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第七十六部 王女は、森へ頼む話 Another Side:リューリック/テオ 剣士と商人は、同じ銀貨を違って見る話

 第二宿駅の食堂では、朝から卓が一つ占領されていた。


 海燕号の寄港記録。


 西側第七倉庫の焦げた帳面。


 青い二重線の荷札。


 偽造された灰十字医療団の移送札。


 襲撃者から見つかった命令書。


 軽い新銀貨。


 正しい重さの旧銀貨。


 薬箱の納品記録。


 死者名簿。


 紙だけで、卓の木目が見えない。


「多いですね」


 リューリックが言った。


「僕の荷物の大半は紙だからね」


 テオは、海運帳簿を開きながら答えた。


「剣より軽いけど、持つと肩が凝る」


「商会員の方へ運ばせておられましたが」


「正確だね」


「事実です」


「君、記録係と一緒にいたせいで、少し厳しくなった?」


 リューリックの動きが止まる。


「なぜ、そのように」


 テオの視線は、胸元から僅かに覗いている油紙へ向いていた。


「その包み」


「記録です」


「聞いていないよ」


「では、なぜ」


「君が大事そうに持っている紙だから」


 テオは、少しだけ口元を緩める。


「書いた人も大事なのかなと思ってね」


「医療団の公的記録です」


「なるほど」


「何でしょうか」


「公的記録は、袖まで縫ってくれるんだね」


 リューリックは、自分の肩口を見る。


 エルゼが最後に直した縫い目。


 整っている。


 反対側には、リューリックが彼女の袖へ残した少し歪んだ縫い目がある。


「これは、別件です」


「そう」


「はい」


「では、別件として覚えておくよ」


「覚える必要はございません」


「商人は、細かいことも覚えるんだ」


「値段が付かないものまで?」


「値段の付かないものほど、後で高くつく」


 テオは満足そうに帳簿へ視線を戻した。


 リューリックは、話題を変えるために青い線の荷札を取る。


「こちらが、海燕号から見つかったものですか」


「ああ。薬草箱の中に、麻薬原料が隠されていた」


「十二箱」


「帳面には記載なし。ただし、船体の沈み方と岸壁の跡が合わなかった」


「船を見て、分かったと」


「船は帳簿より正直だからね」


 テオは、灰十字医療団の偽造移送札を並べる。


「こちらは第七倉庫。空白の状態で束になっていた」


 リューリックは、エルゼから預かった本物の写しを隣へ置いた。


「記入欄の間隔が違います」


「どのくらい?」


「ごく僅かです」


「君が見抜いた?」


「エルゼさんです」


「記録係の方?」


「はい」


「やはり大事な人だ」


「記録上、重要な方です」


「記録上は?」


 リューリックは、返事をしなかった。


 テオは笑いを抑え、二枚の紙へ戻る。


「紙質も違うね。偽物は港で大量に作った紙だ」


「本物は」


「内陸の工房。繊維が粗い。水へ濡れた時の波打ち方も違う」


「見分けられますか」


「乾いていれば。でも、関所の役人が一枚ずつ透かすとは思えない」


「灰十字の印があれば、通す」


「病人を止めた結果、死なれたくないからね」


 人を救うための仕組み。


 それを利用して。


 麻薬。


 銀貨。


 人間。


 何でも運ぶ。


「襲撃者は」


 テオが命令書を読む。


「移送札を回収し、記録係を連行するよう命じられた」


「はい」


「殺せ、ではないんだね」


「偽造を見分ける方法を聞き出すつもりだった可能性があります」


「それから消す」


 テオの声が、少しだけ低くなる。


「おそらく」


「記録係の方は無事?」


「はい」


「君が守った?」


「医療団の皆様が守りました」


「君も?」


「はい」


「怪我は」


「少し」


 テオが顔を上げた。


「痛いと言えるようになったんだ」


「なぜ、それを」


「ロドから聞いた話では、君は昔から何でも『問題ありません』で済ませるから」


「殿下は、余計なことを」


「本人が一番言えないのにね」


「はい」


 二人とも、少しだけ黙った。


 レオン。


 いま、どこにいるのか分からない。


 無事かどうかも。


 それでも。


 ここで止まるわけにはいかない。


「まず、分かったことを整理しよう」


 テオは、帳面の余白へ線を引いた。


「港から麻薬原料が入る。正しい重さの銀貨が、代金として港側へ戻る。その一方で、内陸へは軽い銀貨が流される」


「正しい銀貨を回収し、軽い銀貨を流通させております」


「差分の銀は、再鋳造される」


「武器、別の銀貨、あるいは資金になります」


「そして、荷を運ぶ時には、偽の患者名を使う」


 リューリックは、移送記録の写しを開く。


「同じ名前が、異なる搬送元から使われていました」


「名前は?」


「ヨハン・レルム。四十四歳」


 テオは、港側の帳面をめくった。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 指が止まる。


「いるね」


「どこに」


「三か月前、海燕号が港へ入れた患者移送の記録」


「同じ名ですか」


「ああ。年齢も同じ。ただし」


 テオは、別の名簿を出した。


「ヨハン・レルムは、五年前に死んでいる」


「死者名を使用した」


「一人だけではない」


 海運帳簿。


 医療団の移送札。


 襲撃者の紙。


 複数の名前を照合する。


 死んだ者。


 行方不明者。


 身寄りのない者。


 すぐに確認されにくい名前ばかりだった。


 その中で。


 テオの手が止まる。


「エリオ・バルト」


「ご存じですか」


「ああ」


 テオの表情から、軽さが消えた。


「三年前、ラグナ沖で消えた水夫だ。遺体は見つかっていないが、船団記録では死亡扱いになっている」


「その名が」


「患者として二度、内陸へ運ばれている」


 一度目。


 レヴォナ方面。


 二度目。


 ブリエン北側。


 どちらも、青い二重線。


「死者の名を使っているだけでしょうか」


「それなら簡単なんだけどね」


 テオは、エリオ・バルトの死亡記録の写しを出した。


「別の記録では、移送済みになっていた」


「生存している可能性が?」


「分からない」


「では」


「名前だけが使われているのか。本人が生きて運ばれたのか。別人へ、その名を与えたのか」


 テオは、紙を閉じる。


「どれも、あり得る」


「確認が必要です」


「ああ」


「すぐに」


 リューリックが立ち上がろうとする。


「待って」


 テオが止めた。


「何をでしょうか」


「どこへ行くつもり?」


「移送先です」


「二か所ある」


「近い方から」


「五日前の記録だよ。もう誰もいない可能性が高い」


「それでも」


「君は、目の前に人がいる可能性があると、すぐ走るね」


「テオ殿は、走らないのですか」


 声が、少しだけ硬くなる。


「走るよ」


 テオは答えた。


「ただし、走る方向を決めてからだ」


「遅れれば、人が死にます」


「急いで一台止めても、次の十台が別の道を通る」


「その一台に、人がいるなら止めるべきです」


「その一台を泳がせれば、十台の行き先が分かるかもしれない」


「荷ではありません」


 リューリックの声が低くなった。


「人です」


「分かっている」


「分かっておられるなら」


「君こそ」


 テオの目が鋭くなる。


「一人を助けるために、後ろにいる十人を見失うつもり?」


 二人の間へ、沈黙が落ちた。


 宿駅の食堂。


 朝の光。


 湯気の消えかけた茶。


 同じ事件を追っている。


 だが。


 見ている場所が違う。


 リューリックは、目の前の人を見る。


 テオは、その人を運んできた流れを見る。


 どちらも間違っていない。


 だからこそ。


 簡単には譲れない。


「私は」


 リューリックは言った。


「目の前に助けられる方がいるなら、見捨てられません」


「僕も、見捨てろとは言っていない」


「では」


「人を降ろす」


 テオは、街道図を広げた。


「荷車は、そのまま進ませる」


「空の状態で?」


「偽の患者と、偽の荷を載せる」


「囮ですか」


「ああ。こちらが見つけたと知られずに、行き先まで追う」


「護衛は」


「僕の商会から出す。表向きは、新しい御者と付き添い」


「途中で、確認された場合は」


「偽の患者役に、君がなる?」


「私が?」


「傷もあるし、顔色も悪くできそうだ」


「演技の経験はございません」


「黙って横になっていればいい」


「その間、誰が守ります」


「君は患者だから守られる側だね」


「適性がないと思われます」


「僕もそう思う」


 二人は、少しだけ黙った。


 先ほどまで張っていた空気が、僅かに緩む。


「ほかの方を」


 リューリックが言った。


「そうしよう」


「初めから、そのつもりでは」


「君なら断ると思ったから、確認した」


「商談でしたか」


「もちろん」


「費用は」


「君が患者役を断った分、高くつく」


「請求されるのですか」


「記録係の方へ送ろうかな」


「やめてください」


 テオは、声を上げずに笑った。


 だが。


 すぐに真顔へ戻る。


「次の移送は、明日の夜だ」


「どこから」


「この第二宿駅」


 リューリックの目が細くなる。


「ここから?」


「ああ。患者七名。薬箱十二。付き添い二名」


「記録は」


「すでに宿駅へ届いている」


 テオは、写しを出した。


 青い二重線。


 患者名。


 症状。


 搬送元。


 搬送先。


 七人のうち。


 三人は、死亡記録が見つかった。


 二人は、存在を確認できない。


 一人は、十年前に行方不明。


 最後の一人。


「こちらは」


 リューリックが指を止める。


「ナタリア・ヴェルン。十六歳」


「何か?」


「灰十字医療団の記録では」


 エルゼから預かった写しを開く。


「三日前、東側の救護所へ到着しております」


「本人が?」


「はい。発熱と脚の傷。現在も治療中です」


「なら、明日ここを通るナタリアは」


「別人です」


 名前が。


 また。


 二人分、存在している。


「患者七名を降ろす」


 テオが言う。


「本物の患者であれば、保護する。荷箱も中身を入れ替える」


「そのうえで、荷車を進ませる」


「ああ」


「行き先を確認したあと、押さえる」


「できれば、さらに上まで追いたい」


「人命を優先してください」


「証拠もだ」


「人命を」


「両方だよ」


 テオは、リューリックを見る。


「君が人を見る。僕が流れを見る」


「役割分担ですか」


「取引だね」


「条件は」


「勝手に一人で突っ込まない」


「テオ殿も」


「僕は剣士じゃない」


「だからこそ、危険な場所へ先に入らないでください」


「妹にも言われた」


「では、守ってください」


「君もね」


 二人は、同時に頷いた。


 完全に納得したわけではない。


 考え方も違う。


 それでも。


 一人では見えないものがある。


「では、明日の夜までに」


 リューリックが言う。


 その時。


 食堂の扉が、激しく開いた。


 宿駅の少年が、息を切らして立っている。


「会長!」


「何だい」


「西から、患者の荷車が来た!」


 テオとリューリックが顔を見合わせる。


「明日の夜では」


 リューリックが言う。


「予定が変わったらしいね」


 テオは立ち上がった。


「何台?」


「三台! 薬箱も積んでる!」


「患者は」


「見えない。全部、幌が閉まってる。でも」


 少年の顔は青かった。


「一台目の床から、血が落ちてる」


 予定より早い。


 相手も。


 何かを急いでいる。


「テオ殿」


「ああ」


「人を先に」


「分かっているよ」


 テオは、焦げた帳面を閉じた。


「流れは、そのあとだ」


 リューリックは剣を取る。


 同じ銀貨を。


 違う場所から見てきた二人が。


 初めて。


 同じ方向へ走り出した。



 ──Another Side 了


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