第五部 獣医ハンナと、まっすぐ死ぬ場所の話 ⑤ 〜四枚目の札〜
事故の翌日、俺とリューリックは雇い主の事務所で報告を聞いた。
「事故原因は、支柱の劣化と判明している」
「劣化、ですか」
「警告は出ていた」
「警告」
「ある坑夫が、二週間前から坑道の異常を報告していた。支柱の歪み、岩盤の亀裂、地下水の流れの変化」
「対応は」
「取らなかった」
「理由は」
雇い主は、ふっと息を吐いた。
半分は自分への言い訳。
半分は、革命国家への別の種類の皮肉だった。
「生産割当」
「割当?」
「イタリカ政府からの月例の生産割当だ。我々は、人民の鉱山として銀と鉛を毎月政府に納める義務がある。割当を満たさないと、町への配給が減る」
「配給」
「塩、油、布、麦。配給制だ。革命後、市場がほぼない」
「……」
「割当を満たすには、坑道を止められない。支柱の交換には木材、時間、金が要る。それを待っていたら、割当に間に合わない」
「だから、警告を無視した」
「そういう構造だ」
雇い主の声に、怒りも後悔もなかった。
ただ、説明だった。
説明の声には、たいてい二つのものが隠れている。
ひとつは、自分の責任を認めないための論理。
もうひとつは、その論理の上に立ったまま、それでも夜に眠れない男の声。
雇い主の声には、後者がほんの少し多く混じっていた。
「カステリオだけか、これは」
「いや」
「北のガリレオでも、最近、支柱が足りないらしい」
「ガリレオも同じ構造か」
「同じ構造だ。違うのは、まだ事故が起きていないことだけ」
リューリックが低く言った。
「人民の鉱山が、人民をすり潰している、と」
「……皮肉だが、その通りだ」
「警告を出した坑夫は、どうなりましたか」
「事故で死んだ」
「……」
「奴は、五人の中の一人だった」
俺の頭の中の嫌な情報の棚が、また一つ項目を増やした。
警告を出した男が、警告を無視された結果として事故の中で死ぬ。
偶然か、必然か。
その間に、誰かの計算が挟まったか。
いずれにせよ、その男はもう二度と警告を出さない。
警告を出さない死者は、警告を出し続ける生者より扱いが楽だった。
その「楽」を、雇い主は自分から口にしなかった。
口にしなかったが、俺には聞こえた気がした。
◇
ハンナの納屋に、二人の遺体が置かれていた。
ハンナは椅子に座り、ラバの首を撫でていた。
ラバは目を半分閉じ、彼女の手の動きに合わせて首を揺らしている。
「ハンナ姐さん、遺体を確かめてもいいか」
「いいよ。家族が来るまで置いとくだけだ」
「家族は来るのか」
「来る。明日には」
「……」
「二人とも家族がいる。事故で夫を失った母親が二人増える。子供は合わせて五人」
「……」
「五人の子供を、私は明日見る」
「あんたが」
「他に見る大人がいない」
俺は、それ以上訊かなかった。
訊いても答えは変わらないし、訊いたぶんだけ、ハンナの中の十年前の何かがもう一度走るだけだった。
走らせない方が、彼女のためによかった。
俺たちは布をめくった。
警告を出していた坑夫。
四十前後の、痩せた男だった。
顔は煤で半分黒くなっている。
布で軽く拭うと、胸の左に小さな刺青が見えた。
円の中に、目が一つ。
俺はリューリックの顔を見た。
リューリックは刺青をしばらく見ていた。
表情はいつもの最短だった。
ただ、目の奥が一段深くなっていた。
「殿下」
「ああ」
「四度目です」
「四度目」
「リヴェンの間者。リンデンの密輸団の御者。シュタールベルクの薬局襲撃犯。それと、今度の警告を出した坑夫」
「これまでの三つは、敵側の懐から出てきた」
「左様で」
「今回は、死者の胸の上から出てきた」
「これは、敵のしるしではない可能性が出てまいりました」
頭の中で、いくつかの可能性が並んだ。
この坑夫は組織員だったのか。
組織員だったが、警告を出したのか。
組織に狙われた側だったのか。
それとも、この目の意匠は、敵味方ではなく、もっと別の意味を持っているのか。
決め手はない。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
俺たちがこれまで「敵側のしるし」として追ってきたものが、いま、警告者の胸にも刻まれている。
その目は、誰かを見ている。
あるいは、見られている側のしるしだ。
どちらにせよ、その目は、俺たちをもう見つけている可能性があった。
見つけられている、という情報は、いちばん嫌な情報だった。
ハンナが後ろから覗き込んだ。
「それ、何だ」
「刺青」
「それは分かる。私が訊いてるのは、それが何の刺青かだ」
俺は答えに迷った。
ハンナに嘘はつきたくなかった。
嘘をつかれた者は、たいてい、嘘をつかれたことに気づく。
気づいた者を敵にしない方が、長旅ではいい。
「俺たちにも、まだよく分からない」
「……」
「だが、以前にも見た。三度見た」
「ふん」
ハンナは、しばらく刺青を見ていた。
「この男、私の納屋に何度か来た」
「来た?」
「動物の薬を買いに来てた。馬の蹄の軟膏、犬の虫下し」
「動物を飼ってたのか」
「ううん。家には犬一匹いなかった」
「……」
「いつも現金で買って、すぐ帰った。動物の話もしなかった」
「薬が目的じゃなかった」
「かもね」
「何を見に来てた」
「分からない」
ハンナは、ふっとため息をついた。
「ただ、確証はなくても、動物を診る時と同じように、妙な歩き方をする人間は覚えてる」
「その歩き方は」
「隠したいものがある歩き方だった」
「……」
「人間も、足元に出る。嘘も、痛みも、恐怖もね」
ハンナの観察は、刃物のように鋭いわけではない。
もっと鈍い。
鈍いが、深く入る。
鈍い刃は、押し込むと痛い。
俺は、何も言わなかった。




