第五十部 レオン・ヴァン・リュカリオンと名乗り、王子へ戻らない話 ③ 戻る広場と、西門の最初の火
広場の空気は、少しずつ戻り始めた。
停止命令の写しが、配給所、診療天幕、西門、演壇前、門外の天幕へ貼られていく。書記官は家族札をいったん本人へ返し、写しを作る場合には、誰が、どこで、何のために保管するかを書き加える。濃い青線の札を持っていた男たちも、西門から少しずつ離れ、家族のもとへ戻り始めた。
子どもが泣き、母親が抱き上げる。
老人が座る。
麦粥の鍋から湯気が上がる。
完全に終わったわけではない。
疑う者もいる。
怒る者も。
王子へ戻れと言いたい者も。
金貨千枚の首を、まだ見ている者もいる。
それでも、七百人が一度に走ることはない。
今は、それでいい。
俺は少しだけ息を吐いた。
腹へ巻いた布の下で、痛みが強くなっている。
立ち続けられる時間は、もう長くない。
「カミラ」
「何だ」
「かなり限界かもしれない」
「知っている」
「早いな」
「最初から知っている」
「倒れていい?」
「今度は、先に言ったな」
カミラの声が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「ああ」
背中へ回していた腕へ力を入れる。
「こっちへ倒れろ」
「非常に良い命令だ」
「余計な意味を足すな」
「努力する」
「守れ」
「守る」
少しだけ体重を預ける。
近い。
温かい。
柔らかい。
かなり。
いや。
今は、たぶん、安全確認だけにしておく。
たぶん。
少しだけ、成長した。
「顔が最低だ」
カミラが言った。
「何も言っていない」
「考えている」
「証拠は」
「実績だ」
正確だった。
その時、西門の上から鐘が鳴った。
一度だけ、短く。
続いて、もう一度。
規則正しい鳴らし方ではない。
火事の鐘でも、集会の鐘でも、警備交代の合図でもなかった。
ハインリッヒが顔を上げる。
ヘスラー大佐も。
巡察隊の兵士も。
門壁の上を見る。
西門の巻き上げ機の近く、先ほどまで閉鎖作業へ当たっていた兵士たちのさらに後方、石壁の上に黒い外套の男が立っていた。
正規兵の外套ではない。
春先の風が吹き、裾が揺れる。
男の右手には、小さな火が見えた。
火縄。
その視線の先、西門の下にある荷車置き場には、積み上げられた木箱、麦袋、毛布、油樽が並んでいる。救恤物資へ紛れ、いつの間にか運び込まれていたのだろう。
白樺礼拝堂より多い。
しかも、広場にはまだ七百人近い人々が残っている。
「伏せろ!」
ハインリッヒが叫んだ。
次の瞬間、西門の下で、最初の火が上がった。
──第五十部 了




