第四十三部 俺より先に帰還した王子と、俺の知らない演説の話 ④ 包帯を巻き直して、追いつくために
古い補給場の一室を借り、包帯を巻き直すことになった。
机。
椅子。
水桶。
乾いた布。
薬。
窓の外では、巡察隊の兵士が拘束者を分け、救い出した人々へ水と麦粥を配っている。
カミラは俺の前へ椅子を置いた。
「座れ」
「王子へ命令する?」
「便宜上、負傷した傭兵だ」
「非常に便利だ」
「早く座れ」
従う。
外套を脱ぎ、左腕を出す。
包帯を外すと、昨日受けた矢傷の上へ赤い線が広がっていた。深くはない。それでも、さっきの動きで少し開いている。
カミラは傷を洗い、乾いた布を当てた。
手つきは丁寧だった。
丁寧すぎるほど。
「痛い?」
カミラが訊く。
「少し」
「正直だな」
「成長した」
「昨日から?」
「一晩あった」
フォーゲル大尉へ言った言葉を繰り返すと、カミラの口元が少しだけ動いた。
「動かすな」
「分かっている」
「分かっている顔ではない」
「顔への偏見が強い」
「実績だ」
包帯を巻く。
右手だけで。
左肩を傷めているため、いつもより少し時間が掛かる。
「次は、お前」
俺が言うと、カミラは顔を上げた。
「何が」
「肩」
「問題ない」
「確認する」
「必要ない」
「同行者の管理だ」
「自分の腕も管理できない男が?」
「他人の管理は得意かもしれない」
「最低だな」
「安全確認だ」
カミラは、しばらく俺を見た。
断ると思った。
だが。
少しだけ息を吐き、外套の留め具へ右手を掛ける。
「包帯だけ見ろ」
「信用がないな」
「実績がある」
左肩を傷めているため、留め具を外す動きは遅い。
俺は手伝う。
革帯。
外套。
下衣。
白い首筋。
鎖骨。
その下へ続く肌。
近い。
かなり。
極めて真面目に。
肩の包帯を見る。
主に。
「視線」
カミラが低い声で言った。
「肩を確認している」
「肩は、もう少し上だ」
「視野を広く持つことは重要だ」
「何のために」
「危険を早く見つける」
「今、見つけるべき危険は一つだ」
「どこに」
「目の前にいる」
カミラは右手だけで、新しい包帯をこちらへ押しつけた。
「巻け」
「俺が?」
「片手では難しい」
「非常に光栄だ」
「余計なことを考えるな」
難しい。
本当に。
肩へ触れないよう注意しながら、包帯を背中から脇の下へ回す。
近い。
かなり。
下衣の隙間から白い肌が見える。
香草と石鹸の匂い。
少しだけ速い呼吸。
俺のものか。
カミラのものか。
たぶん。
両方。
「手が止まった」
「角度を考えている」
「視線も止まった」
「安全確認だ」
「その言葉は、もう禁止する」
「非常に困る」
カミラの右手が、俺の包帯の上へ置かれた。
少し。
押す。
「痛い」
「巻け」
「負傷者へ配慮を」
「私も負傷者だ」
「非常に正しい」
包帯を巻く。
結ぶ。
今度こそ。
真面目に。
主に。
終わる。
カミラは外套を直し、少しだけ顔を背けた。
耳が赤い。
ほんの少し。
悪くない。
「カミラ」
「何だ」
「さっき」
「何だ」
「レオンと呼んだ」
カミラは、しばらく答えなかった。
窓の外では、兵士が水桶を運ぶ音、子どもが麦粥を食べる音、馬が鼻を鳴らす音が続いている。
「本当の名前が必要な時だった」
カミラは答えた。
「そうか」
「ああ」
「また呼んでもいい」
「調子に乗るな」
「悪くなかった」
カミラは、こちらを見た。
少し疲れている。
左肩は痛い。
逃亡中。
帝国軍から拘束命令も出ている。
それでも。
目は変わらない。
まだ、何一つ諦めていない。
「あんたの名前で、人を集める気はない」
低い声で言った。
「だが、あんたを呼ぶ時くらいは使う」
少しだけ。
胸の奥へ。
何かが落ちた。
重くない。
だが。
悪くない。
「非常に良い」
俺が言うと、カミラの眉が寄る。
「何が」
「全部」
「顔が最低だ」
「感動している」
「視線が違う」
「感情は複雑だ」
カミラの右足が、俺の靴へ載った。
「痛い」
「半刻休め」
「踏んだまま?」
「逃げないように」
非常に厳しい。
だが。
悪くない。
◇
半刻後。
俺たちは、巡察隊の副官と六人の兵士より少し遅れて、灰楡集積地へ向けて補給場を出た。
西北西。
まだ旧五国連合の境へ入ったわけではない。
帝国領は、もう少し続く。
それでも。
旧リュカリオンの名前は。
俺より先に。
西へ進んでいる。
栗毛へ乗る。
左腕は使わない。
水も飲んだ。
干し肉も食べた。
包帯も巻き直した。
急ぐ。
だが。
走りすぎない。
守るために。
俺の知らない王子へ。
追いつくために。
──第四十三部 了




