第五十三部 白鷹門の湯と、護衛料を少しだけ前払いする話 Another Side:青いインク臨時号
青いインク臨時号――王子の名で、誰かを歩かせるな
青い活字社の印刷所へ、白鷹門の報せが届いたのは、火災から数日後の朝だった。
ヴィクトル・グレイは、机へ並べた紙を一枚ずつ読んだ。
白鷹門で火災。
旧臣民、およそ七百人。
死者なし。
負傷者多数。
グランデル帝国北方軍保安監督室の移送を停止。
家族札は本人へ返却。
配給は継続。
行き先を隠した二枚の移送札を回収。
青い細線。
円の中の目。
そして、レオン・ヴァン・リュカリオン本人が、白鷹門で自ら名乗った。
植字工が、紙を見ながら訊いた。
「社主。王子の名を見出しへ使いますか」
ヴィクトルは、すぐには答えなかった。
名前は、強い。
本人より先へ歩く。
旗より先へ。
門より先へ。
人を集める。
麦袋を動かす。
薬箱も。
火も。
だから、使い方を間違えれば、人を殺す。
「使わない」
ヴィクトルは言った。
「少なくとも、煽るためには使わない」
新しい紙を机へ置く。
青いインク。
分類するための青い細線ではない。
知らせるための青。
「見出しは、これだ」
王子の名で、誰かを歩かせるな。
麦と薬は受け取れ。
毛布も。
寝床も。
仕事も。
ただし、行き先を書かない荷車へ乗るな。
家族を分ける札へ、何も考えずに従うな。
王家の名であっても。
グランデル帝国の印であっても。
疑ってよい。
誰が、どの紙で、誰を、どこへ動かそうとしたか残せ。
最後に、ヴィクトルは一行だけ足した。
帰る場所は、自分で決めろ。
印刷機が動き始める。
青いインクが紙へ載る。
一枚。
二枚。
三枚。
西へ。
南へ。
東へ。
燃やされない数まで。
その日の午後、青い活字社の裏口へ、一枚の小さな紙が差し込まれた。
黒い縁取り。
円の中に、目。
短い文字。
北方終端、失敗。
旧名、本人確認。
第二経路へ移行。
西へ。
ヴィクトルは、その紙を長く見た。
それから、青いインクの瓶を机の中央へ置き直す。
「次を刷るぞ」
植字工が顔を上げた。
「何を」
ヴィクトルは答えた。
「西へ行く紙だ」
印刷機が、もう一度動き始めた。
──Another Side 了




