第六十七部 助けるための札で、恥をかかせない話 ④ 休憩室の茶と、酒ではない残念
休憩室には、山羊乳を入れた温かい茶と、黒パン、薄く切った乳酪、山菜の酢漬け、干し果実が用意されていた。
レオンが木箱を置いて席へ着こうとすると、ゲルダが、戸口で声を掛ける。
「王子様」
「今度は、何だ」
「その木箱は、隣の部屋だよ」
「先に言ってくれ」
「運ぶ場所を確かめなかったのかい」
「渡されたから、持ってきた」
「制度を作る人が、行き先を見ないのかい」
言葉へ詰まった。
ゲルダは、真顔だった。
わざと言っているのか、本当に呆れているのか、分かりにくい。
レオンは木箱を持ち直し、隣の部屋へ向かった。
「学びは、どこにでもあるな」
背後から、カミラの声が聞こえる。
「笑っているのか」
「笑っていない」
「こちらを見ろ」
「先に、札を運べ」
休憩室へ戻ると、席は一つだけ空いていた。
カミラの隣である。
偶然だろう。
リヴィアが、あえてそこを残した可能性もある。
問い詰めれば、席そのものを失う可能性があるため、レオンは何も言わずに腰を下ろした。
茶の香りには、山側で採れた薬草の青い匂いが混じっている。
温かい。
だが、酒ではない。
「薬草酒ではないのか」
念のために尋ねると、カミラがすぐに答えた。
「茶だ」
「少しくらい、混ざっていてもよいと思う」
「駄目だ」
「村の文化を――」
「諦めろ」
「まだ、最後まで言っていない」
「聞かなくても分かる」
リヴィアが、笑いながら干し果実を一つ取った。
「完全に治ったら、飲めばいいでしょう」
「いつになるか、誰も約束してくれない」
「女医に聞いてください」
「聞いても、傷が治ったらと言われる」
「なら、治してください」
「正論だけで人間が幸せになれるとは限らない」
レオンが言うと、アーデルハイトが小さく笑った。
「今日の仕組みも、正しいだけでは使ってもらえませんでしたね」
「そうだ」
思いがけず、同じ話へ戻った。
レオンは、茶の器へ両手を添えた。
「札を作ることしか考えていなかった」
「入口を狭くすることも」
アーデルハイトが答える。
「悪用されないためには、必要だった」
「ああ。だが、入口へ立つ者が、疑われる形になっていた」
カミラは、器から立ち上る湯気へ視線を落とした。
「制度は、誰かを守るために作る。だが、守られる側へ立つことが、恥になる場合もある」
「助けを求める人間が、最初から説明を求められる」
リヴィアが言う。
「自分は悪くないと、証明しなければならない」
「そうなれば、来なくなる」
カミラの声は低かった。
「必要な者ほど、来ない」
奴隷。
労働者。
鉱山。
配給所。
役人。
監察官。
彼女が何を思い出しているのか、レオンには分からない。
けれど、制度の入口で立ち止まる者を、カミラは何度も見てきたのだろう。
「記録を減らしすぎても、軽い銀貨の出所を追えません」
アーデルハイトが言った。
「ですが、記録を残すことと、疑うことを同じ形へしてはいけないのですね」
「ああ」
「次からは、通常の取引へ混ぜます。詳しい聞き取りが必要な場合も、人目のある場所では行いません」
「商人が大量に持ち込んだ場合は?」
レオンが尋ねる。
「別だ」
カミラが答えた。
「塩を一袋買いに来た村人と、銀貨袋を何袋も持ち込む商人を、同じように扱う必要はない」
「入口は一つでも、奥で分ける」
「そういうことだ」
アーデルハイトは、帳面へ書き込んだ。
仕事の話である。
それでも、三人の間へ流れる空気は、数日前までとは少し違っていた。
リヴィアがアーデルハイトへ茶を勧める。
アーデルハイトが、拒まず受け取る。
カミラの器が空き掛けると、リヴィアは何も言わずに茶を足す。
カミラも、止めない。
必要かどうかを問い詰めない。
借りを返せないと言わない。
ただ、温かい茶を受け取る。
その様子を見ながら、レオンは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「何だ」
カミラが、すぐに気付く。
「いや」
「妙な顔をしている」
「美しい女性が三人、同じ卓へ座っている。喜ばしい光景だと思っただけだ」
「やはり、黙っていろ」
「率直な感想まで禁じるのか」
「あんたの場合は、必要だ」
「医師と同じことを言う」
「行動に基づいている」
レオンは、諦めて黒パンへ手を伸ばした。
少しだけ硬い。
けれど、乳酪を載せれば美味い。
温かい茶と一緒ならば、なおよい。
酒ではない。
それだけは、残念だった。




