第六十部 王子殿は、道中で何を見てきたのかという話 ③ 王子殿は道中で何を見てきたのか
コンラートは、今度はカミラへ顔を向けた。
「カミラ・パヴェル。お前は、何を見た」
「一つに絞るなら、止めたあとに追えるようにしていたことだ」
カミラは答えた。
「橋の通行停止も、市場の銀貨も、理由を記録していた。誰が、いつ、何を見て、どこまで止めたか。現場へ権限を渡すなら、あとから判断を検証できなければならない」
「なぜだ」
「止める権限そのものが、誰かを潰す道具になるからだ」
カミラの声音は静かだった。
だが、その奥には、長い時間がある。
奴隷。
革命。
鉱山。
倉庫。
配給。
監察。
正しく使われるなら、人を守る制度。
腐敗した者へ握られれば、都合の悪い者を消すための制度。
「その通りだ」
コンラートは答えた。
「制度は、正しい人間だけが使うことを前提に作るな」
カミラが顔を上げる。
「疲れた人間も、怯えた人間も、欲深い人間も使う。善人も迷う。判断を誤る。だから、記録と検証が要る」
少しだけ、沈黙が落ちた。
レオンは、隣を見なかった。
これは、カミラへ向けられた言葉だ。
彼女が何を受け取るかは、彼女が決める。
コンラートは、卓の脇へ置かれていた書類へ手を伸ばした。
「市場で分けた銀貨を、数日預かる。港、宿駅、橋、鉱山街道から上がった記録と照合する」
「比重も見た方がよい」
カミラが言う。
「表面を削っただけなら、縁へ痕跡が残る。だが、昨日見た銀貨には、目立つ削れがなかった。鋳造の段階で質が違う可能性がある」
「見てくれるか」
コンラートが訊いた。
「私が?」
「鉱山、倉庫、配給、労働者の賃金。軽い銀貨が流れた時、最初にどこへ歪みが出るかを見てほしい。こちらにも役人はいる。だが、革命と鉱山の現場を知る監察官の目は、別だ」
カミラは、すぐには答えなかった。
「私は、イタリカから追われている」
「知っている」
「役に立つかどうかより、面倒を持ち込む可能性の方が高い」
「面倒なら、すでに一人受け入れた」
コンラートは、レオンへ目を向けた。
「二人になっても、管理表の行が一つ増えるだけだ」
「人間を、帳面の行で数えるな」
レオンが言う。
「金貨千枚の値札を付けられた男が、何を言う」
返す言葉がない。
カミラは、小さく息を吐いた。
「帳簿を見せてくれ」
「頼む」
コンラートは頷いた。
過剰に感謝しない。
逃亡者へ恩を着せない。
能力があるから頼み、引き受けるから任せる。
それだけだった。
カミラの肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。
レオンは、その変化を見た。
だが、何も言わなかった。
◇
食事が半ばを過ぎた頃、コンラートは、机の脇へ置かれていた封書を手に取った。
ヴァルター軍監の印。
白鷹門から、ハインリッヒが運んできた私信だった。
「ヴァルターからの書状を読んだ」
コンラートが言う。
「扱いに困る男を送る。ただし、捨てるには惜しい。お前なら、どちらの意味も理解するだろう、とある」
「説明が短い」
レオンが言った。
「昔からだ」
「長い付き合いなのか」
「二十年ほどになる」
コンラートは、封書を卓へ置いた。
「若い頃から、面倒な男だった。帝国の利益だけを考えれば、黙って通した方がよい時にも、越えてはいけない線を止める」
「褒めている?」
「かなり」
コンラートは、レオンとカミラを順番に見た。
「お前たちを受け入れる。ただし、条件がある」
レオンは、少しだけ姿勢を直す。
「言ってくれ」
「第一に、私の許可なく領外へ出ないこと。第二に、旧リュカリオン王家の名を使い、兵または旧臣民を集めないこと。第三に、帝国、イタリカ、王国、カラドリン、そのほか周辺国から正式な照会が届いた場合、事情を確認するまで勝手に返答しないこと」
「客人というより、拘束対象に近い」
「客人だ」
「勝手に外へ出られない客人」
「山道で迷えば死ぬ。政治的にも、物理的にも、勝手に出す理由がない」
「自由の定義が、また難しくなった」
「それから、医師の指示に従うこと」
レオンは、少しだけ顔をしかめた。
「最後が、一番厳しい」
「自覚はあるらしいな」
「歩けるようになったら、何をさせる」
「市場、倉庫、橋、港、鉱山町。見て、考えて、報告しろ」
「教師になる気だな」
「面倒な生徒を預かった気はある」
アーデルハイトが、わずかに目を伏せた。
笑っている。
たぶん。
──第六十部 了




