第七十八部 白い羽根と白い枝は、同じ河へ向かう話 ② 武器ではなかった木箱の中身
木箱の中に入っていたのは、武器ではなかった。
古い河川図、幾つもの通行札、白い枝を彫った木札、知らない文字で書かれた手紙、人の名と日付だけが並ぶ薄い帳面、小さな鍵。
底には、白い布へ包まれた金属の輪があった。
「指輪ですか」
「河門の鍵だ」
「鍵には見えません」
輪の外側には三つの突起があり、通常の鍵穴へ差し込む形ではない。
「古い水門の軸へ嵌める」
ルーウェンは河川図を床へ広げた。
大陸最西端に位置する、シルヴァス神聖王国。
その南東部の森から、一本の細い川が外へ流れ出している。川は幾つもの支流を集めながら南東へ下り、シルヴァスと長く争っているカラン人民国西部の山間を抜ける。
その先でオーランド民主連合国の北西部へ入り、さらに大きな河へ合流していた。
大河はそのままオーランド領内を南東へ流れ、内陸の町、交易路、複数の河港を結んでいる。
カラン方面からオーランドへ入って最初に現れる大きな河港。
そこへ、白石河港の名が記されていた。
「シルヴァスから見れば、南東に当たる」
ルーウェンが言った。
「森の外へ出たあと、カラン西部を越えなければならない。正規の陸路なら関所を通る。避けて進めば、山中を大きく迂回することになる」
「シルヴァスとカランは、いまも争っているのでしょう」
「ああ。正面から通れる道ではない」
「陸路なら、どのくらいですか」
「関所と主要街道を避ければ、七日以上は掛かる」
「古い河道なら?」
「水量が保たれていれば、三日ほどだ」
ルーウェンの指先が、シルヴァス南東部から延びる細い線を辿る。
現在の本流とは途中で分かれ、森の地下へ入り、山の根元を抜け、カラン西部の谷間へ出る。そこから再び地上の川へ合流し、オーランド北西部の白石河港へ下る道だった。
「川が、地面の下を通っているのですか」
「一部だけだ。自然にできた地下水路を広げ、昔の森人が交易へ使っていた」
「いまは?」
「閉じている」
「なぜですか」
「人攫いに使われた」
ルーウェンは淡々と答えた。
森からは薬草、木材、樹脂が運び出され、外からは塩、鉄、布が運び込まれた。
かつては、シルヴァスとカラン、その先のオーランドを結ぶ交易路だった。だが、やがてカラン側の仲買人や人攫いが道を知り、荷に紛れて森人を連れ出すようになった。
シルヴァスは水門を閉じた。
河道の入口を木の根で覆い、道に関する記録の多くを封じた。
「白枝は、その道を使っていたのですか」
「途中までだ」
「森が閉じたあとも?」
「正式な河道は閉じていた。だが、補修用の小道と水門は残っていた」
「それを使って、人を逃がした?」
「ああ」
かつて人を攫うために使われた道を逆に辿り、捕らえられた者たちをオーランドやカラン側からシルヴァス方面へ逃がした。
それが、白枝の道だった。
「白い羽根が必要なのは、なぜでしょう」
レイラは胸元の革袋へ触れた。
「森の水門を開くためですか」
「鍵だけでは足りない」
ルーウェンは金属の輪を手に取る。
「河門は、物理的な鍵と森の許可、その両方がなければ開かない」
「白い羽根が、森の許可?」
「正確には、話を聞かせる」
「また、聞くだけ」
「ああ」
「開けるかどうかは、森が決める」
「そうだ」
レイラは少しだけ息を吐いた。
便利な道具ではない。
命じれば開く扉でもない。
白い羽根は、自分へ答えを返すのではなく、自分の言葉を森へ届けるための印だった。
「敵は」
エルナが河川図を覗き込む。
「白枝が河道を知り、白羽が森へ声を届けると知っている」
「かなり古い記録を持っている」
ルーウェンが答えた。
「あるいは、あなたの仲間だった者がいる?」
レイラが続けると、ルーウェンは否定しなかった。
白枝は、一人ではなかった。
荷車を出す者、通行札を書く者、宿の裏口を開ける者、小舟を残す者。その中の誰かが、いまも生きている。
あるいは、記録を別の者へ渡した。
「先生と呼ばれていた者」
フィアの証言。
顔を隠した男。
白枝の帰還を知り、白羽を連れてこいと命じた者。
「心当たりは?」
エルナが尋ねる。
「多すぎる」
「信用していた者の中にも?」
「ああ」
ルーウェンは薄い帳面を開いた。
そこには短い名前が並んでいる。
人間。
森人。
異国の文字。
同じ頁へ何種類もの言語が書かれ、日付の横には白い枝、黒い石、鳥、魚と、幾つもの記号が残されていた。
「協力者の名ですか」
「一部だ」
「一部?」
「本名を書かなかった者も多い」
「なぜ」
「捕まった時に、ほかの者へ辿れないように」
助けるために作った記録。
同時に、誰かを守るため、あえて足りなくした記録。
「この中に、先生と呼ばれていた者は」
「分からない」
「またですか」
「ああ」
「あなたは、知らないことが多いですね」
「お前もだ」
「私は、まだ二十五年しか生きていません」
「私は長く生きても、分からないことが増えただけだ」
言い返せないような、言い返したいような答えだった。




