第七十七部 帰ってきた者は、昔の名で呼ばれる話 ① 夜明け前の帰還と、再び開かれた議会
救出された九人が外縁集落へ戻ったのは、夜が明ける少し前だった。
最初に姿を見せたのは、肩を貸し合いながら歩く二人の森人だった。その後ろへ泥だらけのエルナとガルムが続き、さらに担架、捕らえた敵、負傷者を支える者たちが、木々の間から一人ずつ現れた。
見張り台から木笛が鳴る。
三度、短く。
最後に一度、長く。
全員生存を知らせる合図だった。
集落で待っていた者たちは、歓声を上げなかった。
泣く者。
名を呼ぶ者。
駆け出しかけて止められる者。
帰ってきた顔を一人ずつ確かめ、触れてよいのか迷いながら、それでも手を伸ばしていく。
喜びは、声より先に身体へ現れていた。
レイラも、客人の家の前から歩き出した。
ルーウェンを探す。
銀髪。
緑の外套。
泥に汚れた長靴。
彼は列の最後にいた。
左腕へ浅い傷がある。
頬にも、細い血の線が付いていた。
けれど、自分の足で歩いている。
「戻りましたね」
レイラが言うと、ルーウェンは足を止めた。
「ああ」
「怪我をしています」
「浅い」
「痛みは」
「ない」
「本当に?」
ルーウェンは、わずかに顔を背けた。
「少しだ」
「最初から、そう言ってください」
「誰に習った」
「いろいろな方です」
レイラは彼の左腕を確かめようと手を伸ばしたが、その前にネリスが後ろからルーウェンの背を杖で叩いた。
「治療小屋へ行きな」
「必要ない」
「今度は右も叩くよ」
「脅しか」
「治療の案内だよ」
杖がもう一度上がる。
ルーウェンは反論をやめた。
「行く」
「初めからそう言いな」
ネリスは満足そうに鼻を鳴らし、次の負傷者へ向かった。
レイラは、その背中を見送ったあと、ルーウェンへ小声で尋ねる。
「ネリスさんは、皆へあのような治療を?」
「私には昔からだ」
「特別なのですね」
「嬉しくはない」
その言葉を聞き、レイラはようやく少し笑った。
帰ってきた。
約束どおり。
その事実が、胸の奥へゆっくり染み込んでくる。
「フィアさんは」
「セルノのところだ」
ルーウェンが視線で示す。
少し離れた場所。
フィアは担架へ横たわり、その脇にセルノが膝をついていた。
父親は、娘の手へ触れようとしている。
だが、フィアは握らせない。
「痛いところは」
セルノが尋ねる。
「全部」
「水は」
「飲んだ」
「腹は」
「減ってる」
「何か持ってくる」
「動かないで」
セルノの身体が止まる。
「逃げる気でしょう」
「逃げない」
「前も、そう言った」
「言っていない」
「言わないで逃げた」
「……そうだった」
フィアは目を閉じたまま、父親の袖を掴んだ。
「許してないから」
「ああ」
「道を開けたことも、皆を危険にしたことも、私の言葉を聞かなかったことも」
「ああ」
「だから、勝手にいなくならないで」
セルノの顔が歪んだ。
「分かった」
「約束して」
「約束する」
「皆の前で、もう一度言って」
「ああ」
「逃げたら」
「どうする」
「ネリス婆様に、足を折ってもらう」
近くで傷薬を準備していたネリスが振り返る。
「片方でいいのかい」
「両方」
「任せな」
セルノは、初めて本気で怯えた顔をした。
フィアの口元が、ほんの少しだけ緩む。
許したわけではない。
罪が消えたわけでもない。
それでも、娘は父親が生きて責任を負うことを望んでいた。
「森の裁きは」
レイラが言う。
「すぐには終わらないのですね」
「終わらせない」
ルーウェンは答えた。
「罰して追い出せば、見なくて済む」
「楽になる?」
「残った側はな」
「本人は」
「逃げたままだ」
セルノのことだけを言っているのではないように聞こえた。
レイラはルーウェンを見る。
彼はすでに歩き出している。
治療小屋へ向かう背中。
九十七年と四か月。
森へ戻らなかった男。
白枝。
外で使われていた名。
レイラは、その後ろを追った。
◇
朝の治療が一段落したあと、森議会が再び開かれた。
今回は円堂ではない。
負傷者たちから離れすぎないよう、外縁集落の共同食堂が使われた。
長い卓。
丸太の椅子。
壁際には、豆の煮込みを作った鍋が残っている。
森議会というより、食事の途中に全員が難しい話を始めたような場所だった。
セルノは卓の端に座っていた。
手は縛られていない。
ただし、根道を開くための木札と短剣は没収され、左右にはガルムとドルンが立っている。
フィアも治療小屋へ運ばれる前に同席を求めた。
寝台へ横たわったまま、食堂の入口近くにいる。
「セルノ」
サリエルが呼ぶ。
「はい」
「根道を開き、外から来た者を森へ入れたことを認めるか」
「認めます」
「レイラ・ヴァン・リュカリオンの所在、白羽の存在を外へ伝えたか」
「伝えました」
「森議会の日程は」
「伝えていません」
食堂の中へ、低いざわめきが広がる。
責める声もあった。
フィアを見て、口を閉じる者もいた。
「理由は」
サリエルが尋ねる。
「娘を取り戻すためです」
「それで、ほかの者が死んでもよいと思ったか」
「思っていませんでした」
「違う」
フィアが寝台から言った。
セルノが顔を向ける。
「思わなかったんじゃない」
声は弱い。
それでも、はっきりしていた。
「考えなかっただけでしょう」
セルノは返事をしなかった。
「私のことしか見てなかった」
「ああ」
「だから、ほかの子に矢が飛ぶところまで考えなかった」
「ああ」
「考えなかったことも、責任でしょう」
娘の言葉が、父親へ届く。
セルノは、ゆっくり頭を下げた。
「そのとおりだ」
フィアは目を閉じた。
疲れたらしい。
それでも、退席するとは言わなかった。
サリエルは、しばらく二人を見たあと、議会の者たちへ向き直る。
「最終の裁定は、救出された者たちの証言が揃うまで保留する。それまでセルノは、根道、水路、外縁警護のすべてから外す。議会の許可なく集落を離れることも禁じる」
「はい」
「逃亡した場合」
ネリスが口を開く。
「足は私が預かるよ」
「裁定へ勝手に付け足すな」
サリエルが言う。
「治療上の提案だよ」
「却下する」
「残念だね」
セルノは、少しだけ安堵したような、それでも安心してよいのか分からない顔をしていた。
「さらに」
サリエルは続ける。
「フィアを含む救出者の生活、治療、失われた仕事の補填を、セルノにも担わせる」
「当然です」
「娘だけではないぞ」
「分かっています」
「本当に?」
問いに、セルノはすぐには答えなかった。
「これから、分かります」
レイラは、その言葉を聞いた。
分かりました、ではない。
分かろうとします、とも少し違う。
責任を負いながら、これから知る。
セルノなりに、逃げ道を付けないための答えなのだろう。




