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第七十六部 王女は、森へ頼む話 ④ 穴から出た九人と、過去を告げる木笛

 最初の捕虜が穴から出た。


 ネリスが引き上げる。


 次。


 その次。


 セルノは、出てくる顔を一人ずつ確かめた。


 フィアではない。


 まだ。


 五人目。


 六人目。


 七人目。


 そして。


 ルーウェンが穴から姿を現した。


 背中に。


 銀髪の女を背負っている。


「フィア」


 セルノの声が、壊れた。


 フィアが顔を上げる。


「父さん」


 セルノが駆け寄る。


 ルーウェンの背から、フィアを受け取ろうとする。


 その前に。


 フィアの右手が動いた。


 父親の頬を叩く。


 乾いた音。


「来ないでって言った!」


 セルノは、何も言えなかった。


「罠だって、分かったでしょう!」


「ああ」


「道を開けたの?」


「ああ」


「馬鹿!」


「ああ」


「私のために、皆を危険にしたの?」


「ああ」


 フィアの目から、涙が落ちる。


「そんなことをして助けられても、嬉しくない!」


「分かっている」


「分かってない!」


「分かっていなかった」


 セルノは、娘の前へ膝をついた。


「いまも、全部は分かっていない」


 レイラと同じ答えだった。


「だが、間違えた。お前を助けたいと言って、別の子どもを殺すところだった」


 フィアは、父親を見下ろしている。


 怒っている。


 泣いている。


 それでも。


 もう一度、手を上げることはしなかった。


「帰ったら」


 フィアが言う。


「全部、話して」


「ああ」


「皆の前で」


「ああ」


「逃げないで」


「約束する」


 フィアは、ようやく父親の肩へ手を置いた。


 許したわけではない。


 だが。


 触れた。


 それだけで。


 セルノは声を上げずに泣いた。



 ◇


 九人全員が、補修路から救出された。


 死者はいない。


 重傷者は二人。


 フィアを含む三人は、自力で歩けなかった。


 敵は三人を捕らえ、二人が逃げた。


 残る者は。


 焼けた水車小屋の中にいなかった。


「指揮していた者は」


 ガルムが、捕らえた男へ尋ねる。


「知らない」


「命令は誰から」


「紙だ」


「顔を見ていない?」


「見ていない」


 また。


 紙の向こう。


 名のない指示。


 男の持ち物からは、短い命令書が見つかった。


白羽の娘を確保できない場合、捕虜を処分。

ルーウェン・シルヴァスが現れた場合は、戦わず退け。

白枝へ帰還を伝えよ。


 ルーウェンの顔から、表情が消えた。


「白枝」


 エルナが呟く。


「何のことですか」


 ネリスが尋ねる。


 ルーウェンは答えない。


「知っているのかい」


「ああ」


「誰だ」


「誰か、ではない」


 命令書を受け取る。


「昔の呼び名だ」


「何の」


 ルーウェンの指が、紙を強く握る。


「私が」


 森を出る前。


 九十七年前。


「外で使っていた名だ」


 誰かが。


 ルーウェンの帰還を知っている。


 しかも。


 彼が森へ戻る前の名を知っている。


 フィアたちを捕らえ。


 セルノを脅し。


 レイラを森へ誘い込み。


 そのうえで。


 ルーウェンへ、帰還を伝えようとしていた。


「最初から」


 エルナが言った。


「王女だけが目的ではなかった?」


 ルーウェンは、南の暗い森を見る。


 逃げた者たちは、すでに遠い。


 追えば。


 まだ、間に合うかもしれない。


 だが。


 背後には、救出した者たちがいる。


 傷付いた者。


 歩けない者。


 フィア。


 ルーウェンは、追わなかった。


「戻る」


 短く言った。


「よいのか」


 ガルムが尋ねる。


「ああ」


「白枝を知る者が逃げた」


「知っている」


「追わなくてよいのか」


 ルーウェンは、フィアを支えるセルノを見る。


 救出した九人。


 治療を始めるネリス。


 それから。


 遠く森の奥にいるはずのレイラを思う。


「戻ると約束した」


 その一言で。


 追跡は終わった。


 少なくとも。


 今夜は。



 ◇


 外縁集落へ、救出成功の木笛が届いた。


 三度。


 短く。


 最後に、一度長く。


 客人の家の前で待っていたレイラは、その音を聞いた。


「どういう意味ですか」


 書記が答える。


「全員、生存」


 レイラの身体から力が抜ける。


 その場へ座り込みそうになり、壁へ手をついた。


「よかった」


 声が震えた。


「本当に」


 涙が出る。


 森へ頼んだ。


 情報を送った。


 それでも。


 助けたのは。


 水門を動かした者。


 補修路へ入った者。


 捕虜を運んだ者。


 戦った者。


 そして。


 逃げ道を教えたフィア。


 先に逃されたナディア。


 誰か一人ではない。


 レイラは、白い羽根を両手で持った。


「ありがとうございました」


 森へ。


 誰へともなく。


 頭を下げる。


 足元の苔が。


 ほんの少しだけ光った。


「返さなければ」


 レイラが言う。


「何を」


 書記が尋ねる。


「借りたのでしょう」


「森の道を?」


「声を運んでもらいました」


「何を返す」


 レイラは、すぐには答えられなかった。


「まだ、分かりません」


「そうか」


「ですが」


 白い羽根を革袋へ戻す。


「忘れません」


 その時。


 南から、もう一度木笛が鳴った。


 今度は。


 救出成功ではない。


 古い警戒の合図。


 森へ戻った者の中に。


 過去を連れてきた者がいる。


 そう告げる音だった。



 ──第七十六部 了


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