第六十九部 夜更けの茶には、少しだけ本音を混ぜる話 ⑥ 被服庫の衣装と、低い声
翌朝。
被服庫には、複数の衣装が並べられていた。
晩餐会へ出るための服。
祝宴へ出るための服。
外交の場で使う服。
辺境伯府へ滞在する客人のために用意された服。
深い青。
灰色。
淡い緑。
赤紫。
黒に近い紺。
細い刺繍。
柔らかな布。
動きやすさを残した仕立て。
肩を覆うもの。
首元を少しだけ開けたもの。
腰の線を整えるもの。
旅装とは、まったく違う。
カミラは、戸口で立ち止まった。
「多すぎないか」
「選ぶためです」
アーデルハイトが答える。
「一着でよい」
「最初から、一着だけを出しても、選んだことにはなりません」
リヴィアが言った。
「見るだけだと言った」
「見るだけでも、構いません」
リヴィアは、笑っている。
最初から、見るだけで終わらせるつもりはない顔だった。
カミラは、濃灰色の手袋を外した。
自分の右手を見る。
傷跡。
指先。
自由に動く。
次に、並べられた衣装へ視線を向ける。
「動きやすいもの」
「分かっています」
「派手すぎないもの」
「分かっています」
「剣を隠せるもの」
「晩餐会で、剣を持つのですか」
「念のためだ」
アーデルハイトは、少しだけ困ったように眉を寄せた。
「短剣であれば、仕立てを工夫できます」
「アーデル」
リヴィアが、呆れたように言う。
「合わせるの?」
「不安を残したままでは、落ち着かないでしょう」
「そういうところは、コンラート様に似ているわ」
「必要な部分であれば、構いません」
数日前ならば、否定していただろう。
リヴィアは、少しだけ目を細めた。
「では、探しましょう」
衣装を選ぶ時間は、思っていたよりも長くなった。
濃い色の方が、カミラには似合う。
淡い色でも、悪くはない。
刺繍が多すぎれば、本人が落ち着かない。
動きにくい袖は、すぐに却下された。
胸元が開きすぎているものも、カミラが無言で棚へ戻した。
「これは?」
リヴィアが、一着の衣装を手に取る。
カミラは、少しだけ考えた。
布へ触れる。
指先で、仕立てを確かめる。
短剣を隠せる位置を見る。
肩。
腰。
裾。
歩幅。
動ける。
それでいて、いつもの上着とは違う。
「……悪くない」
カミラは言った。
リヴィアとアーデルハイトが、顔を見合わせる。
「着てみましょう」
「見るだけではなかったのか」
「見た結果、悪くないと思ったのでしょう?」
アーデルハイトが、穏やかに尋ねる。
カミラは、返事に詰まった。
「試すだけです」
「試すだけ」
リヴィアも頷く。
カミラは、少しだけ疑わしそうに二人を見た。
それでも、衣装を受け取る。
衝立の向こうへ入る。
布が動く音。
金具を留める音。
少しだけ、困ったような声。
「背中の留め具が、届かない」
「手伝います」
アーデルハイトが、すぐに衝立の向こうへ入る。
「こちらも、少し整えた方がよいわね」
リヴィアも続く。
「二人も必要か?」
「必要です」
「必要よ」
返答が重なった。
少しだけ間が空く。
やがて、衝立の向こうから、リヴィアの笑い声が聞こえた。
「カミラさん」
「何だ」
「似合います」
「まだ、鏡を見ていない」
「見なくても分かるわ」
「そういう言葉は、信用できない」
「では、自分で確かめて」
しばらくして、三人が衝立の向こうから出てくる。
カミラは、鏡の前へ立った。
自分の姿を見る。
動かない。
言葉も出ない。
普段の自分とは、少し違う。
監察官。
元奴隷。
革命を生きた女。
旅を続ける女。
傷を負った女。
どれも、自分である。
けれど、それだけではない。
必要なものだけを身へ着けるのではなく、自分が悪くないと思った服を、自分で選ぶ。
鏡の中には、そういう自分もいた。
「どう?」
リヴィアが尋ねる。
カミラは、少しだけ視線を逸らした。
「……悪くない」
「よかった」
アーデルハイトが、柔らかく微笑む。
「では、これにしましょう」
「まだ、決めるとは」
「悪くないのでしょう?」
「そうだが」
「ほかも見ますか」
カミラは、鏡の中の自分をもう一度見た。
少しだけ考える。
「いや」
短く答えた。
「これでいい」
リヴィアの笑みが深くなる。
「レオン殿も、驚くでしょうね」
カミラが、すぐに顔を向けた。
「あいつのために選んだわけではない」
「分かっています」
「本当に?」
「自分のために選んだのよね」
カミラは、すぐには答えなかった。
鏡へ視線を戻す。
「……そうだ」
低い声だった。
けれど、はっきりとした言葉だった。




