第四十三部 俺より先に帰還した王子と、俺の知らない演説の話 ③ 偽の帰還令と、紙の帳面
ベルント中尉は、偽の帰還令を見たあと、倉庫の奥へ積まれた紙箱も調べさせた。
そこから見つかったのは、旧籍照合表だけではない。
麦、薬、毛布、荷車、馬、宿泊場所、巡回経路、配布用の旗、鐘、演壇、椅子、簡易天幕。
人を生かすために必要な物。
人を集めるために必要な物。
そして。
人へ見せるために必要な物。
別の箱からは、厚い紙へ整った文字で書かれた文書が出てきた。
題名はない。
ただし、冒頭だけで意味は分かった。
『旧リュカリオンの民よ。長く待たせた』
俺は、しばらく紙を見た。
『私は帰った。帝国との過去を忘れたわけではない。だが、散った民を守るため、今は憎しみを越える。グランデル帝国北方軍の保護を受け、旧臣民を一つへ集める』
演説だった。
俺の知らない俺が。
俺の知らない場所で。
俺の知らない言葉を話すための。
演説。
続きには、旧村ごとの代表者、家族の再照合、就労、仮住居、食料配給、診療所、帰還希望者の登録、旧臣民の団結が書かれている。
一見すれば。
悪くない。
むしろ。
正しいように見える。
冬を越せない者へ麦を配る。
病人へ薬を渡す。
散った家族を探す。
住む場所を作る。
仕事を与える。
それでも。
最後まで読むと。
別のものが見えてくる。
『旧臣民は、指定された帰還所へ集まれ』
『独自行動を避け、王家の通達に従え』
『旧王家へ忠誠を誓う者は、登録を済ませよ』
『反対する者、混乱を招く者、通達を疑う者は、帝国北方軍の保護を受けられない』
保護。
食料。
薬。
家族。
王家。
帝国。
必要な言葉を並べながら。
逃げ道を消している。
「王子の帰還ではない」
カミラが言った。
「人を一か所へ集めるための演目だ」
「ああ」
俺は紙を持ったまま答えた。
「俺がいなくても、王子は作れる」
「顔は必要かもしれない」
「似た男を立たせる?」
「顔を知らない者の方が多い。旧リュカリオンが滅びたのは、およそ十年前だ。当時十八歳だった王子を間近で見た者は限られる。帝国の手配書にも、正確な似顔絵は載っていない。書かれているのは、名前、立場、年齢。それだけだ。」
まぁ十年あれば、顔も変わる。
奴隷施設で三年を過ごし、その後は傭兵として街道と戦場を歩いた。日焼けも、傷も、寝不足もある。額には、女将の木匙で作られたこぶまで残っている。
ただし、疑われた時点で面倒だった。
金貨千枚。
普通の兵士が一生働いても、簡単には手にできない額が、俺の首には掛けられている。
「そうか」
「ああ」
レオンの過去に触れてもそれ以上の追求はせずにカミラは、倉庫の中へ積まれた旗、鐘、演壇の一覧を見る。
「演説は誰かが読む。印章を押した紙を配る。帝国軍の制服を着た人間が周囲へ立つ。麦と薬を渡す。昔の王家を覚えている老人が泣けば、周りも信じる。全部を疑う人間の方が少ない」
「便利だな」
「紙も、制服も、飢えも、病気も、全部使う」
カミラの声は低い。
怒っている。
だが、怒りだけで読んでいない。
「ここにいる人々を助けることと、王家を復活させることは別だ。救恤を受けるために、忠誠を誓わせる必要はない」
俺は、演説の紙へ目を戻した。
『旧リュカリオンの民よ。長く待たせた』
待たせた。
確かに。
俺は、何もできなかった。
国が滅びた。
父が死んだ。
レイラと離れた。
三年間、帝国の奴隷として働いた。
リューリックに助け出されたあとも。
傭兵として。
腹を満たし。
金を稼ぎ。
死なないように。
生きてきた。
旧臣民を探さなかった。
国を取り戻そうとしなかった。
だから。
この紙を見て。
帰ってきてくれたと思う人間もいる。
責められない。
本当に。
責められない。
「レオン」
カミラが呼んだ。
今度は、ロドではない。
倉庫の中には、ベルント中尉もいる。
それでも。
本当の名前を使う。
「お前が全部背負う話ではない」
「俺の名前だ」
「ああ」
「俺の国だった」
「ああ」
「俺が何もしなかった間に、散った人間がいる」
「それでも、あんたが飢えさせたわけではない。あんたが国を滅ぼしたわけでもない。生き残るために、生きた。そこまで罪へするな」
カミラの声は厳しい。
優しく包むための言葉ではない。
俺が勝手に沈まないように。
地面へ足を付けさせるための言葉だった。
「今、何をする」
カミラが訊く。
俺は演説の紙を見た。
俺の知らない俺。
俺より先に帰還した王子。
麦を配る。
薬を渡す。
家族を探す。
そして。
人を集める。
逃がさない。
「追いつく」
俺は答えた。
「この王子に」
「追いついて?」
「止める」
それだけでは足りない。
紙の上にいる王子が。
俺の名前で。
帰ってこいと言っている。
なら。
本物の俺は。
別のことを言わなければならない。
「俺の名前で集まるな」
声に出す。
「俺の名前で、勝手に死ぬな」
ベルント中尉は、何も言わなかった。
カミラも。
しばらく。
何も言わない。
それでも。
隣にいる。
それで。
今は十分だった。
◇
倉庫の奥から、さらに一枚の帳面が見つかった。
表紙には、移送予定とだけ書かれている。
中には、第三宿駅、第七補給場、その先へ人を運ぶ経路が残っていた。
昨夜。
第一便。
三十四人。
老人、女、子どもを含む。
西北西。
旧北路第四宿駅を通らない。
古い製粉所跡。
仮称、灰楡集積地。
今夜。
第二便。
四十六人。
さらに、その次。
人数未定。
旧籍照合済みの者を追加。
「古い製粉所」
ベルント中尉が言った。
「ここから馬で半日ほど西北西だ。通常の街道を外れる。旧五国連合の境へ入る前だが、周囲には小さな集落しかない」
「人を隠せる?」
カミラが訊く。
「使われていない倉庫が残っている。川もある。荷車も入れる」
「第一便は、昨夜出た」
俺が言う。
「今から追えば」
「追いつける可能性はある」
ベルント中尉は答えた。
「ただし、あんたの腕で無理に走れば、着く前に使い物にならなくなる」
「昨日から、全員同じことを言う」
「全員が正しい可能性を考えろ」
非常に厳しい。
ただし。
正確だった。
「巡察隊を分ける」
ベルント中尉は言った。
「俺は、負傷者と証拠を守るために残る。副官へ六人付け、古い製粉所へ向かわせる。街道側へも二人出し、第三宿駅とフォーゲル大尉へ報告する」
「私たちも行く」
カミラが言った。
俺は、少しだけカミラを見た。
「休めと言わない?」
「言う」
「では」
「ただし、先へ行く必要もある。だから、半刻だけ休む。腕を巻き直す。水を飲む。食べる。馬も休ませる。そのあとで追う」
「半刻」
「短いか」
「かなり」
「倒れるよりいい」
ベルント中尉が、俺の左腕へ目を向けた。
「従え」
「帝国軍人まで」
「王子へ命令する機会は珍しい」
「まだ信じていないだろ」
「信じていない」
中尉は真顔で答えた。
「ただし、顔にこぶを三つ作り、眉を焦がし、腕へ包帯を巻いたまま、自分の偽造演説を読んでいる男を王子として扱う機会は、もっと珍しい」
「非常に不敬だ」
「証明できるか」
「顔が良い」
「判断が難しい」
カミラが、今度こそ少しだけ笑った。
声が漏れた。
ほんの一瞬。
だが。
確かに。
笑った。
俺は、少しだけ得をした気分になった。
──第四十三部 了




