第四十六部 旧境白鷹門と、王子へ戻らない男の話 ④ 門を塞ぐ兵と、旧税関詰所へ
第四十六部 旧境白鷹門と、王子へ戻らない男の話 ④ 門を塞ぐ兵と、旧税関詰所へ
荷車が門へ近づくと、帝国兵が道を塞いだ。
揃った靴、手入れされた剣帯、槍の位置。昨日まで見てきた偽物とは違い、正規の装備である。ただし、正規兵だから味方とは限らない。
「止まれ」
先頭の兵士が言った。
「北方軍保安監督室の命令により、旧境白鷹門は一時封鎖されている。救恤対象者、旧籍照合済みの者、関係書類を持つ者は受付へ回れ」
「北方第三巡察隊から来た」
同行していた兵士が答える。
「ヴァルター軍監の停止命令を持っている。旧籍照合と移送は、監査終了まで保留だ」
「命令書を」
「写しを渡す。原本は別経路だ」
道を塞いだ兵士の表情が、少しだけ変わる。
一か所へまとめない。楽に渡さない。楽に燃やされない。
カミラが選んだ手順だった。
帝国兵が写しを受け取ろうとした時、門の向こうから馬の音が聞こえた。
整った蹄の音は速すぎず、それでも迷いなく近づいてくる。人々が道を空け、帝国兵も姿勢を正した。
騎兵は七人。
先頭の男は、帝国軍将校の黒い外套を着ていた。肩章には軍監付連絡士官を示す銀の縁取りがあり、腰には剣を下げ、馬上でも姿勢が崩れない。
知らない姿ではない。
今度は、すぐに分かった。
トルガウのグランデル帝国軍野戦病院。
エルゼが記録板を抱えて病室を歩き、アーノルト軍医が俺の傷を見て眉を寄せ、隣の寝台では帝国の統一を疑わない士官が本を読んでいた。
三代前に帝国へ組み込まれた家の出身であり、家を捨てて、より大きな家へ入ることが賢いと俺へ言った男。
退院の時には、補給路で使える帝国語の短文を紙へ書き、栞として黙って寄越した。
ハインリッヒ・フォン・ホルマン。
男は門の前で馬を止めると、最初に巡察隊の兵士を見て、次にヴァルター軍監の命令書の写し、カミラ、革袋、最後に荷車へ寝かされた俺へ視線を移した。
焦げた眉、額のこぶ、煤、左腕の包帯、腹の布。
かなりひどい。
それでも、ハインリッヒは俺だと分かったらしい。
しばらく何も言わずに見たあと、ほんの少しだけ目を細めた。
「荷車を、旧税関詰所へ回せ」
低い声だった。
「この場では、関係者の身元を確認しない。兵士にも余計なことを言うな」
門の兵士が、少しだけ眉を寄せる。
「軍監付連絡士官殿」
「ヴァルター軍監直轄の監査案件だ。写しを読め。原本は別経路にある。命令系統を確認するまで、勝手に人も紙も動かすな」
「承知しました」
ハインリッヒは馬を降り、荷車の横へ立った。近くへ来ると、今度は周囲へ聞こえない声で言う。
「まさか、隣の寝台で歩けると言い張っていた傭兵を、こんな場所で荷物として見るとは思わなかった」
「久しぶりだな」
「相変わらず、治療を受ける才能がない」
「治療を受ける機会には恵まれている」
「それを誇るな」
カミラの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
その時、革袋の隙間から、折り畳まれた細長い紙の端が覗いた。
補給路で使う短い帝国語。
ハインリッヒの栞。
男の視線が、そこへ止まる。
「まだ持っていたのか」
「使える紙だったからな」
「そうか」
ハインリッヒは、それ以上何も言わなかった。ただ、ほんの少しだけ表情が緩んだ。
病院で隣の寝台にいた帝国軍人。
味方か、敵かは、まだ分からない。
少なくとも、今この場所で俺を待っていた理由は、昔の縁だけではなかった。
「詰所へ入ったら話す」
ハインリッヒは低い声で続けた。
「それまでは、ロド・カナリでいろ。顔を上げるな」
「非常に厳しい」
「監査対象の紙へ、お前の名前が出ている」
周囲へ聞こえない声だった。
「同じロド・カナリという名が、別の経路でも使われている。今のお前は、偽帰還令事件の重要証人であり、身元確認を要する関係者だ。勝手に消えるな。兵士全員へ余計な疑念を持たせるな」
「傭兵へ命令する?」
「病院で、歩くなと言われても歩こうとした傭兵へ命令している」
「待遇は」
「荷車」
「非常に悪い」
「生きているだけ良いと思え」
ハインリッヒの目は、笑っていなかった。
カミラへ視線を移す。
「カミラ・パヴェル監察官」
「何だ」
「その男を荷物として運ぶ判断は正しい。旧税関詰所へ入れたあと、ヴァルター軍監直轄の保護拘束下へ置く」
「保護拘束?」
俺が訊く。
「そうだ」
「拘束へ保護を足すと、少し優しく見える」
「本当に優しく扱ってほしければ、まず寝ていろ」
「帝国軍人まで厳しい」
「病院の頃から言っている」
カミラの口元が、また少しだけ緩んだ。
「笑った?」
「笑っていない」
「今のは笑った」
「傷へ響くぞ」
「非常に卑怯な脅しだ」
「効くだろ」
効く。
本当に。
◇
荷車は人の流れを外れ、旧税関詰所へ向かった。
白鷹門の内側から、鐘が鳴る。
祈りでも、火事でもない。
人を一か所へ集め、帰還を告げるための鐘だった。
ハインリッヒは荷車の横を歩きながら、門の向こうへ視線を向ける。
「話は、詰所で続ける」
言う。
「その前に、一つだけ知っておけ」
「何だ」
「白鷹門の内側に、レオン・ヴァン・リュカリオンを名乗る男がいる」
風が吹き、白鷹旗と帝国の鷲が同じ空の下で揺れた。
「しかも、そいつは今から、帝国北方軍保安監督室長と並び、五百人以上の前で帰還を宣言する」
俺は荷車の上で目を閉じた。
腹も、腕も痛い。
かなり。
だが、進める。
「降りる」
俺が言うと、カミラが即座に答えた。
「駄目だ」
「行く」
「歩けない」
「歩ける」
「歩けるかどうかではない。立ったまま倒れないかだ」
ハインリッヒが、俺とカミラを順番に見る。
「ロド」
病院で隣の寝台にいた男は、周囲へ聞こえない声で言った。
「少しは、医者と監察官の言うことを聞くようになったか」
「少しだけ」
「では、監察官へ従え。詰所までは荷車だ」
「帝国軍人まで」
「全員が正しい可能性を考えろ」
どこかで聞いた気がする。
かなり。
俺は息を吐いた。
「荷車で行く」
カミラが、ほんの少しだけ頷く。
「最初から、そう言え」
白鷹門の内側から、鐘がもう一度鳴った。
俺は目を開ける。
昔の国へ戻るためではない。
俺の知らない王子を止めるために。
軍監直轄の保護拘束対象として、荷車の上から白鷹門をくぐった。
──第四十六部 了




