第六十五部 山の村では、冬の塩を先に数える話 ① 細い道と、まだ残る崩落の跡
山腹中継所から村へ向かう道は、地図の上で見た時よりも細かった。
前日の崩落箇所には、すでに山側へ太い縄が張られ、人が一人ずつ通れる幅へ板が敷かれている。谷側へ近づかないよう、通行を管理する役人が両端へ立ち、薬や塩を背負った人足を上へ通したあと、山羊乳や薬草を抱えた者たちを下へ通していた。
鉱石、炭、木材は、まだ中継所へ残されている。
道を塞がない。
人を落とさない。
暮らしを止めない。
その三つを同時に守ろうとすれば、通せる荷の量は少なくなる。
けれど、朝のうちに山側へ送った薬箱は、すべて崩落箇所を越えたらしい。人足の背へ負われた木箱には、昨日から試験的に使われている記録札が結び付けられ、歩調に合わせて小さく揺れていた。
輪を大きくした紐。
途中で箱を開けたことを示す色糸。
濡れて色が見えにくくなった時にも、指先で確かめられるよう加えられた小さな刻み目。
昨日の朝には存在しなかった工夫である。
仕組みは、作った時点で完成するわけではない。
使われるたびに、少しずつ形を変える。
レオンは、崩れた道の手前で自分の足元を確かめた。
脇腹には、まだ薄い引きつれが残っている。脚も、長く歩けば重くなる。
それでも、昨日より身体の使い方が分かってきた。
無理に歩幅を広げない。
足元の悪い場所で、前へ出ようとしない。
何かが起きた時、自分が最初に飛び込むことだけを考えない。
当たり前のようでいて、以前の自分には難しいことだった。
「顔が、少し真面目すぎる」
隣を歩いていたカミラが言った。
「真面目に歩いている」
「それは、よいことだが」
「何か問題があるか」
「昨日までのあんたなら、もう少し余計なことを言っていた」
「俺も、常にくだらないことを考えているわけではない」
「そうか」
カミラは、あまり信用していない顔をした。
右手には、昨日アーデルハイトから借りた濃い灰色の手袋を着けている。
傷跡を庇いながら動かしている様子はない。崩落箇所へ張られた縄を掴む時にも、指先は自然に曲がっていた。
レオンは、少しだけ目を細めた。
「手は、問題なさそうだな」
「ああ」
「よかった」
何気なく言うと、カミラは一度だけこちらを見た。
「……そうだな」
それだけを答え、前へ向き直る。
短い返事だった。
けれど、言葉を拒むような響きはなかった。
少し前では、アーデルハイトが、通行を管理する役人から報告を受けている。
「午前中に、薬箱はすべて村へ届く予定です。塩は、二袋を先に。残りは午後の便へ分けます」
「診療所から、急ぎの要請は?」
「ありません。熱を出していた子どもも、昨夜より落ち着いたそうです」
「分かりました。鉱山道側の応急処置へ人足を回してください。ただし、こちらの通行管理を減らさないように」
「承知しました」
アーデルハイトは頷き、手元の帳面へ短く書き込んだ。
その隣では、リヴィアが、荷運び人の一人から記録札を受け取っている。
「輪の大きさは、これで十分?」
「手袋のままでも外せます。ただ、箱の側面へ当たると、少し音がします」
「驢馬が嫌がるほど?」
「そこまでではありません」
「では、揺れないよう紐を少し短くしてみましょう。札そのものを小さくすると、今度は書きにくくなるから」
荷運び人は頷いた。
リヴィアは、自分の腰へ下げた革袋から細い紐を取り出し、使いやすい長さを確かめながら結び直す。
船の上で、濡れた縄と荷を扱い続けてきた人間らしい動きだった。
「港だけでなく、山道でも働くのだな」
レオンが声を掛けると、リヴィアは手を止めずに答えた。
「荷物は、港へ着いたら終わりではないでしょう?」
「海の姫というより、荷札の姫だな」
「その呼び名も広めないでください」
「悪くないと思う」
「よくありません」
リヴィアは笑いながら返し、結び直した札を荷運び人へ渡した。
会話を聞いていたアーデルハイトが、ほんの少しだけ口元を緩める。
「港で最初に、海の姫と呼んだのは誰だった?」
リヴィアが尋ねる。
「私は、定着している呼び方を止めなかっただけ」
「それを、広めたと言うの」
「事実を否定しなかっただけです」
「アーデル」
名前を呼ぶ声には、困ったような響きがありながら、親しさも混じっている。
カミラは、二人のやり取りを聞き、口元をわずかに緩めた。
まだ、その会話へ自然に割って入るほど近くはない。
けれど、以前のように、少し離れた場所から眺めるだけでもなかった。
同じ道を歩く。
同じ荷札を見る。
同じ問題について意見を求められる。
カミラにとっては、その積み重ねの方が、急に親しげな言葉を向けられるよりも、受け取りやすいのかもしれない。




