第四十三部 俺より先に帰還した王子と、俺の知らない演説の話 ② 戻る人々と、倉庫の中
巡察隊が補給場を制圧したあと、林へ逃がした人々も少しずつ戻ってきた。
最初に姿を見せたのは、マルタ・ハインだった。
白髪の老女は、片手に杖、もう片方の手に三枚へ分けた紙を持っている。後ろには、子どもを抱く母親、足を痛めた男を支える若者、毛布へ包まれた少年が続いていた。
「フォーゲル大尉のところへ行くんじゃなかったのか」
俺が訊くと、マルタは少しだけ息を整えてから答えた。
「林の向こうで兵隊さんに会ったよ。角笛を鳴らした人たちだ。あんたたちが中に残っていると言ったら、こちらへ戻れと」
ベルント中尉が歩いてきた。
「この方から、写しを受け取った」
マルタが持っていた三枚のうち、一枚だけを示す。
「残りは、まだ本人に持ってもらう。第三宿駅へ戻ったあと、別経路でヘルマン副書記官へ送る」
「正しい」
カミラが答えた。
ベルント中尉は、頭巾を被ったカミラを一度見た。
次に、俺の顔へ視線を移す。
額のこぶ。
焦げた眉。
煤。
左腕の包帯。
倉庫の裏へ倒れている男。
「ロド・カナリ?」
「ああ」
「昨日、第三宿駅で人を斬った傭兵も、同じ名だった」
「本人だ」
「証明は」
「顔が良い」
ベルント中尉は、しばらく俺を見た。
「判断が難しい」
「今日は少しだけ損傷している」
「少し?」
「かなり」
ベルント中尉の口元が、ほんの少しだけ動いた。
フォーゲル大尉と同じ反応だった。
帝国軍人は、案外笑う。
ただし、笑ってもすぐに仕事へ戻る。
「倉庫を見せてくれ」
中尉が言った。
「その前に、負傷者を確認する」
カミラが答える。
「救い出した人々の中に、熱のある子ども、足を痛めた老人、咳が止まらない者がいる。兵舎の中にも薬包はあったが、何を飲ませたか分からない。第三宿駅へ戻す前に、巡察隊の衛生兵へ見せろ」
「分かった」
「拘束した者も分けろ。古い制服を着ていた者、書記服の者、武器を捨てた者、火を使おうとした者。同じ場所へ入れるな」
「理由は」
「口裏を合わせる。あるいは、誰かが誰かを殺す」
ベルント中尉は、一度だけ頷いた。
「書記官」
後ろへ声を掛ける。
「拘束者は別々に記録しろ。所持品も混ぜるな。負傷者は先に衛生兵へ。第三宿駅へ戻す者と、ここで待機させる者を分ける」
命令が通る。
兵士が動く。
毛布が運ばれる。
水桶が満たされる。
泣いていた子どもへ、衛生兵が膝をついて話しかける。
倉庫の前には、見張りが二人立つ。
古い帝国軍外套を着ていた男たちと。
正規の帝国兵。
遠くから見れば。
同じに見える。
それでも。
今は違う。
少なくとも。
目の前では。
◇
倉庫の中へ入ったベルント中尉は、しばらく何も言わなかった。
机の上には、帝国の鷲、北方軍保安監督室、救恤調整室、旧リュカリオン王家の印章が並び、その脇には未記入の仮身元証明書、移送札、旧籍照合表、封蝋、黒松脂、油布、紙箱が積まれている。
カミラは、偽の王家印を布の上へ置いた。
「触る前に、誰が何を見たか残せ」
ベルント中尉へ言う。
「移送札と旧籍照合表は、原本を分ける。写しも一枚へまとめるな。印章、封蝋、黒松脂、紙箱も別々に包め。同じ荷車へ積むな」
「あなたは」
ベルント中尉が訊いた。
「鉱山の記録係ではないな」
「今は、それで通せ」
「フォーゲル大尉と同じことを言う」
「便利な言葉だ」
「最近、よく聞く」
俺が口を挟むと、カミラの右足が靴へ載った。
「痛い」
「黙れ」
ベルント中尉は、ほんの少しだけ眉を上げた。
「同行者か」
「便宜上」
カミラが答える。
「非常に便利な言葉だな」
中尉も同じことを言った。
流行している。
本当に。
カミラは俺の靴を踏んだまま、偽の帰還令を机へ広げた。
「これを見ろ」
ベルント中尉の表情が変わった。
紙へ押されているのは、帝国北方軍保安監督室の印と、旧リュカリオン王家の白鷹印。
文面は、散った旧臣民へ帰還を呼び掛け、食料、薬、仮住居、就労を約束し、帝国北方軍が移動を保護すると記している。
最下部には署名。
レオン・ヴァン・リュカリオン。
「旧王家の帰還令」
ベルント中尉が低い声で言った。
「誰が出した」
「本人ではない」
俺が答える。
中尉が俺を見る。
少しだけ間が空いた。
「なぜ、分かる」
「本人だからだ」
倉庫の中が静かになった。
ベルント中尉は、すぐには何も言わなかった。
驚いている。
警戒している。
当然だった。
亡国の王子。
生きているとは知られていない男。
額にはこぶ。
眉は焦げている。
頬には煤。
左腕は包帯。
かなり説得力に欠ける。
「信じなくていい」
俺は言った。
「今は、紙を残せ。俺が本物かどうかは、そのあとで確かめればいい」
「本物の王子が、本人確認を後回しにするのか」
「俺の顔を見て、今すぐ王子だと信じられる?」
ベルント中尉は、かなり真面目に俺の顔を見た。
「難しい」
「正確だ」
隣で。
カミラが。
少しだけ。
笑った。
声には出さない。
だが。
確かに。
口元が動いた。
悪くない。
──第四十三部 了




