表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

222/286

第四十一部 鷲の制服と、俺の名前で集められた人々の話 ③ 診療天幕と、あなたは


 診療天幕へ運ばれ、傷を洗われた。


 年配の医者は、俺の左腕を見ながら、呆れたように息を吐いた。


「浅いが、汚れている。動かすな」


「剣は握れる?」


「握るな」


「いつから」


「少なくとも、今日いっぱい」


「第三宿駅を出る必要がある」


「なら、右手だけで歩け」


 極めて合理的だった。


 俺が毛布の上へ座っていると、カミラは隣で包帯を押さえていた。自分の左肩も痛めているのに、人の傷へ気を取られている。


「自分の肩も見せろ」


 俺が言うと、カミラは眉を寄せた。


「今は、あんたが先だ」


「同行者の管理だ」


「私の傷は開いていない」


「確認する」


「必要ない」


「安全確認だ」


「どこを見るつもりだ」


 難しい質問だった。


 少し考える。


「主に、肩」


「主に?」


「ほぼ」


 カミラの右手が、俺の包帯の上を少し強く押した。


「痛い」


「傷だけ見ろ」


「まだ何も見ていない」


「顔が見ている」


 診療天幕の医者は、俺とカミラを順番に見た。


 何も言わなかった。


 非常に大人だった。



 ◇



 広場では、フォーゲル大尉が宿駅長、曹長、救恤所の医者、麦粥を配っていた老女を集めていた。


 移送は止まった。


 救恤は続ける。


 薬も、麦粥も、毛布も配る。


 ただし、旧籍照合だけは止める。


 青い細線が引かれた紙は、原本と写しを分けて保全する。


 捕らえたゼーフェルトは、灰鐘関所へ送らない。


 少なくとも、すぐには。


「どこへ送る」


 曹長が訊くと、フォーゲル大尉は少し考えた。


「ここで拘束する。伝令を三人出せ。一人はヴァルター軍監へ。一人は灰鐘関所のヘルマン副書記官へ。一人は別経路で北方軍連絡所へ。誰が、どの紙を持ち、何時に出たか残せ」


「保安監督室へは」


「送るな」


「正式命令に反します」


「今、俺が反する」


 声は低い。


 だが、迷いはなかった。


「紙を燃やし、人を脅し、子どもへ弩を向けた男が、正式な救恤調整室の書記官を名乗っていた。命令系統のどこまでが腐っているか分からない。分からないなら、一か所へ集めるな」


 カミラが、少しだけ目を細めた。


 同じ言葉だった。


 紙も。


 証人も。


 命令も。


 一か所へ集めない。


 燃やす側が、追いつけない数まで分ける。


 フォーゲル大尉は、こちらへ歩いてきた。


 俺は診療天幕の前へ座ったまま、顔を上げる。


「傭兵」


「ああ」


「名は」


 少しだけ間が空いた。


「ロド・カナリ」


 フォーゲル大尉は、俺の顔を見た。


 次に、宿駅長が保全した受領書へ目を向ける。


「昨日、この宿駅へ木箱を運んだ傭兵も、ロド・カナリと名乗った」


「聞いた」


「二人目か」


「本物のつもりだ」


「証明できるか」


「今のところ、俺の方が顔が良い」


 フォーゲル大尉は、俺の額のこぶ、焦げた眉、煤の残った頬、左腕の包帯を順番に見た。


「判断が難しい」


「今日だけ少し損傷している」


「少し?」


「かなり」


 大尉の口元が、ほんの少しだけ動いた。


 笑ったのかもしれない。


 だが、すぐに戻る。


「昨日の偽者は、西へ向かった」


「ああ」


「旧北路第四宿駅へ行くと言ったらしい」


「追う」


「その腕で?」


「歩ける」


「剣は」


「右手で持てる」


 カミラが、隣から低い声で言った。


「今日は休ませる」


「本人の意見は」


「聞いていない」


「非常に横暴だ」


「昨日から何度も無理をした人間の意見は、参考程度でいい」


 フォーゲル大尉は、俺とカミラを見比べた。


「同行者か」


「便宜上」


 カミラが答える。


「非常に便利な言葉だな」


 俺が言うと、カミラの右足が俺の靴へ載った。


「痛い」


 フォーゲル大尉は、今度こそ少しだけ笑った。



 ◇



「あなたは」


 フォーゲル大尉が、カミラへ視線を向けた。


「鉱山の記録係ではないな」


 広場の騒ぎは少しずつ収まり始めていた。


 麦粥の列が作り直され、診療天幕の前では薬を待つ人々がもう一度並び、兵士たちは青い細線が引かれた紙束を種類ごとに分けている。


 それでも、何人かは聞いている。


 帝国軍の大尉。


 偽名を使う傭兵。


 頭巾を被った黒髪の女。


 カミラは、すぐには答えなかった。


 逃げることもできる。


 知らないと言うこともできる。


 だが。


 この大尉は、正式な命令へ穴があると判断し、子どもへ弩を向けた人間を捕らえ、救恤を止めず、旧籍照合だけを止めた。


 誰へ何を話すか。


 順番を選ぶ必要がある。


「カミラ・パヴェル」


 低い声だった。


「イタリカ監察官だ」


 宿駅長が息を呑んだ。


 曹長の顔も少しだけ硬くなる。


 フォーゲル大尉は、驚かなかった。


「公文書持ち出しの容疑で、保護拘束命令が出ている」


「ああ」


「所持しているか」


「ある」


「渡せと言えば」


「断る」


 カミラは迷わなかった。


「ノヴァローマで再審理を潰そうとした者がいる。薬を抜き、坑夫を消し、移送札を書き換え、証人を外した。灰鐘関所では、同じ系統の紙が燃やされかけた。ここでは、救恤を使って旧五国出身者を集めている。どこまでが同じ手かは、まだ断定できない」


「だから、渡さない」


「ああ」


「帝国軍を信用しない?」


 カミラは、少しだけ大尉を見た。


「信用だけへ頼らない」


 フォーゲル大尉は、しばらく黙っていた。


 風が広場を通り抜ける。


 大鍋から立つ湯気。


 血の跡を洗い流す水。


 泣き疲れた子ども。


 石畳へ落ちた麦粥。


 帝国の制服。


 救恤所の紙。


 青い細線。


 全部が、同じ場所へある。


「正しい」


 大尉は言った。


「俺も、信用だけへ頼るつもりはない」


 カミラの目が、少しだけ動く。


「だが、見逃すと言うのか」


「見逃したとは書けない」


「では」


「確認できなかったと書く」


 フォーゲル大尉は、頭巾を被ったカミラを見た。


「俺が第三宿駅で確認したのは、ミラ・パウルという鉱山の記録係と、ロド・カナリと名乗る傭兵だ。二人は、子どもへ弩を向けた男を止め、救恤所の火災を防いだ。それ以上の身元については、騒ぎの中で確認できなかった」


「大尉」


 曹長が低い声で言った。


 止めるためではない。


 確認するためだった。


 フォーゲル大尉は、曹長へ目を向ける。


「書けるか」


 曹長は、少しだけ考えた。


「事実です」


「ああ」


 事実。


 便利な言葉だった。


 だが。


 嘘ではない。


 全部でもない。


 カミラは、少しだけ頭を下げた。


「借りは作らない」


「返す必要はない」


「それでも返す」


「なら、生きて西へ行け」


 フォーゲル大尉は答えた。


「第七集積所がどこにあるか、調べる。第四宿駅から先は、俺たちの命令が届くより、相手の方が速い可能性がある」


「なぜ、そこまで」


 俺が訊いた。


 大尉は、広場へ並ぶ人々を見た。


「帝国の制服を着ているからだ」


 短い言葉だった。


 だが、軽くない。


「帝国の名で集めた人間を、どこにあるかも分からない場所へ送るなら、俺は知らなかったでは済まない」


 祖国を滅ぼした国。


 父を処刑した国。


 俺を奴隷にした国。


 その国の制服を着た男が。


 帝国の名前を軽く使わせないと言っている。


 簡単ではない。


 本当に。



 ──第四十一部 了


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ