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第七十六部 王女は、森へ頼む話 ② 暗い森の合流と、交わした約束

 客人の家の外へ出る。


 森の夜は、暗かった。


 月は高い。


 枝葉の隙間から落ちる白い光が、地面へまだらに広がっている。


 レイラは、羽根を両手で持った。


 何をすればよいのか分からない。


 呪文も知らない。


 森人の術も使えない。


 ただ。


 森へ入った時、羽根は自分の名を聞いた。


 なら。


 今度は、願いを聞いてもらう。


「お願いします」


 声に出した。


 何も起きない。


「ルーウェンたちへ、伝えてください」


 風が、少し動いた。


「焼けた水車小屋の上流。白樺を三本越えた、裂けた岩の根元に水門があります」


 白い羽根は光らない。


「水門を開けば、小屋の下へ流れる水を止められます。補修路から、中へ入れるかもしれません」


 枝が鳴る。


 遠くで、夜鳥が一声だけ鳴いた。


「私は、森へ命じることはできません」


 レイラは、羽根を胸元へ押し当てた。


「ですが、助けてください」


 フィア。


 九人の捕虜。


 セルノ。


 ネリス。


 二十三人。


 戻れなかった者たち。


 今度は。


 戻したい。


「声を、運んでください」


 羽根の根元へ引かれた透明な樹脂が、ほんの少し温かくなる。


 次の瞬間。


 足元の苔へ、淡い光が走った。


 細い。


 消えそうな緑色。


 それが木の根へ入り、一本から次の一本へ移っていく。


 森の奥へ。


 南へ。


 根から根へ。


 レイラの声を運ぶように。


「届いたのでしょうか」


「分からぬ」


 書記が答えた。


「ですが」


 レイラは、暗い森を見る。


「届いたと、信じます」


「信じることと、届くことは別だ」


「はい」


 レイラは頷いた。


「だから、別の使者も出してください」


 書記の口元が、わずかに動く。


「慎重だな」


「頼むだけで終わってはいけないと、思いました」


「誰に教わった」


「何人もいます」


 兄。


 ルーウェン。


 エッダ。


 ネリス。


 森議会。


 ここまで出会った者たち。


 そして。


 名前だけしか知らない、二十三人。


 書記は、すぐに若い森人を呼び、水路図の写しを持たせた。


 レイラは、光が消えた根元へしゃがむ。


「お願いします」


 もう一度。


 今度は、小さく言った。



 ◇


 南根を抜けた先。


 ルーウェンたちは、焼けた水車小屋から半刻ほど離れた森の中にいた。


 先頭はエルナ。


 続いてガルム。


 セルノ。


 ネリス。


 最後にルーウェン。


 当初、残るよう命じられていたネリスは、誰にも止められなかった。


「私は医者だよ」


 そう言い。


 フィアのためだけではなく、捕らえられている全員の治療が必要になると主張した。


 正しかった。


 そして。


 誰も、彼女が残れると思っていなかった。


「見えた」


 エルナが声を落とす。


 木々の向こう。


 月明かりの下に、黒い建物がある。


 屋根の半分は焼け落ちている。


 水車は止まり、片側だけ水へ沈んでいた。


 見張りは二人。


 入口。


 裏手。


 屋根の上にも一人。


「外は三人」


 ガルムが言う。


「ナディアの話どおりだ」


「中に四人」


 セルノが短剣を握る。


「フィアは地下だ」


「まだ動くな」


「月は」


「分かっている」


 ルーウェンは、森の音を聞いていた。


 川。


 風。


 木の葉。


 その中へ。


 異なる音が混じる。


 根の下。


 ごく淡い振動。


 ルーウェンは地面へ片手を置いた。


 緑色の光が、指先へ触れる。


「何だ」


 ガルムが尋ねる。


「声だ」


「誰の」


 ルーウェンは、目を閉じた。


 言葉として、はっきり聞こえるわけではない。


 だが。


 白樺。


 三本。


 裂けた岩。


 水門。


 補修路。


 知っている声の感触がある。


「レイラか」


 ネリスが言った。


「ああ」


「森へ頼んだのかい」


「そうらしい」


 ルーウェンは、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「残ると言ったのに、何もしないつもりはなかったか」


「王女様だからね」


「王女だからではない」


「では?」


 ルーウェンは立ち上がる。


「レイラだからだ」


 それ以上は言わず、川上へ視線を向けた。


「水門を探す」


「時間がない」


 セルノが言う。


「正面から入れば、地下へ火を付けられる」


「なら」


「娘を助けたいなら、待て」


 強い声だった。


 セルノは歯を食いしばる。


 それでも、今度は走り出さなかった。


「分かった」


 短く答える。


「今度は、待つ」



 ◇


 白樺を三本越える。


 裂けた岩。


 その根元は、太い蔓と苔に覆われていた。


 エルナが蔓を切る。


 下から、石の取っ手が現れた。


「これか」


 ガルムが両手を掛ける。


 動かない。


 ルーウェンも加わる。


 二人。


 さらに、セルノ。


 三人で押しても、石は僅かに軋むだけだった。


「百年近く、動かしていない」


 ルーウェンが言う。


「九十七年かい」


 ネリスが尋ねる。


「水門の話だ」


「お前の家よりは使われているかもね」


「いま言うことか」


「緊張してるんだよ」


 ネリスは杖の刃を石の隙間へ差し込んだ。


「これで押しな」


「折れる」


「九十七年戻らなかった男よりは役に立つ」


「その話は、あとにしろ」


 四人で力を掛ける。


 石が、少しずつ持ち上がった。


 川の音が変わる。


 水が迂回水路へ流れ込み、土の下を走り始めた。


 水車小屋へ向かっていた流れが、目に見えて減っていく。


「補修路へ」


 ルーウェンが言う。


 川辺の土を掘る。


 半分崩れた木板。


 その奥に、暗い穴があった。


 大人一人が、身体を横へすれば通れる。


「私が先に行く」


 セルノが言う。


「いや」


 ルーウェンが止める。


「なぜだ」


「お前は、娘を見れば周囲が見えなくなる」


「そんなことは」


「ここまでの結果が、そう言っている」


 セルノは反論できなかった。


「私が行く」


 ルーウェンは、短刀を抜いた。


「エルナは後ろ。ガルムは外の見張りを。ネリスとセルノは入口で待て」


「また待てか」


「救出した者を運ぶ役がいる」


 セルノは、暗い穴を見る。


 拳を握る。


 それから。


 ゆっくり頷いた。


「連れて帰ってくれ」


「ああ」


「全員だ」


「努力する」


「約束しろ」


 ルーウェンは、少しだけセルノを見る。


 レイラと同じ言葉だった。


「約束する」



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