第四十九部 命令が二つになり、金貨千枚の首へ視線が集まる話 Another Side:ヴァルター軍監
ヴァルター軍監と、命令を一枚へ戻さない話
白樺礼拝堂で火災が起きたという第一報が届いた時、ヴァルター軍監は、北方第三宿駅の臨時執務室にいた。
窓の外では、伝令馬が泡を吹き、兵士が鞍を外し、衛生兵が水桶を運んでいる。
机の上には、三つの場所から届いた報告書が並んでいた。
第三宿駅。
第七補給場。
白樺礼拝堂。
同じ異常について書かれている。
だが、少しずつ違う。
礼拝堂では、旧リュカリオン王家の白鷹旗とグランデル帝国北方軍の鷲旗が同時に掲げられ、旧籍照合のために旧五国出身者が集められた。麦と薬が配られ、家族札が回収され、黒松脂は火鉢と照明用資材として運び込まれている。
その後、広場の周囲へ火が走った。
死者なし。
負傷者多数。
ロド・カナリと名乗る傭兵が鐘を鳴らし、カミラ・パヴェル監察官が墓地側へ逃げ道を作り、巡察隊の兵士と護送班の一部が救出へ加わった。
報告書の一枚には、別の紙が添えられていた。
軍監付連絡士官、ハインリッヒ・フォン・ホルマンからの短い追記である。
傭兵ロド・カナリは、レオン・ヴァン・リュカリオン本人である可能性が高い。
トルガウ野戦病院で同室となった際、本人は外国人傭兵として入院していた。
顔、声、負傷時の行動、必要以上に歩こうとする悪癖は一致。
本人への直接確認済み。
ヴァルターは、その最後の一行を長く見た。
金貨千枚。
グランデル帝国の指名手配。
亡国の王子。
十年前の敗戦。
旧五国連合。
北方。
火。
全部が重なる。
「軍監殿」
副官が声を掛けた。
「白鷹門へ、停止命令を一枚にまとめますか」
「まとめるな」
ヴァルターは即座に答えた。
「五枚」
「五枚?」
「いや、十枚だ。検問所、兵舎、診療天幕、配給所、門外の街道標。白鷹門へ着く前に、写しを増やせ」
「原本は」
「別の道で送る。写しだけ先に走らせろ」
副官が、少しだけ迷う。
「命令が複数になれば、現場が混乱します」
「一枚なら、燃やされる」
ヴァルターは言った。
「誰か一人が受け取れば、その男を止めるだけで命令も止まる。今は、止められない数まで増やせ」
「保安監督室長の指揮権と衝突します」
「ああ」
「よろしいのですか」
「よくはない」
ヴァルターは報告書へ視線を落とした。
「だが、命令が一つでなければならないと思い込むこと自体が、今は危険だ」
机の上には、別の紙もある。
青い細線。
分類。
旧籍。
年齢。
職業。
移送予定。
北方軍保安監督室の書式。
一見すれば、必要な仕事だった。
北方は広く、散った者も多い。冬は長く、救恤を効率化しなければ間に合わない。
だが、効率の良い仕組みは、少しだけ意味を足せば、人を救う道具から、人を燃やす道具へ変わる。
「軍監殿」
副官が訊いた。
「ロド・カナリについては、どう処理しますか」
ヴァルターは、すぐには答えなかった。
「本人だと確認できた場合、指名手配は有効です」
「ああ」
「懸賞も」
「ああ」
「拘束命令を?」
「出す」
副官が顔を上げる。
「ただし」
ヴァルターは続けた。
「誰にでも触らせるな。軍監直轄の保護拘束だ。偽帰還令事件の重要証人として扱い、身元を知る者も必要な範囲へ絞れ」
「逃亡の可能性は」
「高い」
「では」
「それでもだ」
ヴァルターは少しだけ息を吐いた。
「金貨千枚は、兵士の忠誠を試すには大きすぎる。善良な者でも迷う。家族がいる者なら、なおさらだ」
副官は黙った。
「帝国軍を信じないのですか」
「信じる」
ヴァルターは答えた。
「だから、人間として迷う可能性も計算へ入れる」
指名手配。
保護拘束。
偽帰還令。
旧臣民。
グランデル帝国軍。
亡国の王子。
全部を、一枚へまとめない。
「命令を書け」
ヴァルターは言った。
「旧籍照合と移送を停止。救恤は継続。家族札の原本は本人へ返却。名簿は写しを作り、分散保管。ロド・カナリと名乗る傭兵については、軍監直轄の保護拘束対象として扱う」
「はい」
「さらに、白鷹門へ入った写しを一か所へ集めるな。誰かが回収を命じても、記録を残せ。勝手に燃やすな」
副官が頷き、机へ向かう。
ペン先が紙へ触れる。
インクが文字になる。
命令は一枚、二枚、三枚と増え、別々の道へ走っていく。
北方の街道。
白樺林。
灰鐘関所。
第三宿駅。
白鷹門。
間に合うかは分からない。
それでも、一枚へ戻さない。
誰か一人の手へ、全部を預けない。
窓の外で、伝令馬が走り出す。
ヴァルターは、白鷹門の方角へ目を向けた。
「勝手に死ぬなよ」
小さく言う。
誰へ向けた言葉なのか、副官は訊かなかった。
──Another Side 了




