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第六十六部 助ける仕組みには、入口を作る話 ④ 引換札の紙と、集中するべきこと

 昼前。


 レオンは、執務棟の小さな会議室で、木札の使い方を書いた紙と向き合っていた。


 書く内容は、多くない。


 山腹中継所でだけ使う。


 一人が一度に替えられる枚数を決める。


 軽い可能性がある銀貨は、没収せず保留する。


 その場で、切り離せる二枚組の札を渡す。


 一枚は、受け取った者へ。


 一枚は、中継所へ。


 共同倉庫、診療所、指定商人でだけ、一時的に使える。


 使用期限を決める。


 商人が、大量の銀貨を持ち込んだ場合には、すぐに札へ替えない。


 由来を確かめる。


 市場、港、橋、宿駅の記録と照合する。


 書き始めれば、単純だった。


 しかし、分かりやすく書くことは、難しい。


 説明を増やせば、読む者が減る。


 短くしすぎれば、誤解が増える。


 レオンが紙の上へ書いた文字を睨んでいると、戸が叩かれた。


「入ってくれ」


 現れたのは、アーデルハイトだった。


 その後ろには、リヴィアとカミラもいる。


 カミラは、朝まで使っていた手袋とは少し違うものを着けていた。


 濃い灰色の革。


 手の甲側だけ、少し厚みがある。


 袖口には、細い糸で補強が入っている。


 指先は動かしやすいらしく、戸を閉める動作にも、ぎこちなさはない。


「新しい手袋か」


 レオンが尋ねる。


 カミラは、右手を一度だけ持ち上げた。


「ああ」


「似合っている」


「手袋へ言っているのか」


「カミラへ言っている」


 返事が止まる。


 灰色の目が、少しだけ細くなる。


「……そうか」


 それだけを答え、視線を逸らした。


 耳の先が、ほんの少しだけ赤い。


 リヴィアが、何も言わずに口元を緩める。


 アーデルハイトも、書類を持ち直しながら、わずかに目を伏せた。


 見なかったことにしているらしい。


 よい判断だった。


「何を書いている」


 カミラが尋ねる。


「引換札の使い方だ」


 レオンは、机の上の紙を持ち上げた。


「コンラートから、昼までに一枚へまとめろと言われた」


「休息日ではなかったのか」


「俺も、そう思っていた」


「暇そうだったのでは?」


 アーデルハイトが、穏やかに尋ねる。


「辺境伯家の人間は、他人の暇を見つけると、すぐ仕事を渡すのか」


「父上は、使えるものを使います」


「娘から見ても、そうなのか」


「否定はしません」


 アーデルハイトは、机の上の紙へ目を落とした。


「見せていただけますか」


「もちろん」


 三人が、机を囲む。


 レオンは、自分が書いた説明を読み上げた。


 一度に替えられる枚数。


 使える場所。


 期限。


 保留した銀貨の扱い。


 大量に持ち込まれた場合の確認。


 途中まで聞いたカミラが、紙の端を指差す。


「期限が切れた札は、どうする」


「中継所へ持ってくる」


「期限が切れた時点で、村の者が損をするのか」


「……そこは、考えていなかった」


「期限が切れる前に、更新する必要がある者もいる」


 アーデルハイトが言った。


「塩や薬を買う予定が、すぐにない人もいます。使える期間が短すぎると、受け取った者が急いで買い物をしなければならなくなる」


「長すぎれば、札が増える」


 リヴィアが続ける。


「港へ持ち込まれ、別の取引へ使われ始める可能性もあるわ」


 四人は、紙を見た。


 簡単ではない。


 困っている者を助ける。


 だが、助けるための札が、新しい貨幣のように流れ始めれば、別の問題が生まれる。


「期限を、短くするのではなく」


 レオンは、考えながら言った。


「使える場所を狭くする?」


「共同倉庫と診療所だけ?」


 アーデルハイトが尋ねる。


「最初は。塩。薬。灯火用の油。冬を越すために必要なものへ使う」


「指定商人は?」


「共同倉庫へ納める商人だけにする。村の者が、直接商人へ渡すのではなく、共同倉庫がまとめて精算する」


 カミラが、わずかに目を細める。


「札が、村の外へ出にくくなる」


「ああ」


「村の者が、好きなものを買えない」


「最初から、何にでも使える金を作る話ではない」


 レオンは答えた。


「軽い銀貨の原因が分かるまで、塩と薬を買えなくなる者を出さないための札だ」


「悪くない」


 カミラが言った。


「欲張りすぎない方がいい」


 アーデルハイトは、紙の余白へ書き込みを加えた。


「試す場所も、一つ。使える場所も、共同倉庫と診療所。扱うものも、塩、薬、灯火用の油から。期間は、一月。ただし、必要に応じて更新できるようにします」


「札を持っている者が、更新のためだけに山道を歩くのは負担になる」


 リヴィアが言う。


「共同倉庫で更新できるようにしましょう」


「辺境伯府へ報告する頻度は?」


「最初は、五日ごとに」


 アーデルハイトは答えた。


「問題がなければ、あとで延ばします」


 レオンは、三人が紙を見ながら話す様子を眺めた。


 昨日まで、カミラは、必要なことだけを言い、一歩下がることが多かった。


 いまも、急に親しげになったわけではない。


 アーデルハイトも、礼節を崩していない。


 リヴィアも、無理に二人の間へ言葉を増やそうとはしない。


 けれど、仕事の紙を一枚囲むだけで、立つ位置が少しずつ近くなっている。


 気付けば、カミラの右肩とアーデルハイトの左肩は、手を伸ばせば触れられるほどの距離にある。


 リヴィアは、その二人の間へ割って入るのではなく、向かい側から紙を覗き込んでいる。


 関係を急がせない。


 けれど、始まったものを、止めない。


 それでよいのだろう。


「レオン殿」


 アーデルハイトが、顔を上げた。


「何だ」


「先ほどから、黙っていますが」


「美しい女性が三人、真剣な顔で俺の机を囲んでいる状況を、静かに味わっていた」


 カミラの灰色の目が、細くなる。


「余計なことを言わなければ、少しは成長したと思えた」


「黙って見ているだけでも、問題があるのか」


「顔が、問題だ」


「顔は、簡単に替えられない」


 リヴィアが笑う。


 アーデルハイトも、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「では、顔については保留にします」


「銀貨と同じ扱いを受けている気がする」


「由来を確認する必要があるかもしれません」


「元王子としての由来は、かなり明確だ」


「中身の確認が必要なのでは?」


 アーデルハイトの返答は、穏やかだった。


 だが、以前よりも少しだけ踏み込んでいる。


 レオンは、ほんの少しだけ驚いた。


「アーデルハイト」


「何でしょう」


「意外と、言うな」


「誰かから、学んだのかもしれません」


 視線が、リヴィアへ向く。


「私は、そこまで言わないわ」


 リヴィアは笑った。


「アーデルは、もともとこういうところがあるの」


「そうなのか」


「必要な時だけです」


 アーデルハイトは、何事もなかったように紙へ視線を戻した。


 カミラの口元にも、ほんの少しだけ笑みが残っている。


 よい光景だった。


 レオンは、そう思った。


 だが、口には出さなかった。


 言えば、三人から同時に見られる。


 それは、それで悪くない可能性もある。


 しかし、紙を完成させなければ、コンラートから、さらに別の仕事を渡されるだろう。


 いまは、引換札へ集中するべきだった。



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