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第五部 獣医ハンナと、まっすぐ死ぬ場所の話 ② 〜斬られ方、雑〜

 ハンナの納屋は、町の南西、鉱山街道の脇にあった。


 石造りの低い平屋。


 半分が動物の畜舎。


 半分が人間の住居と治療所を兼ねている。


 中に入ると、薬草と動物の毛と藁と油の匂いが混じっていた。


 戦場の野戦病院の匂いより、ずっと穏やかだ。


 血の匂いも、消毒液の匂いもある。


 ただし混じり方が違う。


 戦場のそれは急性の混じり方をしている。


 ここのそれは慢性の、穏やかな混じり方をしていた。


 穏やかというのは、いま死にかけている命と、毎日少しずつ死んでいく命のどちらに付き合っているかの差だった。


 馬が二頭、寝ている。


 犬が一匹、土間で丸まっている。


 鳥が一羽、止まり木の上で片足で立っている。


「ここ、診療所というより動物の宿だな」


「人間の客は二の次だ。座んな」


 俺は木の椅子に座った。


 ハンナは左肩の包帯を外した。


「斬られ方、雑」


「俺は、斬る側の意見も聞きたい」


「斬る側じゃない。縫う側の意見だ」


「縫う側の評価は、最近、安定してる」


「何が」


「俺は雑に斬られたまま、丁寧に縫われて、また雑に斬られる側らしい」


「……それ、分かってて続けてるのか」


「続けてる」


「ふん」


 ハンナは笑った。


 諦観に軽く塩を振った笑いだった。


 塩で味つけされた諦観は、戦場とは別の場所で長く生きてきた人間の固有の風味だった。


「あんた、肩、何回斬られた」


「数えてない」


「数えなくても、回数は傷で分かる」


「分かるか」


「分かる。少なくとも四回。たぶん五回」


「正解は、たぶんもう少し多い」


「傭兵の自己申告は当てにならんね」


「俺の自己申告は、特に当てにならない」


「自覚はあるのか」


「ある」


「ふん。自覚のある馬鹿は、自覚のない馬鹿より少しだけ長生きする」


「励まされてる気がしない」


「励ましじゃない。観察結果だ」


 ハンナは軟膏を塗り、新しい糸で縫い直した。


 手の動きは速い。


 ラバを縫う時と同じ手つきだった。


 相手が人間か、動物か。


 彼女の手は、それをあまり区別しない。


 縫うべきところを縫う。


 ハンナの手は、その単純な原則だけで動いていた。


「治療代、銅貨十二枚」


「ラバの分は」


「ラバの飼い主が払う。あれは町の共有」


「人民のラバか」


 ハンナは、ふっと笑った。


「ふん。あんた、革命国家の皮肉が上手いな」


「皮肉じゃない。説明しただけだ」


「説明と皮肉は紙一重だ」


「紙一重を上手く踏み外す女が、町にはいるな」


「あんたのことか」


「あんたのことだ」


「ふん」


 俺は銅貨を置いた。


 ハンナがそれを数える。


 数え方が几帳面だった。


 几帳面な数え方を、彼女は十年以上、誰の前でも変えずに続けてきたのだろう。


「あんた、傭兵と言ったね」


「うん」


「鉱山警備の口が空いてる。もう聞いたか」


「街道で聞いた」


「給金は悪くない。ただし、命の保証はない」


「鉱山警備で?」


「鉱山が安全じゃないから、警備の命の保証もない」


「……」


「もし入るなら、私の納屋にしばらく立ち寄れ。動物が傷を負った時、人間より先に助けたい」


「ついでに人間も?」


「人間も、ついでに診る」


 ハンナは、ふっと笑った。


 その笑いの奥に、何かがあった。


 俺は、まだ見抜けなかった。


 見抜けないことは、嫌な情報だった。


 嫌な情報を、俺は傷より深い場所にしまった。



 ◇



 俺とリューリックは、その日のうちに鉱山警備として雇われた。


 雇い主は、地元の元商人ギルドの代表だった。


 革命後、鉱山は「人民のもの」になったらしい。


 ただし、運営している手は昔からほぼ同じだった。


 革命とは、所有の名義を書き換える儀式だ。


 書き換えただけでは、運営の手の動きまでは変わらない。


 動かす手が同じ人間のままなら、儀式の効力は薄い。


 ただし、書き換えたという事実だけは残る。


 残った事実を、誰かが長く抱える。


 その抱え方が、革命の本当の成果だった。


「日当、銅貨八枚。寝床は傭兵宿。仕事は夜警と、坑夫の喧嘩仲裁。それと盗難防止」


「了解」


「鉱山には、入らない方がいい。中の警備は別の連中がやってる」


「分かった」


 雇い主は書類に印を押した。


 書類の上の彼の名前は、革命前から変わっていないらしい字体だった。


 書類の下の「人民代表」という肩書きだけが、新しく追加されている。


 俺たちは契約書を受け取り、外へ出た。


「殿下」


「うん」


「『中の警備は別の連中』。気になります」


「だろうな」


「鉱山警備と一口に言っても、外と中で別系統。何かを隠している匂いです」


「ああ」


「では、外を見ながら中の話を拾います」


「お前、いつもの補給係の坑道か」


「鉱山警備は、それ以上です」


「鉱山自体が坑道だからな」


「左様で」


「お前の本義、地下までご出陣か」


「家令の家系の副業の本義に、地下労働の項目はございません」


「お前、もう家令って言葉、ほとんど看板じゃないか」


「看板でもございます」


「中身は」


「中身が本義でございます」


 リューリックは、ふっと肩をすくめた。


 肩をすくめる動作も、家令らしい動きと傭兵らしい動きの中間にあった。


 中間にある動作を、いまの彼はもう、自分の癖として定着させていた。


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