第六十七部 助けるための札で、恥をかかせない話 ① 引換札の試みと、辺境伯府からの道
山腹中継所で軽い銀貨を保留し、村の共同倉庫と診療所で使える引換札を渡す。
その小さな試みが始まったのは、レオンたちが冬の塩を数えた日から、二日後の朝だった。
アルムロイト辺境伯府から中継所までは、馬車を使うことになった。
年配の女医は、辺境伯府の中で記録を読む程度ならば問題ないと言ったが、連日の山歩きを許可したわけではない。レオンもカミラも、歩けるようになった喜びに任せて身体を使いすぎた自覚はあったため、今回ばかりは素直に従った。
少なくとも、表向きには。
「馬車へ乗る必要がある距離とは思わない」
窓の外を眺めながら、レオンは言った。
車輪が石畳の継ぎ目を越えるたび、座席の下から小さな振動が伝わってくる。辺境伯府を出た直後は、谷を流れる川の音が近かったが、道が山腹へ近づくにつれて、岩肌から落ちる雪解け水の音が少しずつ増えていた。
「昨日、歩きすぎた男が言う台詞ではない」
向かい側へ座るカミラが答えた。
右手には、アーデルハイトから受け取った新しい手袋を着けている。手の甲側だけを薄い布で二重にした濃灰色の革手袋は、傷跡を冷やさず、指先の動きを妨げないよう作られていた。
最初は借りると言い張っていたが、今朝も返してはいない。
レオンは、そのことを指摘しなかった。
返せと言われていないものを使い続ける。
ただ、それだけである。
けれど、カミラにとっては、昨日までより少しだけ大きな変化なのだろう。
「俺は歩きすぎていない」
「辺境伯府へ戻ったあと、階段の前で一度止まった」
「考え事をしていた」
「脇腹を押さえながら?」
「身体の状態も、考慮すべき事項の一つだ」
「あんたは、自分に都合のよい言葉を見つけるのだけは早いな」
「生き延びるために必要な能力だ」
レオンが答えると、隣へ座るリヴィアが声を上げずに笑った。
「今日の目的を忘れないでくださいね」
アーデルハイトは、膝の上へ置いた帳面を閉じながら言った。
「中継所で札が使えるかを確かめます。身体が動くかどうかを試す日ではありません」
「分かっている」
「本当に?」
「なぜ、全員が同じことを訊く」
「返事だけでは信用が足りないからだろう」
カミラの答えは早かった。
レオンは、窓の外へ顔を向けた。
反論できない時には、景色を見る。
それも、生き延びるために必要な能力である。
道の下側には、川沿いへ広がる狭い平地が見えた。
畑。
倉庫。
水車。
橋。
荷車。
岩壁と河川の間へ、人が暮らせる場所を少しずつ作り、その細い土地を道でつないでいる。
山側へ向かう驢馬の背には、塩袋と薬箱が載せられていた。
荷へ結び付けられた記録札も、すでに形を変えている。
革手袋を外さずに紐を解けるよう、指を掛ける輪を大きくした。
雨で色糸が木札へ張り付いても分かるよう、小さな刻み目を加えた。
詰め替えの前後で紐の色を変えた。
河川倉庫で考えた仕組みは、山道で使う者の意見を受け、少しずつ直されている。
今日から試す引換札も、完成品ではない。
最初から広げない。
山腹中継所だけで使う。
共同倉庫と診療所だけで受け取る。
塩、薬、灯火用の油だけに使える。
軽い可能性がある銀貨を持ってきた者へ、その場で同じ額面の金を渡すわけではない。受け取った者だけへ損失を背負わせず、調査が終わるまで生活に必要なものを買えるようにする。
仕組みとしては、単純だった。
少なくとも、辺境伯府の会議室で紙へ書いた時には。




