第五十四部 追放という名の保護と、辺境伯へ渡す手紙の話 ② 診察と、ヴァルター軍監
事情聴取より先に、診察が始まった。
北方第三宿駅の診療棟は、トルガウの野戦病院ほど大きくはない。それでも街道上の拠点として必要な設備は揃っていた。窓の近くには湯を沸かす炉があり、木製の棚には包帯、薬草、縫合用の針、消毒用の酒が並んでいる。
年配の軍医は、俺の包帯を外すと、深く息を吐いた。
「なぜ増えている」
「何が」
「傷だ」
「様々な事情が」
「白鷹門へ着いた時点より、増えている」
「浴場の設備が」
「黙れ」
隣では、カミラも右手の火傷と左肩を診られている。
軍医は、俺の腹へ残る赤い滲みを見て、もう一度ため息をついた。
「裂けている。縫い直すほどではないが、動くな」
「いつまで」
「少なくとも数日は」
「長い」
「昨日まで死にかけていた男が言うな」
新しい薬と布が当てられる。
声を上げるほどではない。
だが、痛い。
顔には出たらしい。
カミラが、少し離れた椅子からこちらを見る。
「痛いか」
「少し」
「少し?」
「かなり」
正直に答えると、カミラの眉間に刻まれていた皺が、ほんの少しだけ薄くなった。
「最初から、そう言え」
「ああ」
軍医が、俺とカミラを順番に見た。
「お前たちは、夫婦か」
「違う」
カミラが即座に答えた。
「便宜上の同行者だ」
「監察官と重要証人です」
ハインリッヒも加える。
「護衛料について協議中」
俺も答えた。
カミラの顔が赤くなる。
「黙れ」
軍医は少しだけ目を細めたが、それ以上は訊かなかった。
「事情聴取は、治療のあとだ。軍監殿も待っている」
「ヴァルターが?」
「軍監殿だ」
「以前、少し会った」
「今は、少しでは済まない」
正しい。
◇
ヴァルター軍監は、診療棟に隣接する小さな会議室で待っていた。
机、椅子、火鉢、北方地図。窓から差し込む午後の光が、余計な装飾のない部屋を斜めに切っている。
ただし、机の上には、封蝋を押された命令書が三通、少し離して並べられていた。
ヴァルターは、最初に俺を見た。
次にカミラ。
それから、ハインリッヒ。
「また、運ばれたか」
「今回は、かなり働いた」
「以前も、似たようなことを言っていたな」
「成長した」
「どこがだ」
ハインリッヒが、淡々と答える。
「以前よりは、医師と監察官の指示を聞きます」
「以前よりは、か」
「完全ではありません」
カミラも、椅子へ座りながら加えた。
「かなり不完全だ」
ヴァルターは、ほんの少しだけ目を細めた。
「座れ」
「座っている」
「立とうとするな、という意味だ」
「信用がない」
「報告書がある」
机の端には、ハインリッヒの追記が置かれている。
白鷹門の証言。
ヘスラー大佐の監査受諾。
ミハイル・ヴァルゼンの名乗り直し。
黒い外套の男。
青い細線。
火。
防火水門。
浴場についてまで書かれているかは、訊かない方がよい。
「白鷹門の件は、読んだ」
ヴァルターは言った。
「旧臣民、およそ七百人。死者なし。負傷者多数。西門の閉鎖を停止。移送札を回収。家族札は本人へ返却。配給は継続。ヘスラー大佐は監査へ従う」
カミラが頷く。
「二枚の移送札は、別々の布へ包んで運ばせた。写しも分散した」
「見た」
「黒い外套の男は」
「軍監直轄へ移した。保安監督室へは渡していない」
ヴァルターは、机の上へ並ぶ三通の命令書へ視線を落とした。
「その判断は、正しかったらしい」
一通目。
二通目。
三通目。
表面上は、どれもよく似ている。
封蝋。
印章。
紙。
帝国軍の書式。
「一通目は、俺が出した」
ヴァルターは言った。
「偽帰還令事件の重要証人として、お前を軍監直轄の保護拘束下へ置く命令だ」
「非常に嬉しくない」
「二通目は、北方司令部から届いた。レオン・ヴァン・リュカリオン本人を確認した場合、特別護送班へ引き渡せと書いてある」
「さらに嬉しくない」
「三通目も、表面上は二通目と同じだ」
ヴァルターは、三通目だけを指先で少し動かした。
カミラが立ち上がろうとする。
左肩が痛んだらしい。
顔がわずかに歪む。
「持ってくる」
俺が言った。
「座れ」
「だが」
「座れ」
ハインリッヒが三通目を取り、カミラの前へ置いた。
カミラは、火傷した右手を使わず、左手だけで紙の端を押さえる。
紙質。
折り方。
封蝋。
印章。
端。
目が止まる。
「青い線」
低い声で言った。
「正規の整理線の横へ、細い線が足されている」
ハインリッヒも見る。
「白鷹門の移送札と同じですか」
「ああ」
カミラは答えた。
「全部を偽造する必要はない。本物の書式、本物の経路、本物の印章へ、一枚だけ混ぜる。細い線を足し、意味を変える」
「三通目は、どこから来た」
俺が訊いた。
「分からん」
ヴァルターは答えた。
「北方司令部へ届く前の中継地で混ざった可能性もある。司令部から出たあとかもしれん。帝都まで入り込まれていると、今の段階で断定する気はない」
「だが、安全とも言えない」
カミラが言う。
「ああ」
ヴァルターは、俺を見る。
「だから、お前を帝都へ送れない」
「良い話?」
「違う」
「少し期待した」
「期待するな」
──第五十四部 了




