↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

394/447

第七十六部 王女は、森へ頼む話 ① 一刻半の猶予と、声を聞いてもらう羽根

 月が真上へ届くまで、残された時間は一刻半もなかった。


 南根から逃げてきた少女は、外縁集落の治療小屋へ運ばれている。


 年は、レイラより五つほど下に見えた。


 銀髪は泥と汗で固まり、裸足の裏には深い傷がいくつもある。両手首には縄の跡が残り、身体には大人用の古い外套を巻いていた。


 それでも。


 意識はある。


 フィアが生きていることも。


 焼けた水車小屋に、ほかの森人たちが捕らえられていることも。


 そして、月が真上へ来れば、全員殺されることも。


 少女は、自分の口で伝えた。


「何人ですか」


 サリエルが尋ねる。


 少女は、薬草茶の椀を両手で抱えたまま答えた。


「九人」


「森人だけか」


「分からない。耳の丸い人もいた。でも、ずっと顔を隠されてたから」


「見張りは」


「小屋の中に四人。外に、たぶん三人。馬が五頭いた」


「武器は」


「剣と弓。それから、火を付ける油」


 最後の言葉に、治療小屋の空気が硬くなる。


 焼けた水車小屋。


 火を付ける油。


 中へ人を閉じ込めたまま、証拠ごと焼くつもりなのだろう。


「入口は一つか」


 ルーウェンが尋ねる。


「表の扉は一つ。でも、水車の下に穴がある」


「水路か」


「狭くて、私は通れた。でも、大人は難しいと思う」


「なぜ、水路を知っていた」


 少女は俯いた。


「フィアが教えてくれた」


 セルノの身体が、わずかに動く。


「フィアが?」


「昔、あの水車小屋で遊んだことがあるって。水が少ない時なら、木の板を外して外へ出られるって」


「なぜ、フィアは来なかった」


 セルノの声は掠れていた。


 少女は、答えにくそうに彼を見る。


「私を先に行かせた」


「なぜだ」


「一人なら、見つかりにくいから。それに」


 少女は、椀を握る指へ力を入れた。


「フィアは、足を怪我してる」


 セルノが立ち上がった。


「行く」


「待て」


 ガルムが肩を掴む。


「放せ」


「一人で行けば、見張りへ合図を送られる」


「娘が殺される!」


「お前が走り込めば、全員殺される!」


 二人の声がぶつかる。


 ネリスは、何も言わなかった。


 ただ、フィアの木の鳥を握り、目を閉じている。


 レイラは、寝台に横たわる少女を見る。


「お名前を伺ってもよいですか」


「ナディア」


「ナディアさん」


「さん、はいらない」


「では、ナディア」


 レイラは、彼女の前へ膝をついた。


「水車小屋まで、どのくらい走りましたか」


「分からない。ずっと森だったから」


「上り坂は?」


「最初は下り。途中で川を渡って、そこから少し上った」


「川幅は」


「私が三人、横に寝られるくらい」


 基準が独特だった。


 それでも、レイラは頭の中で距離を考える。


「水車は、動いていましたか」


「動いてない。壊れてた」


「水は?」


「流れてた。でも、水車の横で二つに分かれてた」


「二つ?」


「一つは小屋の下。もう一つは、石の壁の向こう」


 ルーウェンが顔を上げた。


 サリエルと視線を交わす。


「迂回水路か」


「古い水車なら、あるだろう」


 サリエルが答えた。


「水量が増えた時、車輪を守るための逃がし道だ」


「開閉は」


「場所による」


「記録を」


 レイラが言った。


 全員の視線が向く。


「二十三人の記録に、水路を預かっていた方がいました」


 最初に読んだ名。


 アレス・フェイン。


 川辺の集落で生まれ、水路を守る仕事をしていた。


 泳ぎは得意。


 魚を捕るのは下手。


「アレスさんの記録に、昔の水路図はありませんか」


 書記が眉を寄せる。


「個人記録の付録に、仕事の記録が残されている可能性はある」


「確認してください」


「王女」


 ルーウェンが呼ぶ。


「お前は残る」


「分かっています」


「本当に?」


「約束しました」


 レイラは、まっすぐ彼を見る。


「だから、ここでできることをします」


 ルーウェンは、少しだけ黙った。


「なら、急げ」


「はい」



 ◇


 二十三人の木札と記録は、客人の家へ置かれたままだった。


 レイラと書記は、アレス・フェインの資料を探した。


 一枚。


 二枚。


 家族記録。


 水路の管理記録。


 外へ出る者へ持たせた食料の一覧。


 古い森道の修繕記録。


 どれも必要な紙である。


 だが、いま探しているものではない。


「水車小屋の名は」


 書記が尋ねる。


 ナディアは、正式な名を知らなかった。


 焼けた水車小屋。


 南根から半日。


 川が二つに分かれる場所。


「地図はありませんか」


「森の道は変わる。紙の地図は、百年持たない」


「では、水路は」


「川は、森道ほどは変わらぬ」


 書記は、アレスの記録束を裏返す。


 最後に。


 薄い木板が一枚、布の間から滑り落ちた。


 刻まれているのは、川の流れだった。


 南根。


 細い支流。


 古い橋。


 水車。


 車輪の横へ延びる迂回水路。


「これです」


 レイラは、木板を卓へ置いた。


 書記が油灯を近づける。


 水車小屋の下。


 太い水路。


 その脇に、細い線がもう一本刻まれている。


「逃がし水路ではありませんね」


 レイラが言う。


「古い歩道だ」


 書記は、指で線を追った。


「水路の補修へ入るためのものだろう」


「ナディアが通った穴?」


「おそらく」


 だが。


 大人が通れないほど狭いと言っていた。


 木板の記録では、人一人が立って歩ける幅がある。


「崩れたのでしょうか」


「あるいは、入口だけが塞がれている」


 書記は、木板の端に刻まれた小さな印へ気付いた。


 円。


 その内側に、三本の横線。


「水門の印だ」


「開けば、どうなりますか」


「上流の水を、補修路へ逃がす」


「人がいるのに?」


「本来は、作業前に閉じる。だが、逆に使えば」


 書記の顔が変わった。


「水車小屋の下へ流れる水を、止められる」


 水が止まれば。


 水車下の穴から、大人も入れる可能性がある。


 さらに。


 小屋へ火を付けられても、迂回した水を戻せば、火を消すことができるかもしれない。


「水門は、どこに」


 木板の裏側へ、短い文章が刻まれていた。


白樺を三本越え、裂けた岩の根元。

水へ命じず、石へ頼め。

急に開けば、下にいる者が流される。


「水へ命じず」


 レイラが読む。


「石へ頼む?」


「森人の言い方だ」


 書記は答えた。


「水を直接止めるのではない。水門の石を動かし、流れを変える」


「ルーウェンと同じです」


 森へ入った日。


 彼は木へ命じなかった。


 西の根を借りると言った。


 道を借り。


 通ったら返す。


 森の力は、従わせるものではない。


 頼み。


 借り。


 返すもの。


「この情報を、どう伝えますか」


 ルーウェンたちは、すでに南根へ向けて出発している。


 木笛では、複雑な内容を送れない。


 追い付く使者を出せば、時間が掛かる。


 レイラは、胸元の革袋へ触れた。


 白い羽根。


「森へ、頼めますか」


 書記が目を細める。


「白羽を使うつもりか」


「使えるのですか」


「知らぬ」


「知らない?」


「白羽は、王家が森へ命じるための物ではない。声を聞かせるための印だ」


「なら」


 レイラは、羽根を取り出した。


「声を、聞いてもらいます」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。