第四十九部 命令が二つになり、金貨千枚の首へ視線が集まる話 ④ 金貨千枚の首へ、集まる視線
だが、終わらなかった。
西門の巻き上げ機の近くに立っていた兵士の一人が、剣を抜いた。
金属が鞘を擦る高い音が、広場へよく通る。
空気が止まった。
「命令違反だ!」
兵士が叫ぶ。
「室長は脅されている! 旧王家の扇動者と、イタリカの監察官に!」
剣先が、カミラへ向く。
巡察隊の兵士が即座に前へ出て槍を構え、ハインリッヒも俺から手を離し、半歩だけ前へ出た。
ヘスラーの顔が変わる。
「剣を下ろせ!」
命じる。
だが、兵士は従わない。
「大佐!」
叫ぶ。
「旧五国の反乱を、見逃すおつもりですか!」
「下ろせ」
「帝国を守るためです!」
兵士は、一歩進む。
カミラへ向けて剣を構えたまま。
その時、群衆の中から声が上がった。
「殿下……?」
小さい。
だが、聞こえた。
俺は顔を向ける。
演壇の近くに、二重線の札を持った老人が立っていた。
白髪。
痩せた顔。
左脚を引きずっている。
老人は俺を見る。
焦げた眉。
額のこぶ。
煤。
包帯。
カミラへ支えられ、ハインリッヒと並んで立つ俺を。
指名手配書に、正確な似顔絵は載っていない。
十年経った。
普通の兵士や役人が、今の俺の顔だけで亡国の王子だと分かるはずはない。
だが、昔の白鷹門で、俺を見た者がいる。
王子だった頃の俺を。
冬の式典で。
父の隣へ立っていた頃に。
「レオン殿下」
今度は、はっきりと言った。
周囲が静かになる。
人々が見る。
兵士も。
書記官も。
ミハイルも。
ヘスラーも。
剣を抜いた男も。
ハインリッヒも。
俺を見る。
風が吹き、白鷹旗とグランデル帝国の鷲旗が、同時に揺れた。
老人は、震える声で続ける。
「白鷹門の冬の式典で、何度もお見かけしました。まだ、お若かった頃に」
誰かが、群衆の後ろで叫んだ。
「賞金首だ!」
遠い。
だが、広場へ届く。
「帝国が金貨千枚を掛けた、亡国の王子だ!」
人々がざわめいた。
帝国兵が俺を見る。
役人も。
荷役も。
商人も。
傭兵らしい男も。
視線が、俺の顔から首へ移る。
金貨千枚。
普通の兵士が一生働いても、簡単には手へ入らない。
家族を養える。
土地を買える。
借金を返せる。
病気の子どもへ薬を買える。
小さな村なら、立て直すことさえできるかもしれない。
俺の首一つで。
剣を抜いた兵士の目へ、別の熱が混ざる。
旧五国の反乱を止めるためなのか。
帝国を守るためなのか。
金貨千枚のためなのか。
本人にも、もう分からないのかもしれない。
「誰も動くな!」
ハインリッヒの声が、中央広場へ響いた。
軍監付連絡士官として、ヴァルター軍監の命令を通す声だった。
「その男は、偽帰還令事件の重要証人であり、ヴァルター軍監直轄の保護拘束対象だ! 身元確認は軍監の監査下で行う。勝手に触れれば、軍令違反として拘束する!」
指名手配が消えたわけではない。
金貨千枚も。
帝国軍人であるハインリッヒが、昔の縁だけで俺を見逃すこともできない。
だからこそ、保護拘束する。
帝国のために。
証拠のために。
そして、たぶん少しだけ。
病院で隣の寝台にいた、しぶとい傭兵を、誰かの欲へ渡さないために。
だが、一度値段を知られた視線は、簡単には戻らない。
カミラが、俺の前へ半歩だけ出た。
右手には火傷がある。
左肩も傷めている。
それでも、守る側へ自分を置く。
「下がれ」
俺は小さく言った。
「嫌だ」
即答だった。
「俺へ掛かっている賞金だ」
「知っている」
「危険だ」
「知っている」
カミラは、周囲から目を離さない。
「私は、あんたを守る側へ数えている」
白樺礼拝堂で言った言葉。
ただし今度は、七百人近い人々、帝国兵、抜かれた剣、金貨千枚の懸賞、その全部を前にして立っている。
俺は、少しだけ息を吐いた。
もう、逃げられない。
ロド・カナリだけでは止められない。
俺の名前は、俺より先に門を通った。
偽物へ。
旗へ。
紙へ。
火へ。
金貨千枚へ。
なら、今度は自分で使う。
「カミラ」
「何だ」
「少しだけ、支えてくれ」
カミラは、初めてこちらを見た。
短い黒髪。
煤。
焦げた手袋。
怒っている。
怖い。
たぶん。
それでも、目は逸らさない。
「ああ」
低い声で答える。
「最初から、そのつもりだ」
カミラは、傷めた肩へ無理を掛けないようにしながら、俺の背中へ右腕を回した。
腹が痛い。
左腕も。
かなり。
だが、立てる。
荷車の上ではなく。
寝台でもなく。
今だけは、立つ。
中央広場。
演壇。
白鷹旗。
グランデル帝国の鷲。
偽の王子。
北方軍保安監督室長。
帝国兵。
旧臣民。
金貨千枚。
全部を見る。
息を吸う。
名乗れば、自由を失う。
グランデル帝国軍へ拘束される。
賞金を狙う者も動く。
旧臣民の中には、王へ戻れと言う者もいる。
強硬派は、反乱の旗として使う。
円の中の目も、さらにこちらを見る。
それでも、名乗る。
王になるためではない。
忠誠を集めるためでもない。
人へ、選ぶ権利を返すために。
俺は口を開いた。
──第四十九部 了




