第四十五部 白樺礼拝堂と、帰る場所を自分で決める話 ④ 焼け残った紙箱と、夜
火が完全に消えるまで、かなりの時間が掛かった。
巡察隊の兵士、水車場から追いついた護送班の一部、礼拝堂へ集められていた人々が、水桶、毛布、土、手、使えるものを何でも使った。
白樺の何本かは燃え、演壇も、白鷹旗も、帝国の鷲旗の一枚も焼け、鐘楼も落ちた。それでも百人を超える人々のうち、死者は出なかった。
煙を吸った者、転んだ者、火傷、打撲、切り傷。怪我人はいるが、生きている。
俺たちが斬った男は二人。
鐘楼。
広場。
死んだ。軽くはない。
それでも、守った。
たぶん、間違ってはいない。
カミラは灰で汚れた石垣へ腰を下ろし、俺の腹へ布を押し当てていた。
「押さえろ」
「押さえている」
「もっと強く」
「痛い」
「痛くていい。血を止めろ」
「非常に厳しい」
「黙れ」
俺は右手で布を押さえ、左腕は完全に使わない。カミラは包帯、水、薬を確かめている。
その手が少し震えていた。
初めて見る。
「カミラ」
「何だ」
「震えている」
カミラの手が止まる。
「寒いだけだ」
「嘘だ」
「監察官へ嘘だと言うのか」
「実績がある」
少し間が空いた。
カミラは目を伏せる。
「……怖かった」
ぎりぎり聞こえるほど、小さい声だった。
「何が」
「あんたが、鐘楼から降りてこないかと思った」
返事が遅れる。
「火の中へ戻った時も、鐘楼が落ちた時も。あんたは守ると言ったあとで、いつも自分を数から外す」
怒っているが、それだけではない。
「私は」
言葉が少し止まる。
「私は、あんたを守る側へ数えている」
胸の奥へ、今までより少しだけ重く、それでも悪くない何かが落ちた。本当に。
「護衛料が」
俺は言った。
カミラの眉が寄る。
「今、それを言うのか」
「払ってもらわないと困る」
「最低だな」
「傭兵だからな」
カミラはしばらく俺を見たあと、ほんの少しだけ笑った。
「生きて戻ったら払う」
「金で?」
「考える」
「非常に期待している」
「顔が最低だ」
「負傷者へ配慮を」
「している」
カミラは俺の額へ軽く指を当て、押した。
「痛い」
「生きているな」
「ああ」
「なら、いい」
声が少し柔らかい。
非常に良い。
◇
礼拝堂の裏手から、焼け残った紙箱が見つかった。
中には忠誠登録名簿、移送札、麦と薬の配給表、白鷹旗の受領記録、そして一枚だけ別の紙が入っている。
上部には円の中の目、端には細い青線、下には短い指示。
白樺礼拝堂は、試験。
本番は、旧境。
王子役は二名。
一名は礼拝堂。
一名は旧境白鷹門。
旧臣民の集積を継続。
帝国北方軍強硬派の関与を示す記録を残すこと。
融和派の失敗として処理。
火は、民を焼くためだけではない。
帝国を割るため。
旧五国連合を揺らすため。
俺の名前を使うため。
「旧境白鷹門」
カミラが言った。
「ここから西北西。徒歩なら一日半。馬なら、急げば半日強」
「旧五国連合の境?」
「ああ。まだ帝国側だが、旧リュカリオンへ入る手前だ」
偽の王子はもう一人いて、その男は先へいる。礼拝堂は試験、本番は旧境。人もさらに集められている。
立とうとすると、カミラの右手が肩へ載った。
「座れ」
「行く」
「行く。だが、今すぐではない」
「時間が」
「分かっている」
カミラは低い声で言った。
「だから、今度こそ治療してから行く。あんたが旧境へ着く前に倒れれば、次は止められない」
「半刻」
「一刻」
「長い」
「二刻にするか」
「一刻で」
「最初から、そう言え」
かなり不本意だが、正しいので座る。たぶん、少しだけ成長した。
◇
夜。
白樺礼拝堂の焼け跡には、臨時の診療天幕が張られた。
水車場から来た衛生兵、第三宿駅へ戻る伝令、護送班、巡察隊、礼拝堂へ集められた人々。誰もすぐには動かない。
名簿は分け、写しを作り、別々の荷車へ載せる。麦も、薬も、毛布も配る。忠誠登録は止める。
帰る場所は、自分で決める。
俺は診療天幕の寝台へ寝かされていた。
非常に不本意である。
隣にはカミラ、椅子、紙、革袋、短剣、外套。いつもと違うのは、カミラが紙を読んでいるだけではなく、時々こちらを見ることだった。
俺が息をしているか、確かめるように。
「寝ないのか」
「寝る」
「いつ」
「あんたが眠ったら」
「信用がないな」
「実績がある」
正確だった。
「隣へ来る?」
カミラは紙から顔を上げる。
「何のために」
「眠れる場所を提供する」
「寝台は一つだ」
「工夫できる」
「最低だな」
「負傷者へ配慮を」
「寝ろ」
「非常に厳しい」
カミラは紙へ戻る。ただし、口元が少しだけ緩んでいた。
目を閉じる。
左腕も腹も痛い。かなり。
それでも火の中から生きて戻り、カミラも隣にいる。
「カミラ」
「何だ」
「旧境へ行く」
「ああ」
「偽の王子を止める」
「ああ」
「俺の名前で集まるな、と言う」
「ああ」
「俺の名前で死ぬな、とも」
「ああ」
「それから」
「何だ」
「護衛料」
紙が額へ載る。
「痛い」
「寝ろ」
「紙は燃やすな」
「燃やしていない」
正確だった。
少しだけ笑い、目を閉じる。
火の匂い、薬、煙、水、紙、カミラ。その全部が近い。
それでも眠れる。
今夜は、たぶん戻れると思える。
隣に誰かがいるから。
──第四十五部 了




