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第六十八部 塩を煮る火を、消さない話 ③ 燻製小屋と、鈍らない視線



 燻製小屋には、魚が吊るされていた。


 小ぶりな魚。


 腹を開いた大きな魚。


 塩を擦り込み、乾燥させ、香りの強い木材を使って燻す。


 沿岸部で獲れた魚は、すべてが港の近くで食べられるわけではない。


 山側へ運ぶ。


 川を渡り、ヴェルシャイン王国側へ売る。


 南側の自由都市同盟へ送る。


 遠くへ運ぶためには、塩が必要だった。


 魚を残す。


 肉を残す。


 野菜を残す。


 冬を越す。


 海と山の暮らしは、思っていた以上に同じ場所でつながっている。


 燻製小屋の奥では、帳面を抱えた若い男が、荷札を数えていた。


 アーデルハイトが声を掛けると、男はすぐに頭を下げる。


「昨日、辺境伯府から連絡をいただいた塩の記録です」


 差し出された帳面には、沿岸倉庫から燻製小屋へ出した塩の量と、魚の出荷先が記されている。


「減っていますね」


 アーデルハイトが言った。


「魚が減ったのか?」


 レオンが尋ねる。


「逆です」


 若い男は答えた。


「獲れる量は、例年と大きく変わりません。ただ、塩の値段が上がったため、燻製へ回す量を減らしています」


「鮮魚として売る?」


「近くで売れるものは。ただし、毎日すべてを売り切れるわけではありません」


 残せない魚は、価値を失う。


 港で売れなければ、腐る。


 山へ送れない。


 次の冬へ回せない。


「値上がりしたのは、いつから?」


 リヴィアが尋ねる。


「先月の半ば頃からです」


「銀貨を受け取らない商人も?」


「います」


 若い男は、帳面の間から、別の紙を取り出した。


「南側から来た塩商人が、新しい銀貨は量ってからでなければ受け取れないと言いました。以前より多く出せば、売ると」


「どの商人?」


 リヴィアは、紙へ目を落とした。


 塩袋へ付けられた印。


 出荷した港。


 仲買を行った場所。


 河口で荷を引き渡した倉庫。


 同じ印が、別の紙にも残っている。


「こちらは?」


 リヴィアが尋ねる。


「先週、別の船から届いた塩です」


「船は違う」


「はい」


「出港した港も違う」


「そう聞いています」


「でも、仲買所は同じ」


 紙の端へ、細い赤線で囲まれた印がある。


 角のある鹿の頭。


 河川港の外れにある仲買所が使う印らしい。


 山腹の村で、塩を運ぶ商人から受け取った銀貨。


 沿岸倉庫へ入る塩。


 燻製小屋へ回る塩。


 港へ下りてきた魚。


 すべてが、直接同じ人物へつながっているわけではない。


 だが、流れが重なる場所はある。


「河川港の仲買所」


 カミラが呟いた。


「軽い銀貨も、そこを通った可能性がある?」


 レオンが尋ねる。


「可能性はある」


 カミラは答えた。


「だが、断定はできない。仲買所を通る荷は多い。正規の取引もある。印が残っているだけで、悪いと決めれば、昨日の札と同じになる」


 助けるための仕組みで、取り調べを始めるな。


 昨日、中継所でカミラが言った言葉と同じだった。


 疑う。


 だが、決め付けない。


 記録を残す。


 流れを確かめる。


 必要なところまで遡る。


「仲買所の帳面を確認します」


 アーデルハイトが言った。


「すぐに役人を送る?」


 レオンが尋ねる。


「いいえ」


 答えは早かった。


「警戒されれば、帳面そのものが消えるかもしれません」


 アーデルハイトは、紙の印を見つめた。


「父へ報告します。通常の確認として、倉庫の記録を見ます」


「塩だけではなく」


 カミラが続ける。


「薬、油、穀物。仲買所を通ったものを、同じ時期で見る」


「銀貨も」


「ああ」


「急ぎすぎるな」


 リヴィアが言った。


「船の記録も、こちらで確かめます。出港地が違うのに、同じ仲買所を使った理由があるかもしれない。普通の商売なら、それで終わりです」


「普通ではなかった場合は?」


 レオンが尋ねる。


 リヴィアは、紙を畳みながら答えた。


「その時は、普通ではない理由を探します」


 声は穏やかだった。


 けれど、海路で複数の船を動かしてきた女の目へ戻っている。


 柔らかな言葉だけを使う人ではない。


 必要であれば、港の記録も、船の動きも、人の嘘も見抜く。


 リヴィアがアーデルハイトの友人であることと、シーロ共和国の交易を担う者であることは、矛盾しない。


 カミラも同じだった。


 穏やかな時間を受け取れるようになり始めたからといって、監察官としての目が鈍るわけではない。


 むしろ、自分が守りたいものを少しずつ知ることで、視線は以前よりも鋭くなる。



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