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第四十部 第三宿駅と、救恤所で家族の名前を書かせる話 ④ 古い荷物倉庫と、守る順番

 古い荷物倉庫は、広場の西側にあった。


 外から見ると、積み替え前の毛布と紙箱を置くための建物にしか見えない。だが、裏口から中へ入ると、壁際には机が並び、受付を終えた紙束が旧村ごとに分けられていた。


 旧リュカリオン。


 ノルデン。


 リヴェン。


 レヴォナ。


 そのほか、旧五国連合に属していた地域。


 まだ旧領へ入っていない。


 それでも、昔の国の名前は、ここにある。


 紙の束として。


 家族の名前として。


 誰がどこに暮らしているかを示す記録として。


 俺は、旧リュカリオンと書かれた束を見た。


 触れない。


 すぐには。


 自分の国だった名前が、机の上へ載っている。


 村。


 家族。


 年齢。


 移住先。


 死者。


 生存者。


 散った人間。


 残った人間。


 その全部が、紙へまとめられようとしている。


 昔。


 宮殿では、民の名前が書かれた帳面を見たことがある。


 税。


 兵役。


 収穫。


 土地。


 父の側近たちは、数字を見ながら国を語った。


 俺は、あまり興味を持たなかった。


 子どもだった。


 王子だった。


 守られる側だった。


 今は分かる。


 紙の向こうには、人間がいる。


 家がある。


 怪我がある。


 腹を空かせた子どもがいる。


 薬を待つ人間がいる。


 そして、紙を使えば、人間を一か所へ集めることもできる。


「触るな」


 カミラが低い声で言った。


 責めているのではない。


 俺が何を見ているか、分かっている。


「原本へ触れば、誰が触ったか分からなくなる。先に写しを取る」


「ああ」


 俺は手を下ろした。


 少しだけ。


 呼吸を整える。


「俺の名前は、まだ出ているか」


 カミラは机の奥へ進み、受領記録を一枚ずつ確かめた。


 昨日。


 小さな木箱。


 受領者。


 ロド・カナリ。


 引渡先。


 旧籍照合班。


 木箱の中身。


 照合用印章一式。


 仮身元証明書用の封蝋。


 未記入の移送札。


「箱の中身は、札を作る道具だった」


 俺が言うと、カミラは頷いた。


「人を集め、名前を書かせ、その場で新しい札を渡せる」


「どこへ移す」


「それを探す」


 机の引き出し。


 棚。


 紙箱。


 カミラは順番を崩さずに確かめていく。


 焦らない。


 早く答えを作らない。


 やがて、机の端へ重ねられた薄い紙束の中から、別の様式を見つけた。


 表には、長期宿泊希望者。


 就労斡旋希望者。


 旧籍照合済み。


 青い細線。


 裏には、移送予定先。


 旧北路第七集積所。


 出発時刻。


 今夜。


「第七集積所」


 俺が言った。


「宿駅ではない?」


「少なくとも、通常の宿駅名ではない」


「今夜、人を動かすつもりか」


「可能性は高い」


 カミラは、束の厚みを確かめた。


 百枚以上ある。


 まだ全部へ名前が書かれているわけではない。


 だが、予定人数は最初から決められていた。


「止める」


 俺が言う。


「ああ。ただし、外で麦粥を配っている人間へ、いきなり怒鳴るな。混乱を起こせば、相手が紙を持って逃げる」


「分かっている」


「本当に?」


「少しは信用していいと思う」


「実績が足りない」


 カミラは、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 その時だった。


 倉庫の外で、馬の蹄が一斉に止まった。


 広場の声が、少しずつ小さくなる。


 金属の擦れる音。


 整った足音。


 兵士の声。


「北方軍保安監督室、直属護送班だ!」


 倉庫の外から、よく通る声が響いた。


「灰鐘関所の放火事件および公文書持ち出し事件に関する捜査のため、第三宿駅を一時封鎖する。宿駅長、責任者、書記官、旅人は、その場を動くな!」


 地下網ではない。


 黒い外套でもない。


 帝国の制服。


 正式な命令。


 正規の兵士。


 カミラは、窓の隙間から外を見た。


 俺も、その隣へ立つ。


 広場には、十二人ほどの兵士がいる。


 装備は整っている。


 鷲の印もある。


 嘘には見えない。


 だからこそ、厄介だった。


「昼前に灰鐘関所へ着く予定ではなかったか」


 俺が訊く。


「一部を、こちらへ先回りさせた」


 カミラは低い声で答えた。


「私たちが第三宿駅へ来ると、最初から読まれていた可能性がある」


「逃げる?」


「紙を置いて?」


「置かない」


「なら、出る道を探す」


 カミラは机の上にある移送札の束へ目を向けた。


 外では、帝国兵が宿駅長へ何かを命じている。


 泣き始めた子ども。


 慌てて荷物を抱える母親。


 大鍋の前で木匙を握ったまま立ち尽くす老女。


 診療天幕から顔を出す医者。


 誰も、何が起きているか分からない。


 それでも、兵士の命令には従う。


 帝国の制服だから。


 鷲の印があるから。


 正規の命令だから。


 俺は、旧リュカリオンと書かれた紙束を見た。


 俺の昔の国の名前。


 その名前へ集められた人間。


 そして。


 俺より先に歩いているロド・カナリという名前。


「俺の名前を使って」


 声が、自分でも驚くほど低くなった。


「勝手に人を集めるな」


 カミラは、こちらを見た。


 怒りを止めるためではない。


 走る順番を間違えないように確かめている。


「レオン」


 帝国の倉庫の中で。


 カミラが、初めて本当の名前を呼んだ。


「怒るのは、あとでいい。今は、生きている人間を外へ出す」


「ああ」


 俺は頷いた。


「守る」


 外では、正規の帝国兵が倉庫へ近づいている。


 今度は。


 剣を抜く前に。


 何を守るかを間違えない。



 ──第四十部 了


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