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第七十七部 帰ってきた者は、昔の名で呼ばれる話 ③ 川へ下りる道と、一人ではなくなった今

 議会が休憩へ入ると、レイラは食堂の外へ出たルーウェンを追った。


 彼は、川へ下りる細い道の途中で立ち止まっていた。


 朝日が木々の間から差し込み、水面へ細かな光を落としている。


「白枝」


 レイラが呼ぶ。


 ルーウェンの眉が、ほんの少し寄った。


「その名で呼ぶな」


「嫌なのですか」


「ああ」


「なぜ」


「昔の名だ」


「昔のあなたも、あなたでしょう」


「お前まで、議会のようなことを言うな」


「議会の方が正しい時もあります」


「珍しいことではない」


「では、認めるのですね」


「何を」


「九十七年帰らなかったのは、森を守るためだけではなかった」


 ルーウェンは川を見る。


「罰していたのですか」


 返事はない。


「自分を」


「分からない」


「あなたは、私へ言いました」


 レイラは、その隣へ立った。


「父が優しかったことも、王として間違えた可能性も、両方覚えていればよいと」


「ああ」


「なら、あなたも覚えてください」


「何を」


「八人を守れなかったことも、助けた人がいたことも」


「同じ重さではない」


「同じ重さでなくても、両方です」


「簡単に言うな」


「簡単ではありません」


 レイラは川へ視線を移した。


「私は昨日まで、父を優しい人だと思っていました。今日からは、森の二十三人を閉じたかもしれない王としても覚えます」


「それは、お前が選んだことだ」


「はい」


「私へ押し付けるな」


「押し付けていません」


 少しだけ腹が立つ。


「お願いしています」


「命令ではなく?」


「森では、命じないのでしょう」


「私は森ではない」


「昨日も聞きました」


「答えは同じだ」


「では、何ですか」


 ルーウェンは、また黙った。


「白枝?」


「違う」


「ルーウェン・シルヴァス?」


「ああ」


「私の同行者?」


「いまは」


「それだけですか」


 しばらくして、ルーウェンは小さく息を吐いた。


「帰る場所まで連れてきた者だ」


 レイラは、その言葉の意味を考えた。


「私が、あなたを?」


「ああ」


「私は連れてきてもらったつもりでした」


「両方だろう」


 完全な答えではない。


 けれど、ルーウェンにしては十分に多くを話した。


「では」


 レイラは言う。


「今度は、一人で外へ出ないでください」


「何も決まっていない」


「白枝へ帰還を伝えた者を、追うのでしょう」


「ああ」


「私も関係があります」


「お前は森へ残れ」


「またですか」


「危険だ」


「私は、すでに狙われています」


「だからだ」


「あなた一人なら安全なのですか」


「少なくとも、お前よりは」


「九十七年間帰らなかった方の判断を、全面的には信用できません」


 ルーウェンが僅かに言葉を失う。


 レイラは続ける。


「私は、何でも一人で背負うなと、いろいろな方から言われました」


「お前は、背負いすぎるからだ」


「あなたもです」


「私は」


「九十七年です」


 時間の長さを、そのまま返す。


「かなり重いと思います」


 ルーウェンは、ついに顔を逸らした。


 否定できないらしい。


「次に道を決める時は」


 レイラは言った。


「私へも話してください」


「約束はできない」


「では、努力を」


「それなら」


「足りません」


「どちらだ」


「約束してください」


 ルーウェンは、しばらく川を見たあと、小さく頷いた。


「話す」


「いつ」


「決める前に」


「本当に?」


「ああ」


 レイラは、ようやく満足した。


「では、戻りましょう」


「どこへ」


「治療小屋です」


「もう治療した」


「ネリスさんが、まだ終わっていないと言っていました」


「聞いていない」


「私へ頼まれました」


「何を」


「逃がさないように、と」


 ルーウェンは森の奥を見る。


 逃げ道を探している。


「約束した直後です」


 レイラが言う。


「これは、別件だ」


「商人のようなことを言わないでください」


「誰だ、それは」


「まだ会っていません」


 レイラは、彼の外套の袖を掴んだ。


「行きます」


「自分で歩ける」


「逃げるでしょう」


「逃げない」


「本当に?」


 ルーウェンは、今度こそ答えなかった。



 ◇


 治療小屋では、フィアが温かい煮込みを食べていた。


 セルノが椀を持っている。


「自分で食べられる」


「腕も傷付いている」


「口は動く」


「こぼす」


「父さんよりは上手」


 セルノは、返す言葉がない。


 レイラが入ると、フィアが顔を上げた。


「王女様?」


「はい」


「お菓子は?」


「あなたまでですか」


「森へ戻ったら、王女様がいるって聞いたから」


「王女への期待が偏っています」


「持ってないの?」


「ありません」


 フィアは心底残念そうな顔をした。


「王女様なのに」


 レイラは肩を落とした。


 ルーウェンが隣で言う。


「百年言われるぞ」


「誰のせいで、その言葉に説得力があると思っているのですか」


 フィアが少しだけ笑った。


 その笑いのあと、顔を歪める。


「痛みますか」


 レイラが尋ねる。


「少し」


「どこが」


「足と、肩と、それから父さんを見てると頭が」


「最後は、私の責任か」


「ほとんど」


 セルノは、さらに小さくなった。


「フィア」


 ルーウェンが呼ぶ。


「捕らえられている間、白枝という名を聞いたか」


 フィアの表情から笑みが消える。


「聞いた」


「誰が」


「顔を隠した男。ほかの見張りは、その人を先生って呼んでた」


「何と言っていた」


 フィアは、記憶を探すように目を閉じる。


「白枝が森へ戻れば、白羽も道を開く、って」


 レイラとルーウェンが目を合わせる。


「ほかには」


「二つが揃えば、昔の河を使える」


「昔の河?」


「分からない。それから」


 フィアは、自分の右足へ巻かれた包帯を指した。


「そこへ、何か入れられた」


 ネリスが動いた。


「いつ」


「捕まって、三日目くらい。傷へ薬を塗ったあと、包帯を巻き直された」


「痛みは」


「ずっと痛かったから、分からなかった」


 ネリスは包帯を慎重に外す。


 傷。


 薬草。


 当て布。


 その間から、小さな油紙が落ちた。


 セルノが拾おうとする。


「触るな」


 ルーウェンが止める。


 ネリスが細い器具で開く。


 中には、白い枝を一本だけ描いた古い印。


 その下へ、短い文章があった。


白枝へ。

道を閉じても、名は残る。

白羽を連れ、白石河港へ来い。

来なければ、次は森ではなく、町を燃やす。


「白石河港」


 レイラが読む。


「どこですか」


「シルヴァスから南東だ」


 ルーウェンは、紙に描かれた白枝の印を見つめた。


「森の外へ出て、カラン西部を越えた先。オーランド民主連合国の北西部へ入る河港だ」


「カランの向こう?」


「ああ。森人を連れ出していた古い河道と、陸の交易路が合流する場所でもある」


「行くのですね」


 ルーウェンは、すぐには答えなかった。


 約束したばかりだった。


 決める前に話すと。


「行く必要がある」


「私も?」


「それを」


 一度、言葉を止める。


「これから話す」


 約束を守ろうとしている。


 レイラは頷いた。


 白枝。


 白羽。


 昔の河。


 森だけでは終わらない道が、再び開こうとしている。


 だが今度は、九十七年前とは違う。


 ルーウェンは一人ではなかった。



 ──第七十七部 了


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