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第五十一部 金貨千枚の首と、武器ではなく桶を持つ話 ① 縮んだ空気と、金貨千枚の首

 西門の下で火が上がった瞬間、白鷹門の中央広場を満たしていた空気は、一度だけ大きく縮んだ。


 荷車置き場へ積まれていた木箱の隙間から炎が噴き出し、油と黒松脂を吸い込んだ火は、乾いた音を立てながら麦袋の表面を走った。救恤物資として運び込まれた毛布の端が赤く縮れ、荷車の車輪からは重い黒煙が立ち上がる。


 炎そのものよりも早く、人々の恐怖が広がった。


 白樺礼拝堂で火災を経験した者もいる。何が起きたのかを知らないまま、旧王家の白鷹旗とグランデル帝国北方軍の鷲旗を信じ、白鷹門まで歩いてきた者もいる。


 どちらにとっても、門の下から突然噴き上がった火は、単なる事故には見えなかった。


「伏せろ!」


 ハインリッヒ・フォン・ホルマンの声が、中央広場へ鋭く響いた。


 軍監付連絡士官として、ヴァルター軍監の命令を通す時と同じ声だった。だが、門壁に囲まれた石畳の上には、七百人近い人間がいる。前方にいた者が体を低くしても、後方にいる者からは炎が見えず、聞こえるのは悲鳴、木箱が爆ぜる音、そして誰かが走り始める足音だけだった。


 子どもが泣き、女が胸へ抱えていた家族札を落とす。立ち上がろうとした老人が隣の男へ肩をぶつけ、西門の近くへ集められていた濃い青線の札を持つ若者たちは、炎から逃れようとして後方へ下がり始めた。


 その後ろには、演壇の前へ残されていた老人、女、子どもがいる。


 誰かが走れば、周囲も走る。


 七百人が同時に同じ方向へ動けば、剣がなくても人は死ぬ。


 白樺礼拝堂で見た光景が、頭の中へ戻った。火は恐ろしい。だが、炎に触れる前に、倒され、踏まれ、息ができなくなる人間もいる。


「走るな!」


 腹へ巻かれた布の下で傷が熱を持ったが、構わず声を張った。


「その場で止まれ! 子どもを抱け! 老人を立たせるな!」


 中央広場の隅々まで届いたとは思わない。それでも、近くにいた者は顔を上げた。


 彼らの目に映ったのは、焦げた眉、額のこぶ、煤に汚れた外套、左腕と腹へ巻かれた包帯を抱え、カミラへ支えられなければまっすぐ立つことさえ難しい男だった。


 どう見ても、立派な王子ではない。


 それでも、少し前に名乗った。


 金貨千枚の賞金首である、レオン・ヴァン・リュカリオンとして。


 だから今だけは、その名前を使う。


「濃い青線の札を持っている奴!」


 西門の近くへ集められていた男たちへ向け、もう一度声を通した。


「剣を取るな。桶を持て!」


 数人の動きが止まった。


 馬を扱える者、鍛冶、荷役、農作業に慣れた者、昔兵士だった者。紙の上では、反乱軍へ仕立て上げるために使いやすい身体を持つ者として選ばれていた。


 だからこそ、武器を持たせない。


「桶を回せ! 家族が近くにいる奴は、一人だけ残って場所を守れ! 全員で動くな!」


 最初に動いたのは、肩幅の広い若い男だった。


 濃い青線の札を手の中へ握り込んだまま、配給所の横へ積まれていた水桶を掴み、西門へ走る。すぐ後ろにいた男も続こうとしたが、最初の男は振り返り、近くにいた子どもと老婆を指差した。


「二人は残れ! 婆さんと子どもを見ろ!」


 それを合図に、人の流れが少しずつ変わった。


 逃げるためではなく、火を消すために男たちが走り始め、混乱していた群衆の中へ、水桶を運ぶための細い道が一本ずつ形を持っていく。


「水桶は西門へ! 空いた桶は右側から戻せ!」


 別の声が重なった。


 ミハイル・ヴァルゼンだった。


 白い外套は、もう着ていない。演壇の近くへ立ち、避難民区で何度も列を作り、足りない麦袋と薬箱を分けてきた者として、人々へ腕を上げている。


「押すな! 子どもと老人は動かすな! 水を運べる者だけ列へ入れ!」


 それは、王子として人々を酔わせる演説ではなかった。


 だが、今この場所では、白い外套を着ていた時の言葉よりも、ずっと役に立った。


 ミハイルの近くにいた書記官が配給所へ走り、鍋の周囲にいた女たちも水差しや洗濯桶を集め始める。


 ハインリッヒは中央広場を一度だけ見渡すと、自分の副官へ命じた。


「巡察隊を二班に分けろ。一班は井戸へ。もう一班は西門の巻き上げ機へ回せ。群衆へ槍を向けるな。水桶が通る道を作れ」


「承知しました」


 副官が走る。


 少し離れた場所では、コンラート・ヘスラー大佐も自分の兵士へ命令を出していた。


「西門の閉鎖作業を止めろ。巻き上げ機から兵を離せ。救恤用の井戸を開けろ。槍を下げろ。旧臣民を押し戻すな」


 兵士の一人が、迷うように顔を上げた。


「大佐、しかし」


「門を閉じるな」


 短い命令だった。


 だが、周囲の兵士へは十分に届いた。


 ヘスラーの指揮下にいた兵士たちは、一瞬だけ互いの顔を見たあと、槍を立て直した。人々を押し戻すためではなく、水桶が通る幅を確保するために動き始める。


 グランデル帝国北方軍の鷲旗と、旧リュカリオンの白鷹旗が並んで揺れる下で、濃い青線の札を持たされた男たちと帝国兵が、同じ方向へ水桶を回していく。


 それだけで、十年前から続く傷が消えるわけではない。グランデル帝国と旧臣民の間に残る不信が、簡単に解けるわけでもない。


 それでも、今はそれでいい。



 ──第五十一部 了


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