第五十九部 市場では、値札より先に見るものがある話 ② 屋根付きの秤場と、銀貨の確認
市場の中央には、屋根付きの秤場があった。
石造りの台へ、大きな天秤が固定され、その隣には、穀物袋、塩樽、鉱石箱を量るための重りが大きさごとに並べられている。商人が自分で持ち込んだ秤を使うこともできるが、争いが起きた時には、必ず中央の秤で量り直すらしい。
誰でも見える場所にある。
役所の奥へ隠されていない。
量る側と、量られる側だけで決めない。
レオンは、秤の周囲へ集まる人々を見た。
黒パンを買う老人。
羊毛を卸す牧童。
工具を選ぶ鉱山労働者。
塩樽の数を記録する若い役人。
その横では、海産物を並べた商人が、青い貝殻を描いた木箱を開けている。
「シーロの印だ」
ベルク監督官が言った。
木箱には、燻した魚、乾燥させた海藻、魚油の小瓶が詰められていた。隣の箱には、船具へ使う細い縄、薬を包む防湿紙、海路で運ばれた乾燥果実も入っている。
「海洋国シーロとは、取引が多いのか」
レオンが訊く。
「沿岸部では、昔から。内陸へ入る量が増えたのは、二十年ほど前からです」
「山道が閉じても、海から入れられる」
「その通りです」
「こちらからは鉱石と塩?」
「海産物も。木材、工具、薬草も流します」
ベルク監督官は、荷箱の印へ目を向けた。
「一つの道へ頼りすぎると、その道が閉じた時に国まで止まります」
レオンは、昨日見た橋を思い出した。
道。
橋。
海。
どれか一つだけでは、国を支えられない。
その時、秤場の反対側で、男の声が上がった。
「額面どおりだろう」
商人らしい男が、革袋から銀貨を取り出していた。
向かい側には、魚油を並べた店主がいる。腕の太い年配の女で、胸元へ掛けた布には、青い貝殻の印が縫い付けられていた。
「額面だけならね」
女店主は言った。
「うちでは、量ってから受け取る」
「帝国銀貨だぞ」
「ここは帝国じゃない」
「昨日まで使えた」
「昨日の銀貨と、今日の銀貨が同じなら、受け取るよ」
周囲の者が、少しずつ足を止める。
怒鳴り合いではない。
だが、見過ごせる話でもないらしい。
秤場の役人が近づこうとした時、その手前から、一人の女が歩いてきた。
濃い栗色の髪を後ろでまとめ、深緑色の外套を着ている。年齢は、レオンとそれほど離れていないように見えた。華美な装飾品はなく、腰へ下げた革袋と、片手に持つ帳面も実務的なものだった。
ただし、靴は良い。
泥の付いた山道を歩ける作りでありながら、縫製は丁寧で、革も上質だった。
商人でもない。
ただの役人でもない。
「量り直しましょう」
女は言った。
声は穏やかだった。
だが、周囲は自然に道を空ける。
「どちらが正しいかを、ここで決めつける必要はありません。まず、銀貨を分けます」
女は秤場の役人へ視線を向けた。
「同じ袋へ戻さないで。受け取りを保留したものは、別の布へ包んで、枚数、刻印、持ち込んだ商人、受け取りを拒んだ店、日時を記録してください」
「承知しました」
「没収ではありません。保留です。商人殿には、引換証を渡してください」
銀貨を出した男が、眉を寄せた。
「俺が偽貨を持ち込んだと言うのか」
「言っていません」
女は、男の顔をまっすぐ見た。
「偽貨でない可能性もあります。削られた可能性も、鋳造時の誤差も、流通の途中で混ざった可能性もある。だから、由来を残します」
「商売が止まる」
「すべては止めません。重量が基準内の銀貨は、そのまま使えます。保留分については、役所の引換証で今日の取引を続けられるようにします」
男は何か言い返しかけたが、女の手元へ差し出された秤の皿を見て、口を閉じた。
一枚。
二枚。
三枚。
同じ意匠の銀貨が、重りと比べられていく。
わずかな差。
手で持っただけでは、分からない程度。
露店で黒パンを買う時に、毎回気づけるような違いではない。
だが、まとめて量れば、確かに揃っていない。
カミラが足を止めた。
表情が変わる。
ほんの少しだけ。
しかし、レオンには分かった。
あれは、傷を気にしている顔でも、呆れている顔でもない。
監察官の顔だ。
「混ぜものか」
レオンが小さく訊く。
「まだ分からない」
カミラは答えた。
「重さだけなら、削られた可能性もある。ただし、表面の縁が崩れていない」
「最初から軽い?」
「可能性はある」
女は、量り終えた銀貨を一枚だけ指先で摘まみ、光へ傾けた。
次に、役人へ渡す。
「保管庫へ。市場の分だけで決めないでください。橋、宿駅、鉱山街道、港から上がった記録と照合します」
「はい」
「シーロ便の荷箱に入っていた銀貨も、別に残っていますね」
「昨日の分が、三袋」
「それも、同じ秤で」
女店主が息を吐いた。
「また増えたね」
「増えたかどうかを確かめます」
女は答えた。
「増えたと決めるのは、そのあとです」
カミラの灰色の目が、わずかに細くなる。
評価している。
おそらく、かなり。
レオンは、隣へ顔を向けた。
「好きそうだな」
「何が」
「手順が」
「当然だ」
カミラは、秤場から目を離さない。
「疑いだけで商人を潰さない。だが、流通も止めない。現物と記録を分け、あとから追えるようにする。正しい」
「告白のように聞こえる」
「聞こえない」
「俺への評価より、かなり熱がある」
カミラが、ようやくこちらを見た。
「市場の真ん中で、余計なことを言うな」
「つまり、別の場所なら」
「言っていない」
レオンは、これ以上踏み込まなかった。
市場を観察する。
重要な仕事だ。
自分の生命を守ることと同じくらい、カミラがわずかに赤くなった耳を、指摘せずに記憶することも重要だった。
──第五十九部 了




