七と十二」


 患者七名。


 薬箱十二。


「軽い方は」


「内陸へ」


「重い方は」


「河へ」


 男は頷き、門を開いた。


 荷車が中庭へ入る。


 周囲には、別の荷車が五台。


 患者着を着せられた者たちが二列に並ばされ、手首へ縄を掛けられ、首へ木札を下げられていた。足取りは重く、薬を使われている者もいる。


 リューリックは毛布の下で息を止めた。


 目の前に、助けるべき人がいる。


 だが、まだテオの合図はない。


「降ろせ」


 外から声がする。


 幌が開き、付き添い役のテオが先に降りた。


「患者は、動かさない方がいい」


「ここで診る」


「高熱だ」


「死んだら河へ捨てる」


 男が平然と答える。


 リューリックの指へ力が入った。


 テオは表情を変えない。


「それでは、帳簿の数が合わないね」


「何だと」


「七人を入れた記録がある。六人しか出なければ、差分が残る」


「ここでは、数はこちらが決める」


「なるほど」


 テオは、僅かに周囲を見た。


 桟橋。


 倉庫。


 見張り。


 炉。


 河岸へ停められた舟。


 下流側。


 南東の河面で、遠く帆が一枚上がる。


 グラント商会の合図だった。


 下流を塞いだ。


「リューリック」


 テオが言う。


「もう、患者でなくていいよ」


 毛布が跳ね上がった。


 リューリックは荷車の上で身を起こし、隠していた剣を抜く。


「承知いたしました」


 門を守っていた男が目を見開いた。


「何だ、貴様!」


 男が警笛へ手を伸ばす。


 鳴らされれば、療養院の奥にいる者たちは人質を殺し、帳面を焼き、河船で逃げる。


 止めるだけでは足りない。


 リューリックは荷台から飛び降り、着地と同時に踏み込んだ。


 横薙ぎの刃が、男の喉を深く裂く。


 警笛を握ったまま、男は声も出せずに倒れた。


 二人目が長剣を抜く。


 振り下ろされた刃を外へ受け流し、相手の懐へ身体を入れる。脇腹へ剣を突き込み、そのまま引き抜いた。


 男が崩れる前に肩で押し退け、三人目へ向き直る。


 立ち止まらない。


 一人へ時間を掛ければ、左右から囲まれる。


 倒した者が二度と戦列へ戻れないことだけを確かめ、次へ進む。


「敵襲!」


 療養院の入口から四人が飛び出した。


 槍が二本。


 剣が一本。


 短弓が一張。


「弓を!」


 リューリックが叫ぶ。


 グラント商会の護衛が盾を上げ、矢が革張りの表面へ刺さった。


 その陰からリューリックが走る。


 一人目の槍兵が穂先を向けた。


 真正面から入れば、腹を貫かれる。


 リューリックは半歩だけ右へ外れ、伸びてきた槍の柄を剣で叩き落とした。そのまま間合いを潰し、首筋へ刃を走らせる。


 血が外套へ掛かった。


 振り払う暇はない。


 残る槍兵が背後から突く。


「後ろです!」


 護衛の声。


 リューリックは半身になり、槍を脇へ通した。左腕で柄を抱え込み、相手を引き寄せる。


 近づいた胸へ剣を突き入れた。


 一度。


 深く。


 男の力が抜ける。


 その身体を盾代わりにした直後、弓兵が二射目を放った。


 矢は、死んだ男の背へ刺さる。


 リューリックは身体を弓兵へ突き飛ばし、視界が塞がれた一瞬で距離を詰めた。


 弓兵が弓を捨て、腰の短剣へ手を掛ける。


 抜かせない。


 斜めに振り下ろした刃が腕を断ち、そのまま胸へ食い込んだ。


 男が倒れる。


 残る剣士が足を止めた。


 四人いた仲間のうち、三人はすでに地面へ沈んでいる。


「剣を捨ててください」


 リューリックが言った。


 声だけは、いつもと変わらない。


「いまなら、斬りません」


「ふざけるな!」


 男が踏み込む。


 答えは出た。


 リューリックは正面から受けず、相手の左側へ回った。振り下ろされた刃が地面へ落ちた瞬間、首の付け根を斬る。


 男は二歩進み、そのまま倒れた。


 かつて、リュカリオン最強の剣士と呼ばれた男。


 王国を失ったあとも、剣を捨てることはできなかった。


 街道の護衛。


 地下闘技場。


 傭兵同士の殺し合い。


 昨日まで隣で酒を飲んでいた者が、翌朝には敵の陣へいるような時代を、リューリックは八年近く生き延びてきた。


 戦場で手を抜いた者から死ぬ。


 情けを掛けるなら、相手が武器を捨てたあとだ。


 レオンが隣にいないいま、無謀に前へ出る王子を止める必要はない。代わりに、誰を斬り、誰を生かし、どの命を先に守るか、その判断をすべて自分で引き受けなければならなかった。


「次!」


 リューリックは叫んだ。


 武器を持ったまま近づく者は斬る。


 捨てた者は生かす。


 それが、人質を一人でも多く守るための境界だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。