第五十九部 市場では、値札より先に見るものがある話 Another Side:アルムロイト辺境伯府
アルムロイト辺境伯府
夕方。
アルムロイト辺境伯府の執務室では、窓の外へ落ちた山の影が、机の端まで伸びていた。
コンラート・フォン・アルムロイトは、灰岩関から届いた報告書と、市場監督所から上がった銀貨の記録を、並べて読んでいる。
向かい側には、アーデルハイトが立っていた。
「市場へ通した感想は」
コンラートが訊く。
「想像していたより、よく見ています」
「何を」
「橋の待機所。市場中央の秤。シーロの荷箱。取引を全面停止しなかったこと。それから、菓子屋」
コンラートは、最後の一つで手を止めた。
「菓子屋」
「最初に目へ入りました」
「ヴァルターから聞いていた通りか」
「どのように書かれていたのですか」
「扱いに困る男を送る、と」
「説明としては、かなり正確です」
アーデルハイトは答えた。
「ただし、菓子だけを見ていたわけではありません。橋も、秤も、人が待てる場所も見ていた。市場を止めずに疑わしい銀貨だけを分けた理由も、途中で気づきました」
「監察官殿は」
「銀貨を見た瞬間に、顔が変わりました。あの方には、鉱山と労働の帳簿を見ていただきたいです」
「頼めると思うか」
「断らないと思います」
「なぜ」
「レオン殿が、似た方を選ぶ、と言いました」
コンラートは、しばらく黙った。
「それは、どういう意味だ」
「同行者として、です」
「本人が、そう付け加えたのか」
「私が」
コンラートは、机の上へ置かれた報告書から目を上げた。
青灰色の目が、娘の顔を見る。
「余計な波を立てるな」
「父上が、人を試すことばかり考えるからです」
「試してはいない」
「市場へ通して、何を見るか報告させたうえで、試していないと?」
「観察だ」
「言い換えただけです」
アーデルハイトは、銀貨を包んだ布へ視線を落とした。
「シーロの船荷から出た分も、やはり少し軽いです」
「数は」
「昨日までに三袋。港側の記録も照合させています」
「リヴィア殿の船は」
「数日内に入る予定です。予定が変わっていなければ、本人も来ます」
コンラートは、指先で机を一度だけ叩いた。
「西側の港でも、同じものが出ているか」
「おそらく、何かを持ってくると思います。あの人が自分で来るなら、書状だけでは済まない話です」
「そうだな」
執務室へ、短い沈黙が落ちる。
軽い銀貨。
シーロの荷箱。
レヴォナ方面から回り始めた、不自然な噂。
まだ、一つの線にはならない。
だが、波は来ている。
同じ方向から、何度も。
コンラートは、机の端へ置かれたヴァルター軍監の私信へ視線を向けた。
封は、すでに切られている。
中には、短い文章しか書かれていなかった。
扱いに困る男を送る。
ただし、捨てるには惜しい。
お前なら、どちらの意味も理解するだろう。
コンラートは、もう一度だけ報告書を見る。
「明日の夕食へ招け」
「レオン殿と、カミラ監察官を?」
「ああ」
「最初の問いは」
「変えない」
コンラートは答えた。
「道中で、何を見たか。三つだけ話してもらう」
アーデルハイトは、ほんの少しだけ笑った。
「三つで済むでしょうか」
「済まないなら、その方がよい」
コンラートは、次の書類へ手を伸ばした。
市場では、今日も秤が動いている。
橋では、水位が量られている。
海からは、シーロの船が近づいている。
そして、山道の途中には、金貨千枚の値札を付けられた元王子と、イタリカから追われる監察官がいる。
アルムロイトの秤へ載せるものが、また増えた。
──Another Side 了




