第六十七部 助けるための札で、恥をかかせない話 ③ そこの王子様と、恥をかかせない仕組み
午前中だけで、十数枚の銀貨が量られた。
そのうち、保留となったものは四枚。
すべて、村の者が日常の取引で受け取ったものだった。
鉱山町の賃金。
乳酪の売却。
港から来た商人との取引。
どこから入ったかは、すぐには分からない。
だから、没収しない。
持ってきた者を、悪いと決めない。
記録を残し、あとから追う。
軽い銀貨を持ち込んだ者の名前は、中継所の奥で役人が聞き取った。村人が塩を買う列の中で、自分の事情を説明しなくてもよい形にした。
制度としては、まだ粗い。
札を受け取った者が、どこまで仕組みを理解できるか。
共同倉庫で混乱が起きないか。
似た札を勝手に作る者が現れないか。
商人が、辺境伯府との精算を嫌がらないか。
確かめることは多い。
それでも、最初の入口は動いた。
中継所の庇の下では、リヴィアが、札を受け取った村人たちから使いにくい点を聞いている。
「袋へ入れると、ほかの木札と混ざるね」
ゲルダが言う。
「触って分かる形にした方がいいかもしれない」
「角を一つだけ落とす?」
リヴィアが尋ねる。
「そうだね。塩の札だけ、片側を斜めに切れば、暗い倉庫でも分かる」
「薬は?」
「薬は丸い穴を開けるといい。油は、細い刻みを二本」
「増やしすぎると、覚えにくくない?」
「三つなら、大丈夫だよ」
隣では、アーデルハイトが帳面へ書き込んでいる。
「共同倉庫側の札にも、同じ形を残します。受け取る側と、渡す側で印が違うと、確認に時間が掛かりますから」
「札を作る職人へ、今日のうちに伝えます」
リヴィアは頷いた。
「港の荷札にも、似た工夫が使えるかもしれないわ」
カミラは、しばらくそのやり取りを聞いたあと、若い役人が使っている帳面へ目を向けた。
「聞き取りの項目が多い」
「多すぎますか」
役人が尋ねる。
「初日は、残したくなる。だが、毎回続けられる量ではない」
カミラは、頁の上へ並ぶ項目を指先で示した。
「銀貨を受け取った日。場所。相手。取引の内容。額面。枚数。持ち込んだ者の住所。家族の人数。共同倉庫の利用歴。必要なのは、最初の五つまでだ」
「家族の人数は、札の悪用を防ぐために必要では?」
アーデルハイトが尋ねる。
「大量に持ち込まれた時だけでいい。塩を一袋買いに来た者へ、家族のことまで説明させる必要はない」
カミラの声は、静かだった。
「助けるための仕組みで、取り調べを始めるな」
役人の手が止まる。
責める声音ではない。
だが、言葉には重みがあった。
奴隷として生きた。
革命へ身を投じた。
監察官として、鉱山、倉庫、配給所を歩いた。
制度の中へ、一度でも疑われる側として立った者が、どのような気持ちになるのか。
カミラは、知っている。
「記録は、必要です」
アーデルハイトは答えた。
「ですが、必要な記録と、集められる情報は違いますね」
「ああ」
「削ります」
アーデルハイトは、役人から帳面を受け取った。
必要な項目。
大量に持ち込まれた時だけ確認する項目。
別の頁へ分ける。
誰かが使う前に、完璧な仕組みを作ることはできない。
使う。
困る。
直す。
その繰り返しである。
「カミラさん」
リヴィアが声を掛けた。
「何だ」
「少し休みませんか」
「まだ、聞き取りが残っている」
「聞き取りは、アーデルと役人の方々が続けられます」
「私は問題ない」
「問題があるとは言っていません」
リヴィアは、穏やかに笑った。
「ただ、朝から立ち続けています。茶を飲んでも、作業は止まらないでしょう?」
カミラは、すぐには答えなかった。
以前ならば、必要ないと断ったかもしれない。
仕事が残っている。
身体も動く。
自分だけが休む理由はない。
そう言っただろう。
しかし、今日は少しだけ視線を落とし、右手を一度開いた。
傷跡の周囲に、薄い硬さが戻り始めているらしい。
「……茶だけならば」
「もちろん」
リヴィアは、嬉しそうに頷いた。
アーデルハイトが帳面から顔を上げる。
「私も、一区切り付いたら行きます」
「いま行きなさい」
リヴィアが即座に答えた。
「ですが」
「帳面は逃げません」
「中継所の役人へ、修正項目を――」
「私が伝えます」
カミラが言った。
アーデルハイトが、少しだけ意外そうに顔を向ける。
「アーデルハイト殿は、朝から何も食べていないのだろう」
「黒パンを一切れだけ」
「それを、食べたとは言わない」
「カミラさんまで、リヴィアのようなことを言うのですね」
アーデルハイトの目元が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「私も、最近、何度か言われた」
カミラは答えた。
「言われる側の気分は分かる。だが、正しいものは正しい」
「では、少しだけ休みます」
「少しではなく、食べ終わるまで」
リヴィアが言う。
「二人とも、厳しくありませんか」
「心配しているの」
「分かっています」
アーデルハイトは、小さく息を吐いた。
けれど、困ったような表情の奥には、拒絶ではなく、どこか穏やかなものが残っていた。
カミラも、口元をほんの少しだけ緩めている。
三人は、中継所の奥にある小さな休憩室へ向かった。
長く続いた友情と、始まったばかりの関係。
同じものではない。
それでも、少しずつ、同じ卓へ座る時間が増えている。
◇
レオンは、三人のあとを追おうとして、ゲルダに呼び止められた。
「そこの王子様」
「俺か」
「ほかに、王子様がいるのかい」
「いないと思う」
「なら、あんただよ」
ゲルダは、中継所の脇へ置かれていた木箱を指差した。
「手が空いているなら、これを運んでおくれ」
箱の中には、刻印を入れる前の木札が並んでいる。
重くはない。
女医からも、これくらいの荷ならば止められないだろう。
だが、少しだけ納得できない。
「俺は、制度設計のために来た」
「札を運ぶのも、制度の一部だろう」
「王子に対する扱いとして、軽くないか」
「重い荷を持たせたら、医師に怒られるんだろう?」
「それは、そうだが」
「なら、ちょうどいい」
反論する前に、木箱を渡された。
レオンは、仕方なく受け取る。
箱を抱えて歩き始めると、休憩室の戸口に立っていたカミラが、こちらを見た。
「よかったな」
「何が?」
「制度の一部になれた」
「俺が想像していた形とは違う」
「役に立っている」
「もう少し、格好のよい役割でもよかったと思う」
「札を落とすな」
「分かっている」
カミラの口元が、少しだけ緩んだ。
レオンは、その表情を見て、木箱を抱え直した。
悪くない。
格好はつかない。
だが、悪くはない。
木札を運ぶ。
塩袋を数える。
秤の置き場所を変える。
誰かが恥をかかずに、必要なものを受け取れるようにする。
国を守るという言葉の中には、そういう仕事も含まれている。




