表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

283/290

第五十四部 追放という名の保護と、辺境伯へ渡す手紙の話 ② 診察と、ヴァルター軍監

 事情聴取より先に、診察が始まった。


 北方第三宿駅の診療棟は、トルガウの野戦病院ほど大きくはない。それでも街道上の拠点として必要な設備は揃っていた。窓の近くには湯を沸かす炉があり、木製の棚には包帯、薬草、縫合用の針、消毒用の酒が並んでいる。


 年配の軍医は、俺の包帯を外すと、深く息を吐いた。


「なぜ増えている」


「何が」


「傷だ」


「様々な事情が」


「白鷹門へ着いた時点より、増えている」


「浴場の設備が」


「黙れ」


 隣では、カミラも右手の火傷と左肩を診られている。


 軍医は、俺の腹へ残る赤い滲みを見て、もう一度ため息をついた。


「裂けている。縫い直すほどではないが、動くな」


「いつまで」


「少なくとも数日は」


「長い」


「昨日まで死にかけていた男が言うな」


 新しい薬と布が当てられる。


 声を上げるほどではない。


 だが、痛い。


 顔には出たらしい。


 カミラが、少し離れた椅子からこちらを見る。


「痛いか」


「少し」


「少し?」


「かなり」


 正直に答えると、カミラの眉間に刻まれていた皺が、ほんの少しだけ薄くなった。


「最初から、そう言え」


「ああ」


 軍医が、俺とカミラを順番に見た。


「お前たちは、夫婦か」


「違う」


 カミラが即座に答えた。


「便宜上の同行者だ」


「監察官と重要証人です」


 ハインリッヒも加える。


「護衛料について協議中」


 俺も答えた。


 カミラの顔が赤くなる。


「黙れ」


 軍医は少しだけ目を細めたが、それ以上は訊かなかった。


「事情聴取は、治療のあとだ。軍監殿も待っている」


「ヴァルターが?」


「軍監殿だ」


「以前、少し会った」


「今は、少しでは済まない」


 正しい。



 ◇



 ヴァルター軍監は、診療棟に隣接する小さな会議室で待っていた。


 机、椅子、火鉢、北方地図。窓から差し込む午後の光が、余計な装飾のない部屋を斜めに切っている。


 ただし、机の上には、封蝋を押された命令書が三通、少し離して並べられていた。


 ヴァルターは、最初に俺を見た。


 次にカミラ。


 それから、ハインリッヒ。


「また、運ばれたか」


「今回は、かなり働いた」


「以前も、似たようなことを言っていたな」


「成長した」


「どこがだ」


 ハインリッヒが、淡々と答える。


「以前よりは、医師と監察官の指示を聞きます」


「以前よりは、か」


「完全ではありません」


 カミラも、椅子へ座りながら加えた。


「かなり不完全だ」


 ヴァルターは、ほんの少しだけ目を細めた。


「座れ」


「座っている」


「立とうとするな、という意味だ」


「信用がない」


「報告書がある」


 机の端には、ハインリッヒの追記が置かれている。


 白鷹門の証言。


 ヘスラー大佐の監査受諾。


 ミハイル・ヴァルゼンの名乗り直し。


 黒い外套の男。


 青い細線。


 火。


 防火水門。


 浴場についてまで書かれているかは、訊かない方がよい。


「白鷹門の件は、読んだ」


 ヴァルターは言った。


「旧臣民、およそ七百人。死者なし。負傷者多数。西門の閉鎖を停止。移送札を回収。家族札は本人へ返却。配給は継続。ヘスラー大佐は監査へ従う」


 カミラが頷く。


「二枚の移送札は、別々の布へ包んで運ばせた。写しも分散した」


「見た」


「黒い外套の男は」


「軍監直轄へ移した。保安監督室へは渡していない」


 ヴァルターは、机の上へ並ぶ三通の命令書へ視線を落とした。


「その判断は、正しかったらしい」


 一通目。


 二通目。


 三通目。


 表面上は、どれもよく似ている。


 封蝋。


 印章。


 紙。


 帝国軍の書式。


「一通目は、俺が出した」


 ヴァルターは言った。


「偽帰還令事件の重要証人として、お前を軍監直轄の保護拘束下へ置く命令だ」


「非常に嬉しくない」


「二通目は、北方司令部から届いた。レオン・ヴァン・リュカリオン本人を確認した場合、特別護送班へ引き渡せと書いてある」


「さらに嬉しくない」


「三通目も、表面上は二通目と同じだ」


 ヴァルターは、三通目だけを指先で少し動かした。


 カミラが立ち上がろうとする。


 左肩が痛んだらしい。


 顔がわずかに歪む。


「持ってくる」


 俺が言った。


「座れ」


「だが」


「座れ」


 ハインリッヒが三通目を取り、カミラの前へ置いた。


 カミラは、火傷した右手を使わず、左手だけで紙の端を押さえる。


 紙質。


 折り方。


 封蝋。


 印章。


 端。


 目が止まる。


「青い線」


 低い声で言った。


「正規の整理線の横へ、細い線が足されている」


 ハインリッヒも見る。


「白鷹門の移送札と同じですか」


「ああ」


 カミラは答えた。


「全部を偽造する必要はない。本物の書式、本物の経路、本物の印章へ、一枚だけ混ぜる。細い線を足し、意味を変える」


「三通目は、どこから来た」


 俺が訊いた。


「分からん」


 ヴァルターは答えた。


「北方司令部へ届く前の中継地で混ざった可能性もある。司令部から出たあとかもしれん。帝都まで入り込まれていると、今の段階で断定する気はない」


「だが、安全とも言えない」


 カミラが言う。


「ああ」


 ヴァルターは、俺を見る。


「だから、お前を帝都へ送れない」


「良い話?」


「違う」


「少し期待した」


「期待するな」



 ──第五十四部 了


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ